2012/08/24

660横浜港景観事件(12)どこが変更になったかわからぬ神技デザインでGOサインの結婚式場

 横浜みなとみらい21地区の新港地区でもめていた(?)結婚式場計画のデザインが、ようやく決定したと、横浜市から発表があった。
 事業者と協議した結果、都市美審議会でNOといわれたデザインをYESといってもらえる(?)デザインに変更したのだそうである。
(この件のこれまでのコラム一覧はここ)

八五郎 あ、ご隠居、まだまだ暑くってしょうがありませんね。
ご隠居 八っつぁんでも、やっぱり暑いかい。
 あたり前でしょ。ところでご隠居が見ているその絵はなんです、まさかご隠居がディズニーランドに行こうってんじゃあないでしょうね。
 これは違うよ、結婚式場だよ、横浜の港近くにできるそうだよ。
 では、お孫さんの結婚式ですかい、そんな立派なところでやるんですかい、おめでとうございます。
 そうじゃないんだよ、ある企業がこういう結婚式場を建てたいって、市の審議会に出したら、恰好が悪いって突き返されたんだよ。
 ああ、例の新聞にもでてた話題になったやつですね。へえ、恰好が悪いってだけでNOなんですか、そりゃすごいね、あんまり醜男じゃあ外も歩けないってか。でも、どこが格好悪いんですか。お姫様がいそうな西洋の宮殿だし、観覧車もあるし、なんだかディズニーランドみたいで楽しそうなのになあ、こういう建物で結婚式やりたってい人は多そうですよ。
 だから庶民には困ったもんだよ、あのね、こういうデザインは西洋様式ごったまぜ、テーマパークみたいでけしからんて、審議会の大学の先生たちから叱られてるんだよ。偉い建築家の先生も、商業主義で怪しからんと言っておられる。
 へええ、あたしゃテーマパーク大好きですよ、ご隠居のお孫さんたちも大好きでしょ、結婚式場って商売だから商業主義でしょ、なにがいけないんですか。
 いや、まあ、その、、なんだな、早く言えば、デザインがドヘタってことかな。
 そう言ってくれりゃ、ちっとはわかる気がするけど、それでもどこが下手なんですか。
 どこがって、、、そう、全部下手なんだな。
 それじゃあわかりませんよ。庶民のあっしたちは、こういうの大好きなんだがなあ、いけませんか。
 ああ、いけないね。で、先生たちにNO!いけないって言われたんで、横浜市と事業者とであれこれ協議して、デザインを直したのがこちらの絵だな、これでOKとなったらしい。
 へええ、この絵ですかい、で、さっきのとどこが違うんですか。な~んにも違わないような、、、ちゃんと観覧車は立ってるし、、、あ、ちょっと色が薄いかなあ、あたしゃ白内障で目が悪いので、そのせいですかねえ。
 う~ん、ま、八っつあんのいう程度の違いだな。正直なところほとんど同じだよなあ、どこが違うのかねえ。あ、ここに書いてあるよ。

●変更された外観デザインの概要
 変更協議では、建物のデザインコンセプトを見直した上で、外観デザインを修整したものが提案されました。
(1) 建物のデザインコンセプト
新港地区の建物群との調和を図るため、フレンチデザインを現代風にアレンジ。
(2) 主な変更箇所
ア 壁や屋根にガラスやメタル素材を採用してモダンな設えに変更し、開放性を高めるとともに、個性や風格を醸成した。
イ 建物全体の色調を淡く調整し、赤レンガ倉庫を引き立たせる色調とした。
ウ 低層部・中高層部で色調を変え、建物の圧迫感を低減させた。
エ 建物外周に設置を予定していたフェンスを取りやめ、開放感のある設えとした。
オ 夜間照明は低層部を中心とし、水面への映り込みを意識した魅力ある夜間景観を演出した。(横浜市の記者発表より)

