2016/04/22

1189【地震津波核毒おろおろ日録】ヒビ割れだらけ日本列島で天災人災から少しでも安全そうな地域をネット徘徊で探す

●天も地も右も左も上も下も大揺れの日々

 災害は忘れぬうちにやってくる。
 熊本を中心にして九州のお方たちは、いま、揺れる大地におそれおののいておられることでしょう、心からお見舞い申し上げます。
 日本列島では、お見舞い申し上げる立場が、明日は逆転して申し上げられる側になるのが、悲しい。
 
 「地震雷火事泥棒」と言っていた日本伝統の災害番付は、今や「地震津波原発ミサイル」と言い換えなければなるまい。
 日本列島のあちこちで地震が起きると思ったら、あれから5年でまたまた九州で大地震、そして太平洋の向うの南米でもおきて大勢の人が死んだ。
 火山の噴火も奄美とか箱根とか桜島とか阿蘇とか、煙を派手にあげる。
 負けてはいられぬと地震ナマズが奮い立って、熊本あたりで大地震を起したらしい。次はもうちょっと南に寄って南海トラフで暴れるぞって、ナマズも健在を誇示している。
 ヒビワレ煎餅かコナゴナ硝子板かの日本列島は、はたして人間が住むところなのか。

きな臭いのは大地ばかりじゃなくて、人間の方だよなあ。集団的自衛権行使問題なんて、東京のあたりを震源地にして、人間ナマズが暴れている。
 北方の海の向う半島付け根あたりから、日本列島の軍事基地とか核毒発生施設(原発のこと)めがけてミサイルが飛んでくるかもしれない。基地と原発からから遠くに住みたい。
 もう、この日本列島では、どこにに行けば安心して暮らせるのか、皆目分らない。
 外国に逃げ出す金力も気力もないしなあ。

●日本列島で比較的安全なところは、あるか?

 ということで、しょうがないから、せめて日本列島の中で暮らすに、ちょっとは安心できそうなところを探しに、これからネット徘徊にでかけよう。
 その条件は次のようである
(1)地震がないって無理だろうからせめて他と比較して少ないところ
「日本全国広域 最新30日間の震央分布図 (独立行政法人防災科学技術研究所)」
 http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/

1923年~2013年のM6以上の地震発生地図
http://kojishin.iinaa.net/jishinmap6.html#

(2)海で地震があっても津波がやって来ないところ
「国土交通省 津波ハザードマップ」
http://disaportal.gsi.go.jp/viewer/index.html?code=4

(3)噴火する活火山から遠いところ
「国土交通省 火山ハザードマップ」
http://disaportal.gsi.go.jp/viewer/img/japan/s6.gif
「内閣府防災情報 日本の活火山分布

(4)核発電所から遠いところ
「全国の原子力発電所の周辺人口(2005年)埼玉大学谷謙二研究室」
 http://ktgis.net/tohoku_data/genpatsu/
このページはスゴイ。
 
(5)軍事基地から遠いところ
これがアメリカ軍の日本での基地の分布

 もちろん、このほかに気候とか地形とか便利さとかもあるけどね。
 ということで、これをお読みのあなたは、どこかよさそうなところが見つかりましたか。

●地方創生は安全な地域であることからだな
 
 ところで、上に見た地図類は、どれもこれも危険なものがある場所を示すものばかりである。しかもこれらを一緒にした地図がないから、安全な地域を探すのがけっこう面倒である。
 どうして安全地図というか、逆ハザードマップがないのだろうか。誰か作ってくれるとありがたいのですが。

 近ごろ、痴呆じゃなくて地方創生なんて政策で、日本列島でだんだん減っていく人間を、各地域で奪い合う作戦を練っているらしい。こちらの地域こそいいところだと宣伝するのだろう。
 そこでこういう宣伝したら効果あると思いますよ。
 こちらの地域は昔から地震は少ないでのすよとか、つい最近大地震がったから100年以上は無いでしょう、とか。
 海から遠いから、絶対に津波はきませんよ、とか。火山からも遠いですよ、とか、核発電所から200キロ以上離れていますよ、とか、米軍基地も自衛隊基地もありませんよ、とか、。
 それを見ると、きっと移住してくる人が増えるような気がする。そんな地域逆ハザードマップを作ってはどうですか。
  
