2012/08/19

659行く夏を惜しんで花火がビルの上に満開

 残暑のある夏の終ろうとする夜、横浜都心のビル群の向こうに花火が上がる。横浜港で打ち上げているらしい。音と光に若干の差がある。


 わたしの住む空中陋屋の外廊下から見える夏の年中行事だが、いまだにそばで見たことがない。
 あれは30年くらい昔だったか、横浜港の花火見物に友人たちとわざわざ来たことはあるが、10年前に近くに住むようになると、まあこれでいいっやって気分である。

 わたしがこれまで見た花火でいちばん満足したのは、小千谷市の若栃という小さな集落での打ち上げ花火大会であった。どうしてそんな小さな集落でやるのか知らない。
 狭い谷間の集落で打ち上げるのを、そばの丘の中腹の暗闇で見ていたから、目の真ん前でドカ~ン、ズド~ンと大輪の火の玉が満開、あたりは一瞬昼間の光景、すぐ闇に戻る。目の下の谷間の棚田の一枚一枚に映る花火の姿が美しい。

 少年時代の故郷の盆地では、河原で花火を打ち上げていた。
 今思えばそれは実にのんびりしたものだった。間を10分以上もあけて、一発づつ打ち上げていた。それでもみんな待っていたものだ。
 最後はナイヤガラの滝という仕掛け花火で終わるのが恒例であった。

 山の上の寺院で打ち上げる日もあった。これものんびりだった。
 盆地の街のどこからでも眺めることができるのだが、遠いから音がしてから見たのではもう終わっている。首を長くしてじっと山の上を見つめていないと、見逃すのであった。
 黒い山並みの闇の上に、小さく丸い花が咲くのは、幻想的であった。花火の遠さと記憶の遠さがわたしの頭でシンクロしている。

 今のように忙しく打ちあげるようになったのは、いつごろからだろうか。

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