 おお、前の案はハレンチデザインだったとはねえ。
隠 フレンチだよ。
八 え、あそうか、でも、なんでしょそれ、フレンチカンカンとかフレンチドレッシングなら知ってますけどね、あ、フレンチキスってのも、、、イヒヒ、なんかエロっぽいデザインだったりして。
 ばかだね、でも、なんだろうねえ、ちかごろ流行してるのかねえ。ほら、住宅展示場でみるちゃらちゃらしたデザインらしいよ。
 で、こうなるとハレンチデザインじゃなくなるんですかあ、へ~、どこが違うんだろ、形はほとんど同じでも、色を薄くしてガラスやメタルを使えば、ハレンチが抜けてモダンに変わるんだ、ふ~ん、こりゃ神技か手品ですね、建築家ってのはえれえもんだね、あっしにゃ何のことかわからんけど。
 濃い色だったのを淡い色にして、赤レンガ倉庫を引き立てるそうだよ。
 へえ~、でもね、これと赤レンガ倉庫とを一緒に見るのは、相当に難しい位置関係ですよ、なんで引き立て役になるんすかねえ。それじゃあ、ワールドポーターズやカップヌードルミュージアム、JICAなんかの真っ赤な建物は、赤レンガ倉庫の引き倒し役で邪魔をしてるんですかい、その審議会の先生とやらは、それらにイチャモンつけなくっちゃ。
 あ、いや、その、、、。ま、審議会の偉い先生はこうおっしゃてるよ。

都市美対策審議会(景観審査部会)の卯月盛夫部会長(早稲田大学教授)からは、「市・事業者双方が我々の意見を真摯に受け止め、この4ヶ月間努力して頂いた結果、デザインが大幅に修整されたことについては、十分とはいえないが、一定の評価をしなければいけない。ただ一方で、事前協議の進め方などには大きな課題が残ったので、今後このようなことが起きないように、制度の見直しなどについても早急に議論をし、改善を図っていきたい。」 とのコメントを頂いています。(横浜市の記者発表より)

 この「一定の評価」ってのは、どういう意味なんですかねえ。「評価」だけじゃあ上も下もないから「一定の」をつけてるんでしょうが、一定の方向は上なんですか下なんですか。
 あ、う~ん、そうだなあ、う~ん、「十分とは言えないが」とか、「大きな課題が残ったので」とかおっしゃっているので、これはやっぱり下のほうに向かって一定の評価をなさったと読むのだな、たぶん。
 それじゃあ、マイナス100点がマイナス70点かになっただけで、ちっともYESじゃないような気がしますよ。
 今日のお前は相当に理屈っぽいね。わかったよ、よくないけど、しょうがない、これからはちゃんとやれ、先生はそうおっしゃってるんだろうなあ、、、たぶん、、、。
 しょうがないで済むなら、審議会はいらないでしょ。そもそもなんでよくないのか、きちんと審議会が言うべきですよ、あっしにもわかるようにね。
 そうだけどね、デザインてものは感覚に訴えるのだから、どこがどう悪いと論理的には言えないものだよ。
 それじゃあデザインを偉い先生たちが集まって審議して決めるっていうのもおかしいですね。感覚的なことを合議で決めるって、とてもじゃないけど無理というか、おかしいでしょ。
 わかったわかった、もう暑いから西瓜でも食おう。ミカンもあるよ。
 おっ、逃げましたね、いいでしょ、そうしましょ、そうしましょ、スイカとミカンいいですねえ、、
   ♪酸いか甘いかこの美観(みかん)、、っと。

(このシリーズは、もうやめようと思ったら市からGOサインの発表があったので、ついつい続きを書く羽目になった、面白いので、続きをまたそのうちに書かねばなるまい)

このシリーズのこれまでのコラム一覧はここ

2012/08/19

659行く夏を惜しんで花火がビルの上に満開

 残暑のある夏の終ろうとする夜、横浜都心のビル群の向こうに花火が上がる。横浜港で打ち上げているらしい。音と光に若干の差がある。


 わたしの住む空中陋屋の外廊下から見える夏の年中行事だが、いまだにそばで見たことがない。
 あれは30年くらい昔だったか、横浜港の花火見物に友人たちとわざわざ来たことはあるが、10年前に近くに住むようになると、まあこれでいいっやって気分である。

 わたしがこれまで見た花火でいちばん満足したのは、小千谷市の若栃という小さな集落での打ち上げ花火大会であった。どうしてそんな小さな集落でやるのか知らない。
 狭い谷間の集落で打ち上げるのを、そばの丘の中腹の暗闇で見ていたから、目の真ん前でドカ~ン、ズド~ンと大輪の火の玉が満開、あたりは一瞬昼間の光景、すぐ闇に戻る。目の下の谷間の棚田の一枚一枚に映る花火の姿が美しい。

