2014/09/25

1002【福島東電核毒地帯徘徊4】除染でつるつるに剥ぎ取られる村は本当に昔に戻るのだろうか


実に立派な建物だが、誰も来ない村役場
村役場前の広場にある放射線量計は0.43マイクロシーベルト
参考のために、震災前の全国の放射線量を載せておく。


 福島県飯館村は、全村民がどこかよその町に避難して誰も居ないはずなのに、村の田畑や村落は今、かつてないほどの賑やかさである。
 どこもかしこもお祭りのように黄色の幟旗がはためき、田畑にはせっせと働く人たちが見え、土木重機やトラックが動き回り、どこもかしこも大量の黒袋や青テントが置かれている。
 降り積もった放射性物質の除染作業、つまり核毒除去工事が真っ盛りの風景である。
手前には核毒詰め黒袋、向こうには核毒土鋤取り中の重機

田畑を漉き取った土を積んでシートをかけておく

 「除染」とは妙な言葉である。今回の事件で初めて知った。それまで聞いたこともなかったが、昔からある言葉だろうか。汚染した汚物を取り除くのだから、除染じゃなくて「除汚」でしょ。
 放射性物質というのも科学用語かもしれないが、庶民には分かりにくい曖昧な言葉である。はっきり「核毒」といいなさいよ。
 昔、足尾の古河鉱山から垂れ流した有名な公害事件では、「足尾鉱毒事件」と言った。
 今、福島の東電原発から垂れ流したのは、「核毒」というべきである。そう、これは「福島核毒事件」なのである。

 さて、飯館村中での核毒除去作業だが、なにしろ農村だから田畑がひろがる。そこを草刈りして、土木重機で表土を漉き取る。地球の皮をはいでいるようなものだ。
 屋敷では、家屋の屋根や壁を雑巾で拭き、庭は草を取り、庭木は伐り倒し、畑は表土をすき取る。
 屋敷や道路の側の林は、その林縁から20m奥まで、低い枝を落し、下刈りし、落ち葉を掻く。その林内は、まるで都会の公園の中のように、足元はすっぽんぽんの中高木ばかりになっている。
 植生学者の宮脇昭さんが見たら、ソデもマントも林床草本も低木も無いなんてと、真っ赤になって怒りそうだが、そうも言っていられないのが現実だろう。
森の林縁も林床もつるつるに掃除されている
そうやって伐ったり採ったりした枝葉、落ち葉、畑土などは、核毒まみれだから川に流したり、燃やしたりしてはいけない。集めて真っ黒なプラスチック製の袋に詰め込む。
 作業するひとたちも核毒に触れないように重装備である。暑そうだ。
 山林に降り積もった核毒は、ほったらかしにするそうだ。山林面積の方が田畑や宅地よりもはるかに広いのだが、、。

 それでも膨大な黒袋になる。濃縮核毒袋である。村中のどこもかしこも黒袋だらけである。
 さて、そうやってつくったたくさんの黒袋を、最終的には核毒処理場に運んで行くはずだが、それがまだ決まらないから、持っていけない。
 しょうがないから、最終が決まるまでは中間貯蔵場に集めることになっているが、その中間も決まっていないから、村の中に仮貯蔵場を何カ所か決めて、そこに集めている。
 濃縮核毒袋を集めて積み重ねているから、そのあたりはますます核毒が強まる。
真っ黒核毒袋に線量計を載せて見たら、なんとまあ8.220マイクロシーベルト
ところが、黒袋はあとからあとから生まれて来て、村内仮貯蔵場も満杯になるから、仮仮貯蔵場を設ける。ところがそこも満杯になって、しょうがないから仮仮仮貯蔵場を設けて、だが、そこも満杯になって、、ああ、きりがない。
 そうやって村中に核毒濃縮黒袋が蔓延している風景は、異様である。だが、見慣れてくるとそれが普通に見えてくるから、困る。
 この黒袋蔓延現象は、これから除染という核毒除去をする地域でも、同じことが起きるのだろうか。何時になったら毒は消えるのだろうか。消えたら、人々は戻ってくるのか。
仮置き場では積み上げた黒袋に鉛入りの布をかけているから線量は0.654マイクロシーベルト
この核毒除去作業を人間の顔に例えると、顔面の産毛も眉毛も睫毛も剃って、皮をはぎ取ってから、尻か腿のあたりの皮を移植するようなものだ。
 頭の毛の生え際あたり剃りを入れるが、頭髪には何もしないということだ。

 とにかく、村の田畑は皮をはがされている。田畑の表土は作物を育てるための栄養豊かな土壌だから、そこをはがされては田畑でなくなる。田んぼのあちこちにはがされた表土が積んであり、青テントで覆われて黒袋に詰められるのを待っている。
 そのはがされた表土の代わりに、どこかの山を崩して土を取り、それを覆土するのだそうである。飯館村内の鳥獣保護区と看板がある山を、大規模に崩していた。ここから赤い土を取って、田畑に持って行くのだそうだ。
この山を崩して土りを取り、田畑に覆土する
だが、この山砂で田畑に覆土しても、作物の出来る田畑にはなるまい。かといって、山から落ち葉を拾って田畑に撒くわけにもいかない。稲藁はもちろん無い。
 化学肥料の出番なのか、それともこれから何年か毎年に生えてくる雑草を刈り倒しておけば、腐って栄養になるのか。どこかから稲わらや腐葉土を買ってきて入れるのか。
 幸いにして日本列島の気候は湿潤だから、山砂の田畑にも草が生え、低木が育ち、中高木が繁って、自然の風景になるには10年ほどだろう。でも人間は10年の間に、生れ、育ち、老い、死ぬ。元には戻らない。

 まったくの余所者の慨嘆だが、いったいこの作業はどれほど金がかかり、どれほど実効あることなのか、わたしはため息ついて眺めるばかりだった。
 でも、そのようななかでも、村は未来を描いているのだ。題して「いいたて までいな復興計画」。ほんとにその健気さに頭が下がる。
「いいたて までいな復興計画2014」にある村の拠点整備計画イメージ図
上の拠点整備計画地区はただいま核毒除去作業真っ最中
飯舘村において核毒除去作業(除染という)を実施する面積は、5600ヘクタールもの広さである。しかし、村全体は23000ヘクタールもあるから、除染面積は24.3パーセントに過ぎない
 核毒まみれのままの山林地帯から、これからも雨風に乗って核毒は降り流れ下るのだろうか。


つづく、さて次は南相馬から浪江町へ

参照→地震津波核毒おろろ日録
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html


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