縁起物の熊手を担いで帰る人はあまり見かけないが、屋台をひやかす子ども連れや若者が多い。
いつの時代も祭りは楽しいものであるが、こんなにたくさんの屋台を見るのも、毎年のこの時期だけである。
昔は真金町一体は遊郭街で、大鷲神社のにぎわいもそれとかかわりが深かったのであろう。
裏通りなのに中央分離帯に柳や桜が植わって奇妙に広い通りはかつて遊郭が立ち並んでいたが、今は中高層共同住宅街となって、屋台が立ち並んでいる。
裏通りなのに中央分離帯に柳や桜が植わって奇妙に広い通りはかつて遊郭が立ち並んでいたが、今は中高層共同住宅街となって、屋台が立ち並んでいる。
その共同住宅のネーミングに、いずれも町名の真金町をつけているものは皆無で、かなり離れた関内とか大通り公園の地名をつけているものが多いのが、どこかおかしい。
遊郭だった名残を見つけるのは難しいが、ある唐破風の門構えが立派な堂々たる瓦葺の家が1軒だけあるのがそうかもしれないし、風呂屋2軒があるのもそうかもしれないし、産婦人科が数軒あるのも名残かもしれない。
大鷲神社の玉垣には、この地の遊郭経営者の子として生まれ育った噺家の桂歌丸の名が刻まれている。
それにしても夜店屋台デザインのなんともキッチュなことよ。このバラエティに富みながらも、ある種のデザインコードがあるのは、屋台専門の制作者が居るのだろうか。
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