 実は、わたしもそう言う想いでいろいろなハザードマップを見ていて、わたしはなんとマヌケなんだろうと気が付いたことがある。
 それは、わたしが捨てた故郷が、日本列島の中でも有数の安全な地域らしいのである。今ごろそれに気が付くとは、なんとも皮肉なものである。
わたしが捨てた安全な故郷は高梁
 それでも、わたしには、身近に安全な場所があることを知っている。
 それは、あの世である。死んでしまえば安心も安全もないもんだ。
それを思うと気楽なもんだ。

●参照:地震津波核毒おろおろ日録
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html


2016/04/20

1188【五輪騒動】神宮外苑地区計画の変更原案を東京都で縦覧中、その内容から妄想する都市計画の公益性とは?

●新国立競技場がらみの都市計画変更原案がでてきた

 新国立競技場がらみの都市計画の変更原案が、東京都と関係3区で縦覧に出ている。5月6日までに、意見書を出すことができる。
 新国立競技場がらみの都市計画である、外苑地区地区計画が決まったのは、2013年6月のことであった。そのときは誰も意見書を出さなかったので、原案通りに決まった。
変更計画の新旧比較一覧
色つきの3地区が今回変更あり、その他は変更なし
 ザハハディドの案がなんだか問題になってから、あの都市計画はオカシイ、高さを高くし過ぎたとか、霞ヶ丘都営アパートを廃止して公園にしたのがケシカランとか、いろいろな人が騒いだ。
けれども、法律上の手続きはとっくに終ってしまっていたから、いくら言っても後の祭りであった。なんであの時言わなかったのか。
 それに懲りて、こんどこそはこの変更案に、誰か意見書を出すのだろうか、どうだろうか。都民なら意見書だす資格がある。

 この前のときに、新国立競技場に関係する国や都、区の土地ばかりか、神宮外苑やその周囲の一部の民有地までも、一つの地区計画に含まれていた。
 オリンピック主会場として建設するために急いでいる新国立競技場関係の土地のところは、内容を決めて都市計画決定したが、そのほかのところは、どさくさまぎれにかどうか知らないが、内容は決まらないがとにかく地区計画の区域に入っておこうということだったらしい。
 
 そのときは内容が決まらず形式的に区域に入っていただけの外苑ハウス部分が、実体的に内容が決まったことと、JOC・日本青年館敷地の北隣の三角公園跡地あたりの既に決めたところも変更があるとて、その内容を書き込んだ地区計画の原案を作ったので、変更の都市計画決定をしたいというのである。

 三角公園あたりは、地区施設の広場に設定されており、そことJOC・日本青年館敷地との間には、外苑ハウスの敷地の一部が挟まっている。
  この縦長にまとまった土地を、JSC・日本青年館とJOC・岸記念会館の2つのビル敷地にするように変更するそうだ。地区施設の三角公園広場も、敷地の一部であるらしい。
2016年4月に縦覧の外苑地区計画変更原案の変更対象地区

●外苑ハウスの地区計画の詳細が決まったらしい
 
 新国立競技場とは関係ない民間共同住宅の外苑ハウスは、これまでは詳細が決まっていなかったのを、追加変更した。
 現在の容積率は200%、これが400%に倍増する。現在の高さ制限は30m、これを80mにするとあるから3倍近い。かなりの緩和である。
 計画では、敷地の一部であるスタジアム通りに通じる通路状の部分(図の)が、上記2ビルの敷地に取り込まれたので、その分の敷地面積(400㎡程か)が減少するようだ。土地売買があるのだろうか。

 敷地がスタジアム通りに面しなくなって、裏の狭い幅4mの区道に接するだけとなり、そのままでは建替えが不可能となるはずである。どうするか。
 その対策であろうが、外苑西通りから入ってくる区道を、4mから12mに拡幅するとしている。拡幅るための用地は、都営住宅跡地の明治公園である(図の)。その長さは80mとあるから、640㎡、つまり都市公園の面積がそれだけ減少するのである。
 