 少年時代の故郷の盆地では、河原で花火を打ち上げていた。
 今思えばそれは実にのんびりしたものだった。間を10分以上もあけて、一発づつ打ち上げていた。それでもみんな待っていたものだ。
 最後はナイヤガラの滝という仕掛け花火で終わるのが恒例であった。

 山の上の寺院で打ち上げる日もあった。これものんびりだった。
 盆地の街のどこからでも眺めることができるのだが、遠いから音がしてから見たのではもう終わっている。首を長くしてじっと山の上を見つめていないと、見逃すのであった。
 黒い山並みの闇の上に、小さく丸い花が咲くのは、幻想的であった。花火の遠さと記憶の遠さがわたしの頭でシンクロしている。

 今のように忙しく打ちあげるようになったのは、いつごろからだろうか。

658インタネット時代は自分の知らないところで自分の間違い情報が流れる

 インタネットで戯れに、自分の名前「伊達美徳」を検索してみたら、こんなページがあった。
http://orlabs.oclc.org/identities/lccn-n88-135089/
わたしが知らない間に、どこかの誰かがわたしを紹介する欄をつくっている。

 どうやってこの中の情報を採集したか知らないが、本人には何も問い合わせはないから、インターネットで拾ったのだろう。
 当然のことに間違いがある。「だてよしのり」で検索して拾ったらしく、著書の紹介には伊達吉徳さんとか伊達良則さんとかが執筆した本も紛れ込んでいる。

 China語の著書があるので、おかしいなあとクリックしたら、こんなページである。なんだろうこれは、、、。
http://www.worldcat.org/title/cheng-shi-zai-kai-fa/oclc/056411672

 どうやらわたしの著書の「都市再開発」(市ヶ谷出版社)のChina語版らしいが、そんなのがあったかしら。海賊版だろうか。

 伊達美徳をChinaの字で書くとこうなるのかと、しばし眺めた。「伊」はそのまだが、「達」は大違いである。「美」は同じだが、「徳」は「德」となっていて、これはChina漢字のほうが古いのがおかしい。わたしも戸籍名はこの旧字である。

 インタネット時代は、自分の知らないところで、間違った自分の情報が流れるおそれがあるとわかったが、どうやってこれを止めるかわからない。
なんにしても自分のつくるサイトで、自分ことを正しく発信しておくしか、ほかにやりようがないのだろう。
http://homepage2.nifty.com/datey/index3.htm#profile

2012/08/16

657歴史上の本人になってしまった古老のわたしが建築学会で語ることは

 来月のことであるが、名古屋に久しぶりに行くことになった。
 名古屋には1962年から5年間住んだことがあり、初めの2年が名古屋大学のそばのアパートに住み、ちょくちょく散歩に行った。
 広大な草原と低木の丘陵があったが、いまはもうキャンパスになってしまっているだろう。

 若い槇文彦の名作の名古屋大学講堂が、草原の向こうに白くまぶしく建っていた。
 名大の近くには南山大学があり、アントニン・レイモンド設計の校舎には、あの特徴的な赤い塗料が打ちはなしコンクリート壁に塗ってあった。

 あれから半世紀、しばらくぶりの名古屋大学では、日本建築学会の大会があって、そこでのパネルディスカッションに参加を要請されたのである。
 そのPDが、なんと学会で「若手推奨」なる研究会である。わたしが若手でないことは当たり前であって、実はその若手研究者から昔のことを語れと言われたのである。そう、古老の昔物語である。

 なんでも40歳までの若手研究者が集まって、「前現代」なる時代につくられた都市や建築について研究しているのだそうだ。「前現代」とは聞きなれないが、簡単に言えば1945年から1970年あたりまでを言うのだそうだ。
 つまりその頃がようやく研究対象の都市・建築史の範疇に入ったのである。だから、わたしもその研究範疇に入ってしまったので、お呼びがかかったというわけである。
 要するに「歴史上の本人」(これは南シンボウの命名)に、わたしもなったのである。

 何の話を期待されているかというと、戦後の都市復興時代の都市の建築である。
 戦争直後のころは、日本の多くの都市は戦中の空爆と、その頃たびたび各地で起きた大火によって破壊されていた。
 それを1950年代の半ばからようやく復興へと動き、土地区画整理事業による基盤整備と合わせて、不燃共同建築による街並み形成を進めたのであった。
 その全国各地に建った不燃共同建築は、今も各地の中心部に生きている。その頃の民と官との連携によって市井の人々の協同による努力の結晶として、都市の復興に寄与したのである。

