核毒元凶の第1原発から2kmほどのところを通るので、バス車内の空間線量は9マイクロシーベルトくらいまで上がった。怖いからこのバスもほかの車もかなりの速度を出している。
ここらあたりの国道の海側は、廃炉中の原発に加えて、各地から集めてくる核毒汚染ゴミなどの中間貯蔵場になる計画があるので、この先何十年も高い高い核毒線量の世界になるのだろう。
それにしても、廃炉や中間貯蔵場で働く人たちの健康はどうなるのだろうか、それらにかかる費用は電気料金に乗ってきて、結局は原発核毒産業からツケがまわってくるのだろうか。
国道から沿道地域に無許可で入ることは禁止である。左右にはバリケードがつくってあり、街への侵入を阻止している。
帰還困難区域には関係者しか入れない。それも月2回、年間15回までに制限される。なんだかものすごいことが起きているのだが、実際に困難区域の中に入ると、目には地震の他は何事も起きていない街があるのだろうから、怖い。
国道の両側にはバリケードがある帰還困難地域 |
帰還困難地域内を走るバス内の放射線量 |
帰還困難区域を走り抜けて、富岡町の常磐線富岡駅前でバスを降りた。
こことても、富岡のこのあたりはつい最近になって居住制限区域から避難指示解除準備地域になったところだ。かといって当分は人が住める街ではない。
傾いたり、ガラスが壊れたままの家も多い、人も自動車も通らないゴーストタウンである。
富岡ゴーストタウン |
富岡駅から駅前の街を眺める |
富岡駅もゴーストステーションである。プラットホームも線路も、鉄道草と言われるにふさわしいセイタカアワダチソウが茂っている。
ホームに立って向うを見れば、そこはすぐに太平洋である。あそこから津波がやってきて、この駅も洗ったのだろう。ホームの屋根からつりさげられた案内板などが、一様に陸側にアゴをあげているのは、津波がそこまで届いたのだろう。
富岡駅の惨状 |
富岡駅の向こうに太平洋が見え、海岸に真っ黒袋が積み上げてある |
富岡町は東電福島第2原発のあるところだ。第1原発のような事故にはならなかったが、今は止まったままだ。駅から南にその第2原発の排気塔が見える。
海岸伝いに原発から2kmほどのところに近寄って眺める。海辺までのびる台地の先の海辺に建っている。
その手前に除染で出たらしい核毒真っ黒袋がたくさん並んでいる。飯舘村で見て以来であるから、このあたりも核毒除去作業をしているらしい。核毒袋と原発はよく似合う。
核毒袋の上で測ったら0.850マイクロシーベルトだった。飯館村で核毒袋の上で測った時は8.22マイクロシーベルトだったから、ここの袋は比較的弱いようだ。
福島第2原発排気塔が見える富岡駅前核毒袋集積所 |
東電福島第2原発と核毒ゴミ袋のある富岡町の風景 |
核毒袋の線量 |
向うには東電福島第2原発、手前には津波で壊れた防波堤 |
海岸から遠望する第2原発の様子は分からないが、わたしが乗っている防波堤の壊れ具合は、たぶん、第2原発のあたりも起きていることだろう。
原発は発電余熱の冷却のための海水を使いやすいように、こんな海辺に建てているのだろう。だったら海岸段丘の上に建てればよさそうなものを、わざわざ丘を削って低い平地を海辺につくって、そこに建てたものだから津波の餌食になった。海水を丘の上に汲みあげるランニングコストと、丘を切り崩すイニシャルコストを比較して、後者を選んだのだろうか。設計思想に問題がありそうだ。
このあたりの人たちは、あの日の第1原発の爆発のニュースを知って、第2原発にも起こるに違いないと、恐怖の日々であったに違いない。それはなかったが、津波を追いかけて核毒はここにもやってきた。
第2原発排気塔を背景にして昨日から久しぶりに黄金色の稲穂の田んぼを見た。だが、その田んぼの他は草ぼうぼうだから、やはりここも試験栽培であるらしい。
豊葦原瑞穂の国にいることを忘れさせる旅であった。
向うに第2原発の排気塔、そのこちらに試験田の黄金の稲穂、そして周りは雑草原 |
(つづく、核毒味つき?クリの実を拾ってお土産にした話)
参照→地震津波核毒おろろ日録
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html
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