昭和天皇実録が公開されたと、新聞が報じている。
記事の中で面白かったのは、太平洋戦争の最末期に、宇佐、香椎、氷川の3神社に敵国撃破の祈願をしていることだ。
天皇が神社への祈願とは、その神社に敵国退散を祈らせることである。
太平洋戦争よりも700年ほども前のこと、日本では元寇という戦争があった。
この蒙古襲来の文永・弘安の役の時に、鎌倉幕府が武士を動員して実際の戦闘を受け持ち、京都朝廷は寺社を動員して神仏に元軍撃退を祈願することが役割だった。
そして朝廷の祈りが通じて、神仏は暴風雨を起し、元・高麗連合軍指導者の仲間割れをさせたり、作戦間違いさせたりして、元寇撃退は成功した。
というわけで、太平洋戦争末期もその成功に倣うことにして、天皇が神頼みしたのだろう。でも、700年後は神に見放されたのであった。
ところで、元寇あるいは蒙古襲来と言われる文永・弘安の役の敵国軍は、元と高麗つまり今でいえば中韓連合軍であった。
元とはフビライのモンゴル帝国であったから、今は縮小したがモンゴルである。
モンゴルと日本とのその後の戦いは、1939年のノモンハン事件が有名である。このときは日本軍がモンゴル・ソ連連合軍に敗退したから、モンゴルから言えばリベンジになったのだろうが、文永・弘安の役のように日本領土侵攻ではなかった。
それからさらに世紀が変った今、日本領土の中にモンゴル軍は、いつのまにか、しっかりと侵攻してしまった。大相撲である。
いまや大相撲は、日本国技ではなくて国際競技というべきプロスポーツの世界となり、完璧にモンゴル軍に席巻された。
モンゴルは文永弘安の役敗退のリベンジを、文化侵攻で見事に果たしたのだった。
では高麗のその後、つまりコリアとはどうか。
ゲリラの倭寇は別にして、文永・弘安の役と逆に豊臣秀吉が日本軍をもって朝鮮に侵攻したは、1394年と1397年であった。日本側のリベンジだった。その後は1910年の日韓併合になってしまう。これはリベンジが行き過ぎた。
モンゴルが相撲で日本侵攻を果たしたように、コリアもいっときは韓流映画で日本侵攻成功かと見えたが、今は下火になったようだ。
でも、いつかはコリアも文化リベンジを果たしそうだ。
さて、神仏に頼る話に戻ると、アベさんやら大臣のお方たちは靖国神社へちょくちょく何事か祈願されているようだから、そろそろ文永・弘安の役時代の成功譚が復活するかもしれないなあ。
なんとかミクスが失敗して大不況が来たら、伊勢や靖国に不況退散祈願かもなあ。
そういえば、スポーツ競技会に出る選手が試合での勝利とか、政治家が選挙立後補して当選とか、神社で祈願するのが流行とか聞いたが、効き目はどうなんだろうか。
では、この際、こういうのはいかがか。
このところ大地震とか大型台風とか大雨とかが多いし、南海トラフ大地震とかが予想されているので、大災害撃退を神仏に祈願することを、天皇とか政府がやるのである。
天皇には戦争末期の「御祭文」を、このようにお書き替え下さって、よろしく。
「日本国の荒廃につながる甚だ由々しき難局にしあれば、国内ことごとく一心に奮い立ち、あらん限りをかたむけつくして、災害をうちやぶりこと向けしめんとなも思し食す」
うまくいけば、いいね。神様仏様キリスト様マホメット様、よろしく。
0 件のコメント:
コメントを投稿