 だが、それら市井の建築は、特に美しくもないから、当時の苦労を評価する人もなく、次第に建て替わっていく。
 あの50年代から60年代にかけての、市井の人々の都市復興にかけた動きを、ここで歴史的に評価しておくべき、今それをやっておかないとできなくなると、わたしは気にしていた。

 そしてここに幸いにして、若手研究者が目を向けようとしている。古老は語っておくべきであろうと、久しぶりの名古屋、久しぶりの学会大会出席である。
 そのパネルディスカションの概要は下記の通り(学会の告知よりコピー)。

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■前現代都市・建築遺産計画学的検討[若手奨励]
特別研究――パネルディスカッション
「前現代」の都市・建築遺産としての可能性を問う

9月13日(木)9:00~12:30 工学部7号館701室

司会  倉方俊輔(大阪市立大学)
副司会 中野茂夫(島根大学)
記録  小山雄資(鹿児島大学)・石榑督和(明治大学)

1.主旨説明 中島直人(慶應義塾大学)

2.主題解説
・設計者として語る前現代遺産
        伊達美徳(まちプランナー)
・昭和の都市、建物の魅力をどう伝えるのか
        鈴木伸子(編集者、ライター) 
・前現代の都市・建築遺産の都市史・都市計画史的意義とその現状
        初田香成(東京大学)
・身近にある前現代建築の魅力とその活かし方
        高岡伸一(大阪市立大学、ビルマニアカフェ)

3.討論
 コメンテーター:北垣亮馬(東京大学)・青井哲人(明治大学)・中尾俊幸(アール・アイ・エー)

 「前現代」は「現代」ではないが歴史として画期が確定したわけでもない、近過去のある時期を指す造語である。
 40歳以下の委員で構成される「前現代都市・建築遺産計画学的検討[若手奨励]特別研究委員会」では、戦災復興期以降、1970年前後までを「前現代」期と設定し、この時期に生み出された様々な都市・建築空間の遺産価値やまちづくりへの活かし方について研究を進めてきた。
 今世紀の都市は、そのありようを肯定するにせよ、否定するにせよ、事実としてストックに埋め尽くされている。そして、我が国における建築ストックの多くは「前現代」期に建設されたものである。
 しかし、そうしたストックは、エイジング=老朽化という図式の下、特に次なる大震災への備えの意識から、耐震性の不足という理由ですでに更新の対象となり始めている。
 我が国の都市の近代は「歴史を消し去る歴史」であったが、これからもその歴史を繰り返すのだろうか。少なくとも、今まだその多くが健在のうちに、それらの遺産価値について議論し、それらを使い続け、都市を成熟させていく、都市生活を豊かにしていくアイデアを用意しておきたい。
 近年、前現代の遺産に対するまなざしは確実に豊かになってきている。かつての近代建築の遺産評価の主流であった作家論や意匠論ではなく、都市論、生活論との結びつきをより強めている。日常生活の中に、これらの「少し古い」ものを自然と取り込む人が増えてきている。
 本パネルディスカッションでは、委員会での議論を土台としつつ、開かれた議論の展開を目指す。実際に設計した立場、魅力を伝える立場、それを日常生活に取り込み、活用を試みる立場、再開発事業に携わる立場など、異なる立場から、前現代の都市・建築遺産とは何か、それをどう評価し、どうまちづくりに活かしていくのかを議論したい。
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●参考
◆大阪立売堀:40年目の防火建築帯は健在
https://sites.google.com/site/machimorig0/itachibori
太田:わが30歳の大仕事・南一番街の30年後の大変貌2001)

https://sites.google.com/site/machimorig0/oota-minamiitibangai

◆横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
◆戦後復興街並みをつくった市井の人々
https://sites.google.com/site/machimorig0/tosinosengo-syohyo
◆日本の都市再開発コンサルタント史(1991)
https://sites.google.com/site/machimorig0/saikaihatu-consul

2012/08/15

656古本41冊403円の寄付とは申し訳なかったなあ古本屋さん

 このブログの8月9日記事に、津波被災地の陸前高田市の図書館再建支援について、ささやかな寄付をするために、古本を送ったことを書いた。

 前に同じようなことで送ったのが、なんだかよくわからないままなので、こんどは試験的に安価な古本を送ったのであった。
●参照⇒653陸前高田市の被災した市立図書館再建プロジェクトに古本を送った http://datey.blogspot.jp/2012/08/653.html
 今日、きちんとした寄付受領書が来た。
 わたしの送った古本の買い取り金額は、なんとまあ403円で、これが寄付金額である。
安い、ささやかとは思っていたけど、41冊で403円とはねえ。