 敷地内の北境界沿いに幅6mの歩行者通路、同じく南境界沿い幅4m以上の緑道、西の道路沿いに幅4mの歩道状空地、敷地西寄りに1000㎡の広場、同じく南寄りに400㎡に広場を、それぞれ設けることとしている(図の緑色部分)。
 つまり、容積と高さの緩和は、これらの地区施設となる空地を敷地内に設けて、これを一般に公開することと引き換えになるのであろう。

●外苑ハウス建替えで街の環境が大きく変わる

  ここまでは外苑ハウスがらみの地区計画変更の中身を紹介したが、ここからわたしの個人的コメントを書く。
 念のために書いておくが、わたしはこの地区のあたりにも、ましてや外苑ハウスにも、何の関係もない。単なる都市計画フリークの閑な老人のボケ遅延防止策として、なにやかにや勝手に考えて書いているだけであることを、おことわりしておく。
 ただし、公益的な都市計画であるから、関係のない一般市民がそれについて書いても、許されるであろうと思っている。

 外苑ハウスの容積率や高さの規制緩和は、敷地内に設ける二つの広場や緑道、歩行者通路、歩道状空地という公開しなければならない地区施設と引き換えであろう。それらが相互に引き換えに相当する価値があるのかどうかは、わたしは分らない。
 しかし、そのその地区施設によって、この地区及び周辺市街地環境がかなり変化することは確実だろう。
 現在の外苑ハウスは、表通りからは奥まったところにあり、まわりを金網で囲ってあって、近寄りにくい建物だった。いわばゲーティッドコミュニティである。
右が現・外苑ハウス、この狭い裏の区道は拡幅しないが、
右の敷地側に4mの歩道状の空地を作るから広くなる
地下鉄外苑前駅に抜けるこの狭い裏道は人通りが大幅に増えるだろう
ところが建て替えると、建物外部の敷地の大半は、公開しなければならない地区施設になるので、敷地の多くは広い開放空間となる。
 しかも、一階には住宅以外の賑わい交流施設も導入するとあるから、建物への一般の人の出入りも多くなるのだろう。
 北隣りは公園だから人の出入りは自由、東隣のJOCやJSCなどのビルの敷地もまわりに緑道や歩道上空地の地区施設をめぐらすし、西からの区画道路を拡幅するなど、この外苑ハウス敷地にまわりから流れて込む人の動線はかなり太いものになりそうだ。

 とくに新国立競技場から地下鉄外苑前方面へ流れる観客の動線が、こちらに大量に入ってくることだろう。ここから南へと区道も人通りが多くなり、これまでの静かな裏町ではなくて、かなり賑わうことになるだろう。
 このさき、都営霞ヶ丘住宅跡地に新霞ヶ丘広場ができて、外苑ハウスまわりの広場や緑道が整備されて、狭い道路が広くなると、この裏道がどう変わっていくか、おおいに興味がある。
外苑西通りから外苑ハウスへのこの区道は左に拡幅して3倍の広さになる
左は廃止されて公園になる都営住宅、正面に現・外苑ハウス

●オリンピックは公益に寄与するのか

 一民間施設である外苑ハウスという共同住宅が、なぜ新国立競技場がらみの都市計画にはいっているのか、わかりにくいのである。実は今もわからないので、そこを考えてみる。
 外苑ハウスに再開発等促進区をかけてまで、その建て替えを都市計画で応援する公益的意味があるのか。
 都市計画とは、公益のために行うものであるから、それによって私権への優遇をするなら、かならずその公益的見返りが必要である。つまり、建築の規制緩和は、その規制強化と対になるものである。これを通称「アメとムチ」という。

