2012/08/16

657歴史上の本人になってしまった古老のわたしが建築学会で語ることは

 来月のことであるが、名古屋に久しぶりに行くことになった。
 名古屋には1962年から5年間住んだことがあり、初めの2年が名古屋大学のそばのアパートに住み、ちょくちょく散歩に行った。
 広大な草原と低木の丘陵があったが、いまはもうキャンパスになってしまっているだろう。

 若い槇文彦の名作の名古屋大学講堂が、草原の向こうに白くまぶしく建っていた。
 名大の近くには南山大学があり、アントニン・レイモンド設計の校舎には、あの特徴的な赤い塗料が打ちはなしコンクリート壁に塗ってあった。

 あれから半世紀、しばらくぶりの名古屋大学では、日本建築学会の大会があって、そこでのパネルディスカッションに参加を要請されたのである。
 そのPDが、なんと学会で「若手推奨」なる研究会である。わたしが若手でないことは当たり前であって、実はその若手研究者から昔のことを語れと言われたのである。そう、古老の昔物語である。

 なんでも40歳までの若手研究者が集まって、「前現代」なる時代につくられた都市や建築について研究しているのだそうだ。「前現代」とは聞きなれないが、簡単に言えば1945年から1970年あたりまでを言うのだそうだ。
 つまりその頃がようやく研究対象の都市・建築史の範疇に入ったのである。だから、わたしもその研究範疇に入ってしまったので、お呼びがかかったというわけである。
 要するに「歴史上の本人」(これは南シンボウの命名)に、わたしもなったのである。

 何の話を期待されているかというと、戦後の都市復興時代の都市の建築である。
 戦争直後のころは、日本の多くの都市は戦中の空爆と、その頃たびたび各地で起きた大火によって破壊されていた。
 それを1950年代の半ばからようやく復興へと動き、土地区画整理事業による基盤整備と合わせて、不燃共同建築による街並み形成を進めたのであった。
 その全国各地に建った不燃共同建築は、今も各地の中心部に生きている。その頃の民と官との連携によって市井の人々の協同による努力の結晶として、都市の復興に寄与したのである。

 だが、それら市井の建築は、特に美しくもないから、当時の苦労を評価する人もなく、次第に建て替わっていく。
 あの50年代から60年代にかけての、市井の人々の都市復興にかけた動きを、ここで歴史的に評価しておくべき、今それをやっておかないとできなくなると、わたしは気にしていた。

 そしてここに幸いにして、若手研究者が目を向けようとしている。古老は語っておくべきであろうと、久しぶりの名古屋、久しぶりの学会大会出席である。
 そのパネルディスカションの概要は下記の通り(学会の告知よりコピー)。

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■前現代都市・建築遺産計画学的検討[若手奨励]
特別研究――パネルディスカッション
「前現代」の都市・建築遺産としての可能性を問う

9月13日(木)9:00~12:30 工学部7号館701室

司会  倉方俊輔(大阪市立大学)
副司会 中野茂夫(島根大学)
記録  小山雄資(鹿児島大学)・石榑督和(明治大学)

1.主旨説明 中島直人(慶應義塾大学)

2.主題解説
・設計者として語る前現代遺産
        伊達美徳(まちプランナー)
・昭和の都市、建物の魅力をどう伝えるのか
        鈴木伸子(編集者、ライター) 
・前現代の都市・建築遺産の都市史・都市計画史的意義とその現状
        初田香成(東京大学)
・身近にある前現代建築の魅力とその活かし方
        高岡伸一(大阪市立大学、ビルマニアカフェ)

3.討論
 コメンテーター:北垣亮馬(東京大学)・青井哲人(明治大学)・中尾俊幸(アール・アイ・エー)

 「前現代」は「現代」ではないが歴史として画期が確定したわけでもない、近過去のある時期を指す造語である。
 40歳以下の委員で構成される「前現代都市・建築遺産計画学的検討[若手奨励]特別研究委員会」では、戦災復興期以降、1970年前後までを「前現代」期と設定し、この時期に生み出された様々な都市・建築空間の遺産価値やまちづくりへの活かし方について研究を進めてきた。
 今世紀の都市は、そのありようを肯定するにせよ、否定するにせよ、事実としてストックに埋め尽くされている。そして、我が国における建築ストックの多くは「前現代」期に建設されたものである。
 しかし、そうしたストックは、エイジング=老朽化という図式の下、特に次なる大震災への備えの意識から、耐震性の不足という理由ですでに更新の対象となり始めている。
 我が国の都市の近代は「歴史を消し去る歴史」であったが、これからもその歴史を繰り返すのだろうか。少なくとも、今まだその多くが健在のうちに、それらの遺産価値について議論し、それらを使い続け、都市を成熟させていく、都市生活を豊かにしていくアイデアを用意しておきたい。
 近年、前現代の遺産に対するまなざしは確実に豊かになってきている。かつての近代建築の遺産評価の主流であった作家論や意匠論ではなく、都市論、生活論との結びつきをより強めている。日常生活の中に、これらの「少し古い」ものを自然と取り込む人が増えてきている。
 本パネルディスカッションでは、委員会での議論を土台としつつ、開かれた議論の展開を目指す。実際に設計した立場、魅力を伝える立場、それを日常生活に取り込み、活用を試みる立場、再開発事業に携わる立場など、異なる立場から、前現代の都市・建築遺産とは何か、それをどう評価し、どうまちづくりに活かしていくのかを議論したい。
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●参考
◆大阪立売堀:40年目の防火建築帯は健在
https://sites.google.com/site/machimorig0/itachibori
太田:わが30歳の大仕事・南一番街の30年後の大変貌2001)

https://sites.google.com/site/machimorig0/oota-minamiitibangai

◆横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
◆戦後復興街並みをつくった市井の人々
https://sites.google.com/site/machimorig0/tosinosengo-syohyo
◆日本の都市再開発コンサルタント史(1991)
https://sites.google.com/site/machimorig0/saikaihatu-consul

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