 これでは着払いで受け取って買い取った古本屋さんは、送料も出なかったことになる。
 以前に変なことがあったので慎重になったとはいえ、誠に申し訳ないことであった。
 こんな安いエンタテインメント系の本ばかり受け取っても、迷惑であったろう。

 次は専門書も入れて、少しは高く売れる本を送ろうと思う。 
 でも困った、わたしには古本のこちらの買値はわからぬでもないが、あちらの買値は見当がつかないから、さてどれにしようか。
 わたしがこれは貴重だ高いぞって思っている本が、世の中ではただの屑紙かもしれないからなあ。

2012/08/14

655邪魔なオリンピックがようやく終わってもまだ高校野球が、、

 今日(2012年8月14日)の朝日新聞朝刊の全36ページのうち、オリンピック記事がおよそ7ページ半も占拠した上に、高校野球の3ページを合わせると、なんと記事の3割がスポーツである。
朝日新聞はスポーツ新聞になったのかよ~。
わたしが読まないそのページ分を除いて、新聞購読料を7割にせよ。

それでもパラパラとめくると、目にひっかる記事もある。
韓国のサッカープレイヤーの一人が、竹島(独島)の領有に関する主張を書いた紙をもって、競技の直後に会場を歩いたとかで、オリンピックに政治を持ち込んでけしからんとて、罰せられそうだとか。

オリンピックてのは、筋論としては個人競技なのだそうだ。
それなら、国歌をなぜ流すのか、国旗をなぜ掲揚するのか、なぜ国旗をまとうのか、なぜ新聞は国別メダル個数を書くのか。
他の新聞やTVは見ないからどう報道されているか知らない。ほかじゃあオリンピック報道を全然やってなかったりして、、。

あのね、オリンピック競技を国別対抗にしてこれだけ煽っていながら、政治を持ち込んでけしからんなんて、チャンチャラおかしいじゃんかよ。
そもそも国家ってのは政治そのものなんだから、あおられたおバカにして純粋な?プレイヤーが、そんなことするのも当たり前でしょ。
そもそも国対抗競技会にしちまったのが大間違いなんだから。

そうだ、こうなったら、領土紛争をオリンピックで解決するってのはどう?
紛争国に所属するチームやプレイヤーが競技をして、勝ったほうが所属する国の領土にすることにするのはどうか。
それでもまだもめているなら、4年後に再競技でまた次の4年の帰属を決めるのだ。
8年後、12年後、16年後、20年後、、、あれ、紛争解決にはならないかもなあ、。
それでも、人殺し戦争で解決するよりも、はるかに良いだろう。

なんにしてもオリンピックがようやく終わってくれて、これからはちゃんとした新聞が来ると思うと、ほっとする。
アッ、そうじゃない、まだ高校野球があるんだ、いやンなっちゃうよ~。

2012/08/12

654オリンピックマラソンでTVロンドン見物したけどつまらない

初めてロンドンオリンピックをTVで見た。
正確に言うと、競技じゃなくてマラソンで走っているロンドンの風景を見た。

競技はどうでもよいので、音を消してロンドンの都市風景だけを見るのだが、奇妙なことに同じ風景がまた現れた。
あれ、録画したのを見せているのかと思えど、どうもさっきとは違うようだ。それが3回目ともなると、ああそうか、同じところをぐるぐる回らせているんだとわかった。

なるほど、こうすれば沿道の応援見物人たちは何度も見られるし、警備の人員数も減らせるし、道路の交通規制範囲も狭くて済む。
でも、風景を見たいこちとらには、つまらないことになった。

時々、半秒くらい選手たちがパッと止まることがある。さすがにオリンピック選手たちはすごい、こうまでみんな揃って一時停止姿勢は普通はできまい、すごいなあ、と思ったら、沿道の応援客も止まっているので、なんだ、電波のせいか。
画像がグラグラ揺れる時もあるが、ロンドンから日本に来る電波が、宇宙の人工衛星にでも引っかかるのだろうか。