 外苑地区計画の区域を見ると、外苑ハウスの敷地は半島状に突出していて、不自然なゲリマンダーに見えるのである。ここだけがなぜ飛び出し半島状に指定するのはどうしてか。
 その隣の学校や、裏道の向うの寺院や住宅地は、なぜ地区計画の区域に入っていないのか、整備しなくてもよいのか、
 これが提案型都市計画だから、提案する地権者に入っていなかったからだろうけれども、提案を受けて都市計画を定めるのは東京都である。提案のままでよいのか。
 なぜ外苑ハウス建て替えに、都市計画という公益性が賦与されるのか。

 そこでわたしは思案したのだ。オリンピックは公益に寄与する事業だから関連する事業も公益であるのであろう、たぶん、そのように一応の仮定をするしかないのである。
 JOCや岸記念会館ビルは、オリンピック推進に関係が深いらしい。そのビルを建てる用地を確保するために、外苑ハウスのスタジアム通り側の一部(図の)を必要とする。外苑ハウス側としても、ちょうど建て替え時期が来ていたので、それにひっかけたい。そして交渉の末に、その提供と確保が成立した、のであろう、たぶん。
 これが公益的必要性の理由だろう、たぶん。

 で、その敷地減少に見合うように、容積率をかさ上げしたのだろう、たぶん。いや、敷地を売った土地代が入っているハズから、それもおかしいなあ。
 でも、それだけでは外苑ハウスが納得しなかったのだろうなあ、たぶん、だから地区施設の整備も合わせ技にて、容積率も高さもかなりの緩和をして、それで手を打ったのであろう、たぶん。と、これが公益的理由かもしれない。でも、、、

外苑ハウスは都市公園法も許す公益上特別必要か

 ところで、外苑西通りから入ってくる区道を、幅4mから12mに拡幅しているのはどうしてだろうか。
 これは、たぶん、前面道路幅が狭い4mでは外苑ハウスの建替えが法的に不可なので、取り付け道路として12mに拡幅するのであろう。
 だが、その拡幅用地として公園用地の一部(図の)を充てたことについては、どう解すればよいのだろうか。
 一民間共同住宅の建替えのために公園用地をつぶすのだから、その土地代と道路工事費を、外苑ハウスが負担することになっているのだろう、たぶん。

 そしてまた気になるのだが、都市公園面積の減少を禁止する都市公園法16条にいう例外措置「その他公益上特別の必要がある場合」に該当するのだろうか(参照:追記2)
 だって、外苑ハウスって一民間共同住宅の建て替えのためですよ、これが「公益上特別必要」かなあ、でもまあ、なんせオリンピックの日本総本山JOCビル建設のためだもんなあ、ってことかしら。
 そして、都市公園の都市計画変更も必要なように思うが、なぜその変更原案が、今回だされていないのだろうか。
 
 なお、外苑ハウスを地区計画に入れて、建て替えを促進している理由のひとつに、オリンピック競技場まわりのテロ対策があるかもしれないって、わたしの妄想については既に書いたから、ここで繰り返さない。
http://datey.blogspot.jp/2016/04/1185.html

 最後に、まだ詳細が分らないが、ここで土地区画整理事業を行うそうだ。区画整理とは、土地の入れ替えをしたり、道路や公園をつくる都市計画事業である。

 でも、都市公園用地の確保と言ったって、都営住宅跡地をそっくり移管するだけのことだ。
 土地の入れ替えがあるのは、図ののところだけである。
 道路を作るのは図ののところだけだが、これも都営住宅跡地の一部を移管するだけだ。ほかには区画整理するべきところがない。
 まあ、工事をするってことはあるが、それをわざわざめんどうな区画整理事業にとりこんでやる必要はないだろう。
 事実上たった一か所の土地移動だけのために、シチメンドクサイ手続きのある土地区画整理事業を施行するのは、なぜだろうか。
 まあ、その理由についてある程度は想像はつくが、どうもオカシイ。
 
●話を簡単にまとめるとこうなる
 
 地区計画と土地区画整理事業という都市計画を使って、ひとつの民間共同住宅ビルの建替え事業を行う。
・外苑ハウスが敷地の一部(図の)を、JOCビルの敷地に譲ることにした。
・そうすると外苑ハウスの前面道路幅員が4mになって建て替えが不可能となる。
・そこで外苑西通りから入る区道を都市公園用地(図の)を充てて12mに拡幅する。
・外苑ハウス敷地内に広場や緑道を設けて容積率と高さを大幅に緩和する。
  
