2008/11/17

064【世相戯評】まったくもう、近頃の若いモンは、 

 横浜国大に週2回、各1時間半の講義を聴講に行っている
 この歳になって講義を聴くと、昔に学生だったときとはいろいろな意味で違って聞こえて面白い。
 最も面白いのは、現実に自分の仕事を学者の側から見るとそのようになるか、へえ~理論ってそういうものなのかと、現実と理論を照合して納得やら不思議やら、心の中が忙しいことである。

 嫌なことは、講義中に学生たちが平気で私語することである。そして周りの誰もが注意もしないことである。
 あれはどういうことなんだろうか。横浜国大特有なのだろうか。受講する学生が200人もいる多さだからだろうか。普通の礼儀がなっていない。
 とにかく女も男も同様にやかましいので、おい、そこ、黙れ、とわたしが注意する。一応は黙る。
 そろそろ講義が終る雰囲気となると、また私語が始まる。おい、もう少しだから、もうちょっと我慢しろよ、とまた言う。素直に、はいと言ってくれる。
 なんだか、どこかが抜けている感じがしないでもない。

 わたしが講義していたいくつかの大学では、受講する学生が少なかったからか、私語はなかった。講義中に何時でも質問なり意見を挟んでよし、としていた。
 最近の講義は、映像を使うので、教室を暗くする。そうなるともうそこら中がグッスリ学生である。
 まあ、私語よりはるかに良いけど、寝るならもっと寝やすいところがありそうなものだ。出席の実績だけ上げるために出席しても、意味あるまいになあ。

 さて、では昔のわたしはどうだったっけか?教室で私語や居眠りしたことはないような気がする。それは要するに、興味がない分からない講義には、ハナから出席しなかったのだ。
 そして興味ある講義は、単位は特に取得する必要がなくても出席したものである。
 ある学期、政治学の講義に興味あり受講したが、受講者が少なくてたびわたしひとりになった。
 単位が要らないので試験を受けなかったら、講師から自宅に電話がかかってきて、どうしてだと問われたので、その旨を言うと、せっかくだからレポート一枚でも良いから出しなさい、単位を上げるからと言ってくださった。
 ありがたく頂戴したが、これは衛藤瀋吉先生であった。まあ、そんなものであった。
 大学ってそういうもんだろうに、ほんとに、近頃の若いモンは、、。 

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