3回も同じ風景となると、さすがに飽きて、TV見るのをやめた。
これを書いている今も走ってるが、もう興味はない。
風景を見ていて大して面白くもなかったが、街のビルに看板がほとんどないのが不思議なくらいだったのが印象に残った。

●参照
032オリンピックマラソンの風景
http://datey.blogspot.com/2008/08/blog-post_24.html
オリンピックで浮かれても戦争したイギリスと日本は複雑な間柄
http://datey.blogspot.jp/2012/07/644.html
645オリンピックをやってるらしい、その上に高校野球まで、困ったもんだ
http://datey.blogspot.com/2012/07/645.html
027オリンピックをやっているらしい
http://datey.blogspot.jp/2008/08/blog-post_08.html
008水泳競技特別措置法
http://datey.blogspot.jp/2008/06/blog-post_10.html

2012/08/09

653陸前高田市の被災した市立図書館再建プロジェクトに古本を送った

 陸前高田市では、被災した市立図書館を再建するとて、行政と民間が連携するプロジェクトを行っている。
 図書館づくりを支援したい人は、特定の古本屋に古本を送ると、古本屋はそれを買い取って、その買い取り金を陸前高田市に寄付として送るのだそうだ。
 わたしは本日、ひと箱30冊余を送った。
●参照→陸前高田ゆめプロジェクト
http://books-rikuzen.jp/

 実は、今年1月にも似たような活動を知って、陸前高田の「一般社団法人 星の陸高・陸前高田応援会」なる団体に古本を送ったことがある。
●参照→576陸前高田に古本図書館
http://datey.blogspot.jp/2012/01/576.html

 これは今回の件とは別のことらしいのだが、その後はどうなっているのだろうか。
 送ってもうんともすんとも言ってこない。言ってこなくてもよいが、その大元らしいサイトを見ても、なんだかわからない。どうなってるのか。

 この「星の陸高・陸前高田応援会」ってのは、もしかして詐欺団体なのだろうか。あの30冊余りの    古本はどこかで眠っているのだろうか。
 それとも避難所にでも行って、被災者が読んでくださっているだろうか。
●参照→陸前高田に世界に誇れる図書館を
http://m.facebook.com/RikuzenLibrary?_rdr

 という前科があったので、今回も警戒しているのだが、全国紙に報道されたので陸前高田市のサイトを見るとこのプロジェクトのリンクバナーがあった。それなら一応信用をおけるだろうと、再度送ることにしたのだ。
 でもまだ信用できないので、古本としては安価なエンタテインメント系だけにした。きちんとした行方の知らせが来たら、次は高く売れる古本を出そうと思う。

652新聞のスポーツ記事はポピュリズムの権化であるよなあ

「回り道の先、夢の舞台」
「日はまた昇る、どん底からのメダル」
「心は今も一つ、姉の声を力に」

あのなあ、新聞てのは修身(ちょっと古いか)道徳の教科書かい、
これらは今朝の朝日新聞の1面と社会面のオリンピックの見出しである。

中身は読まない、いや、こういう見出しだと読む気にならない、
はっきり言って、気持ちが悪い。

読む欄が少ないのでしょうがない、
いつもは見ないスポーツ欄も眺めるか、

あれ、野球もオリンピックでやるのかい、3面もつかって報道、
あ、違った、高校野球と書いてある、
なに、「ぶれない!!勇気!!」
もう、勘弁して。

「中国、「金」、首位でも敗北感」
そもそもスポーツ競技を国家間競争にした奴は誰だよ、
これって、戦争したい奴らのガス抜きかい。

試合をしてない日でも、女球蹴り記事面が広いのはなぜか、
ほかにはたとえばホッケーなんて日本の女はやってないのかい?
あるいはヨットとか、テコンドーとか、
負ける競技は報道しないのか、

勝ったら勝ったで戦争に勝ったように突然大記事になる。

新聞てのは特にスポーツ欄にポピュリズムがよ~くあらわれて、怖い。

2012/08/08

651安売り屋の居直り広告はどこか傲岸な雰囲気で嫌だ

今朝(2012年8月8日)の朝日新聞の一面全部買い占めた広告は、安売り量販店のイオンのビールの宣伝である。

そういえば先ごろイオンのビールダンピング販売のニュースがあった。
イオンへのビールの卸売業者が仕入れ値より安く売り、だからイオンは他の安売り屋よりも安く売った。それが、ダンピングで不当な競争をしたと公正取引委員会からお咎めをこうむったのである。