 これを外苑ハウス建て替えに関する公益と私益で考える。
・公益に資する件は、外苑ハウス敷地のなかの地区施設である緑道や広場である。これは私益にも資する。
・私益に資する件は、容積率と高さの大幅な緩和である。
・公益を私益のために資する件は、の道路拡幅である。

 普通の共同住宅建替え(通称マンション建て替え)は、その敷地が未利用分の容積率を使うことで事業採算を成り立たせる。
 ところが外苑ハウス建て替えは、容積率も道路も建替え不可能な条件にあるところを、都市計画を使って可能にする。ものすごい荒技で、さすがにオリンピック便乗はスゴイ。
 これを前例にして、このあたりは次々に地区計画の範囲をゲリマンダーに拡大して行き、どんどん都市計画変更して容積率や高さを緩和していくのだろう。うまいことやるものだ。
 このような都市計画を都や区の都市計画審議会が、どう審議するか楽しみである。
  
 このあたりで妄想をいったんおしまいにする。
 この神宮外苑あたりの都市計画に、わたしは何の関係もないのに、その一部分の外苑ハウス地区だけでも、いろいろと分らないことがあって、実に楽しく妄想できる。
 老人のボケ遅延策になってありがたい。これからも続けたい。

(追記1 2016/04/21)
 念には念を入れて書き添えておきますが、上の一文は、この都市計画について、わたしが疑問に思ったことを、ひまにまかせて書き連ねているだけのことです。これをお読みの方は、わたしが外苑ハウス建替え反対運動をしていると解されたら、それはまったくの誤解です。それについては賛成とか反対とかいう立場にありません。そのための都市計画の公共性を懸念しているだけです。念の為。(まちもり散人=伊達美徳

(追記2 2016/05/25) 
 フェイスブックでAtsumiさんという方が教えてくださったのですが、(図の)の部分は実は公園用地指定になっていませんでした。都営霞ヶ丘アパート用地を公園に指定するとき、予めこの部分を除外してあったのでした。都市計画決定の図が小さくて、その部分を判別できなかった、わたしの判断の誤りでした。したがって、都市公園法上の問題はないのでした。
 

●参照:五輪騒動まちもり瓢論
 http://datey.blogspot.jp/2016/04/1185.html


2016/04/16

1187【地震津波火事核毒】もういいかげんにしてくれ~未練はないけどこの世をいやになっちゃうよ~

 こんどは九州で大地震がただいまどんどん発達進行中である。こわい。
 なんだか震源地が北東に進んでいて、もうすぐ四国にわたって伊方原発直撃だろうなあ。
 そして南西にも進んで行けば、薩摩川内原発を直撃、おお、どうするのだろうねえ。
今さら核発電をやめても、完全に危険でなくなるまでには何十年、何百年もかかるとかで、こうなったら毒を食らわば皿までって覚悟して、あきらめの境地でこの列島でよろよろと生きて行くしかないのかなあ。

 ちかごろ身に覚えがあるだけでも、1995阪神淡路、2004中越、2007中越沖、2008岩手宮城、2011東日本+福島核毒、2016熊本・大分、もういいかげんにしてくれ~
 どこか安心して暮らすことができる所をおしえてくれ~。あ、そうか、一番手軽に行けるその地をおもいついたぞ、そう、あの世である。

