2014/09/23

1000【福島東電核毒地徘徊2】見えない核毒が創り出した見えるべきものが見えない風景に戦慄する

 東電福島原発核毒空爆地帯を行く旅の概略を、核毒地図で示しておく。わたしは実は、東北地方にほとんど土地勘がないので、自分の旅の行程がよく分っていない。
 福島駅から東に向かって、川俣、飯館、南相馬に入って一泊、2日目は南相馬市鹿島区から南に原町区、小高区、浪江、双葉、大熊、富岡、楢葉、広野を経て、いわき駅から戻ってきた。
 今、地図など見ると、まさに核毒銀座を通り抜けてきたのであった。
2011年3月の核毒による空間線量
今年3月の核毒による空間線量
核毒地帯ツアーバスは、福島駅から東へ核毒の地に向かい、川俣、飯館へと入っていく。今はまさに秋の実りの真っ盛り、黄金色の稲穂の海の中を行くのが当たり前のはずなのに、窓からの風景は平地なのに雑草ばかりである。
このあたりは耕作放棄地が多いのだなあ、東北の農業はどうなっているのかなあ、と眺めていたが、はっと気が付いた。もしかしたら、これは核毒汚染で田畑の耕作ができないのかもしれない。
 しかし、それにしてはあれから3年半だから、日本の気候ではかなりの草の背丈になるし、湿性地を好む柳の木が低く生えてきてもよいはずだが、なんとなく草原の様子である。でも牧草地には見えない。

 そのうちに妙な風景が繰り返して出現してきた。広い草原の中に土木重機がいくつも働いているが、なにか建設している様子はない。あたりには真っ黒な袋が無数に置かれている。黄色い幟が建ち並んでいて、「除染作業中」と書いてある。
 あ、そうか、これがあの有名な除染であるか、う~む、こういう風景なんだ、、。田んぼから稲を刈るのではなくて、核毒を刈り取っているのである。

そうか、あの耕作放棄地に見えた草原は、除染なる核毒除去跡地であり、たぶん、毎年草刈りをしているのだろう。だから耕作放棄地ではないから、荒れ地になっていなのである。でも、それでも利用はできないから、ただただ草刈りするだけなのだろうか。
 山林は除染しないらしいから、この草地の背景の山には核毒がみなぎっているのであろう。ということは、キノコやワラビなどの採集はできない。
 立ち寄った神社境内にキノコが生えていた。もともと毒キノコかどうかわからないが、ここでは確実に毒キノコしか生えてこなくなったことになる。
飯館村の虎捕山津見神社境内で見つけた核毒キノコ
この旅の間ではずっと、農業として最も当たり前の黄金の穂が波打つ風景を見ることはなく、旅の最後のいわき市内でようやく稲穂に出会えたのだった。
 例外的に見ることができたのは、核毒汚染田んぼで実験栽培しているところだけであった。
雑草群に囲まれて実験的に栽培している稲
宮城、岩手の津波被災地でも潮をかぶった田畑で、耕作の再生が進められているようだが、こちらの核毒汚染地での田畑の再生はどうなるのだろうか。これからもかなり長い間、浜通りの農業は壊滅状態がつづくのだろうか。
核毒線量が高くない南相馬市内でも耕作されていない田園風景
 上の写真は南相馬市の田園の現状だが、もしも東電原発核毒空爆事件が無かったら、下のような風景であったはずだ。
もしも核毒事件無かったら、こんな稔りの秋の田園風景になっているはずだ
とにかく、黄金色の収穫に季節の真っただ中にいながら、それがまったく見えない風景は、実に気持ちが悪いものであった。
 もしも、この状態は続くと、そのうちに草取するのがむなしい作業となり、下のようなあれから3年も放棄したままの荒れた田園風景になるかもしれない。日本の自然の回復力はスゴイものだ。
浪江町で全く放置されたままの田んぼは3年でこうなっている

 人も街も田畑も山谷も、普通なら見えているものが見えない風景の旅、見えていないものを観る旅は、なかなかに興奮させられたのであった。
 それは核毒という見えないものが創り出した風景である。これには戦慄して、疲れた。
           (つづく、次は除染つまり核毒除去作業の風景の話

参照→地震津波核毒おろろ日録
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html

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