仕入れ値よりも安く卸して、どうやって生きていけるんだよ、、なんと、ほかの商品を高く卸して、合わせて儲ける仕掛けなのだそうだ。
ということは、イオンもビールは超安値、ほかのなにかは超高値で売っていたのだろうなあ。
店から買うこちとらは、このビールは安いって買ったら、ほかを高く売りつけられていて、どっちにしても安売り屋に儲けさせているのである。

で、今朝のイオンの広告は、安いビールを安く売って何がいけなんだよお、なあ、酒飲みどもよ! 公正取引委員会のお咎めなんて実にけしからん、そういう趣旨である。

おお、お上にたてついて、よくやるよなあ、安売りがんばれ、てな風に読むよりも、なんだか安売り屋のさもしい根性が透けて見える。
俺んちさえよければ、ほかがどうなるかは知らん、ほか奴らも努力すりゃいいんだよ、それをお上がイチャモンつけるのはけしからん、何と言おうと知るもんかよ! そういう雰囲気である。

イオンはこれまでそうやって、資本の力づくで地方都市の郊外に出店して、町の中心部を疲弊させてきた。つまり「まちづくり」の向こうを張って「まちこわし」をやってきたのだ。

この安売りビール事件が、これまでのイオンの態度を象徴している。傲岸さが見え見えで嫌だ。

●参照
http://datey.blogspot.com/2009/03/110.html
110高速道路休日1000円のバカ

http://datey.blogspot.com/2009/03/109.html
109イオンの反省だって?

http://datey.blogspot.jp/2012/02/583.html
583イオンの森と津波

http://datey.blogspot.com/2012/02/584.html
584イオンの津波(続き)

2012/08/04

650半世紀ぶりに行った国会前デモ風景


2012年7月13日のこと、17:00~19:00まで、わたしは国会議事堂前の道路の歩道際の石垣に座りつくしたまま、「再稼働反対」の合唱に耳を傾け、52年前に車道を埋め尽くした渦巻デモの中のひとりであった自分を思い出していた。

●18時半、人々が集まってきだした
http://www.youtube.com/watch?v=UN-SDv_Clr8

●19時前、鼓笛隊がやってきた
http://youtu.be/wSkU-iCuo4c

2012/08/03

649歴史とは継続する文化の重層であるはずだが突然百年飛ぶ東京駅

今朝の新聞の広告に、東京駅の写真が出ている。こう書いてある。

100年の歴史に、
新しい100年が積み重なる。

Over The century
東京の玄関として歴史を歩んできました。数えきれない思い出を見つめてきました。
戦災で姿を変えていた東京駅丸の内駅舎が、世紀を越えこの秋ついに創建時の姿によみがえります。
それは、残っている部分を活かしながら原形に戻す「復原」。
これまでの100年に積み重ねられた歴史と文化を、これからの100年へ。

この広告文については、わたしは異議がある。なんだ歴史認識がおかしいよ。

「これまでの100年に積み重ねられた歴史と文化」のなかで、もっとも重要なことは「戦災で姿を変えていた」ことである。
その変えていた姿こそが、現代に生きている私たちの世代が見詰めてきて、ここで再会や離別の人生模様があった空間であった。


それよりも重要なことは、その姿こそがあの日本の悲劇であった太平洋戦争による破壊と、その後の復興の姿を象徴する記念碑であったことだ。
西の広島原爆ドームに匹敵する、東の東京駅丸の内駅舎という、人間の愚行と再生の記念碑であったのが、それがまったくなかったの如くにきれいに消え去った。

あの「戦災で姿を変えていた」姿は、下半身が第1次大戦の戦勝記念碑、上半身は第2次大戦の敗戦記念碑であり、まさに「これまでの100年に積み重ねられた歴史と文化」を表現していたのであった。
「戦災で姿を変え」る前の姿は、1914年から1945年までの31年間に対して、「戦災で姿を変え」た後の姿は、1947年から2007年までの60年間であった。



   その長い歴史の重層する姿を消し去ったのが、この「復原」工事の結果である。うっかりすると美名に聞こえる「復原」だが、そこには戦争と復興の歴史的証人の抹消という、負の事実もあるのだ。

この日本の悲劇のシンボルを消し去ったという新たな歴史も、決して忘れないように、後の時代に伝えてほしいものである。
もうすぐ8月15日がやってくる。
こうやって、次の時代へと歴史は歩んでいく。

東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)