2016/04/10

1186【大阪傾奇き建築・その2】継承される絢爛桃山風ファサードは何のアイデンティティの表徴なんだろうか

 大阪にあった新歌舞伎座と言う芝居小屋は村野藤吾のデザインだったが、これを高層ホテルに建て替えるにあたって、その建築に村野デザインを継承する話【大阪傾奇き建築その1】の続きである。
 で、その新登場するホテルの名は、「ホテルロイヤクラシッ大阪」(仮称)だそうである。長たらしく面倒だから、ここでは「HRCO」と言うことにする。
HRCO計画図(事業者公開資料を引用して作成した)
●歌舞伎座とつけば東京も大阪も隈研吾か
 東京の歌舞伎座は、もとの場所で腰巻コピーして、超高層ビルを従えて、隈研吾デザインで再登場した。ところが、大阪の新歌舞伎座は、名前と興業内容はおなじでも、まったく別の場所にまったく別の姿で再登場したのである。
 東京歌舞伎座はあの岡田信一郎から吉田五十八へ、そして隈研吾へと継承されたデザインがアイデンティティとなっていたのに、移転した大阪新歌舞伎座では、あの村野デザインの絢爛桃山風の衣装を脱ぎ捨ててしまって、全く継承していない。

 古来の唐破風は、格式の高い意匠として、格式ある建物正面や、貴顕専用の出入りのための正面の門の意匠として、中央部に孤高を保って位置するものなのに(近代になって遊郭や風呂屋でも)、これは軒唐破風が左右にも上下にも連続して、まるで簾のごとくに建物を覆って大盤振る舞いのである。
 その逸脱ぶりは、まさに歌舞伎ならぬ傾奇である。その傾奇くデザインを、なぜに新・新歌舞伎座は継承しなかったのか、そのことも傾奇現象のようにも思えてくる。
 関西での歌舞伎上演は大阪松竹座と京都南座であったから、名は似通っていても歌舞伎と新歌舞伎座とが結びついていない奇妙な現象(これも傾奇か)、結果としてこのようなことになったのだろうか。
 
 そのような大阪の土壌において、大阪新歌舞伎座の桃山風連続唐破風と欄干ファサードを、そっくりそのままHRCOにコピー腰巻にするようだ。いま腰巻と書いたが、絵をよく見ると御堂筋の表側だけのようであるから、腰巻ではなくて相撲取りの化粧まわしというほうが適切なようだ。
あの特異なファサードをコピーするのだから、このHRCO設計は当然のことに村野・森建築事務所の後継「MURANO design」であろうと思った。ところが、ホテル事業者の株式会社ベルコによるプレスリリースでは、設計は隈研吾建築事務所と鹿島建設だそうである。
 エンジニアリングは鹿島が担当であろうから、以前の建物では村野と大林でどちらも地元大阪出身だったが、こんどはどちらも東京であるのが違う。

 隈さんと言えば、あの東京の歌舞伎座をデザインした建築家である。そこではエンジニアリングは三菱地所と清水建設が担当したのであった。
 ほう、あの歌舞伎座とほとんど同じ手法の使い回しで、HRCOの下半身にはもとの姿コピー化粧まわし、上半身にはアルミの白いタワーを建てるのである。下半身は傾奇いていても、上半身は端正で傾奇くことはない。
 その手慣れた手法で、基本的には東京歌舞伎座の真似である。あ、いや、同一人のデザイン手法だから真似ではないな。 
東京の歌舞伎座と歌舞伎タワー
HRCOのカイラインに髷が見える

 でもアレッ、よく見ると白い箱タワーのてっぺんに、髷のような三角が載っているぞ、そこが東京の歌舞伎座とは違うから、真似ではないようだ。上半身もちょっとだけ傾奇いているようだ。
 そうかなるほど、髷を結った力士が白い裸体に化粧まわしを締めて、すっくと立った姿であるか。化粧まわしの寸法が、もうちょっと高いほうが格好いいけどなあ。これじゃあ、ずり落ちたパンツだ。

●村野の継承ならば許される堂々のコピー
 ところで、この村野意匠コピーは、デザイン盗用にならないのだろうか。たぶん、そこは隈事務所はMURANO designに、それ相応の仁義を切っているのであろう。
 それにしても、このコピーぶりは尋常ではない。あの特異極まる形をそっくりそのままである。何のアレンジメントもないように見える。建築家の創造性はどこに行ったのか。
 これについて上記のプレスリリースに、「設計者(隈研吾氏)のメッセージ」があるので引用する。

「国内外から多くの人々が集うような、新たなミナミのランドマークとなり、観光都市大阪の発展に貢献する建物となることを目指しました。
 建築家 村野藤吾氏の代表作であり、長い間大阪ミナミの「顔」でもあった新歌舞伎座の意匠を継承しました。我々はそこに奥行き感があり繊細な表情を持った高層部のデザインを行い、新旧の調和のとれた建物となるよう計画しました。

 おお~、正面切って堂々と「新歌舞伎座の意匠を継承」、つまりコピーであると言う。そしてその理由は、村野の代表作であること、ミナミの顔であったことを挙げている。でも、村野のこのファサードデザインに対する評価は何も言っていない。
 「村野藤吾氏の代表作」との表現をもって、髙い評価と読むこともできるけれども、隈研吾はそう思っているらしいが、これを村野の代表作とするには一般的にはかなり無理があると思う。どうもコピーの言い訳に聞こえる。村野教信者は多いから、予防線を張ったか。
 なんにしても、継承となればコピーもOK、だからここまでは隈研吾デザインではないと宣言。

 そしてまた、新歌舞伎座とのアイデンティティの表現でもないのは、上に述べた様に、既に新歌舞伎座は別の姿で他に移って興業を続けているからである。
 隈研吾としてのデザインは「奥行き感があり繊細な表情を持った高層部」にあり、下層部の村野の旧建築コピーに、この高層部デザインを調和させたという。
 こここそ隈研吾のデザインであるから、明確に高い評価を与える表現をしているのであろう。
 さて、調和しているかどうかは、現物ができてみないとわたしにはなんとも言えない。

●上半身こそが隈デザインってことか
 では同じ手法の東京の歌舞伎座も、「奥行き感があり繊細な表情を持った高層部」だろうか。下半身に旧デザインコピー、上半身には白いハコという組み合わせは大阪も同じだが、大きな違いは上下の正面の面位置(つらいち)の距離である。
 東京では上層部の面は、下層部のそれから20m以上奥に離れているから、コピー再現部はかなりの大きさで元の姿を独立的に見せているので、継承の度合いは高いといえよう。
 しかし大阪のこのHRCO計画図を見ると、上層部と下層部はほぼ同じ面位置である。下も上も一緒に見えてしまって、これでは「奥行き感」がないのである。
HRCO事業者が公開した計画立面図

 そこでクマさんは考えたのですな。その上下の間の一階半分の高さを奥に引っ込め、暗いガラス張りにして、上下を切って見せている。そしてそこに千鳥破風が嵌るようにする。
 この破風はちろん、村野デザインの継承である。村野が屋根の中央にこれを設けたのは、東京の歌舞伎座へのオマージュかもしれない。
 戦前の岡田信一郎デザインだった東京の歌舞伎座は、左右に切妻破風を従えて、中央に高く千鳥破風が立ち上がっていたのを、戦後の吉田五十八改修で失われたのだが、それをここに復元する意図だったのかもしれない。

 上下を分ける中間を少し引っ込めて、転換のキイとして千鳥破風を入れるとは、なかなか上手い手法のように見えるのだが、異種をつなげる場合の建築デザインの常套的手段でもある。
 見上げると千鳥破風の後ろには鏡面ガラスがあり、奥行きが2倍に見えるのかもしれない。だがその上には、その上層階が突出してかぶさっているので、「奥行き感」はは出にくいなあ。
 なんにしても、その千鳥破風よりも上にある上層階部分こそが隈研吾のデザインだろう。なにもない単なる白い箱として、下層部のキンキラキン桃山風唐破風群と極端に対比する作戦は、東京歌舞伎座と同じである。

 だが面白いのは、その唐破風と入母屋破風の上に乗る白い箱を見上げると、その最上部スカイラインになにかトンガリ庇が浮いて見えるのである。おお、これは左右の長さが異なる流れ破風である。最上部にあらたな現代風の破風をもつ庇を浮かばせた。
 東京ではただの箱でスカイラインは水平線であるのと比べて、ここが違う。下半身の傾奇にちょっとだけ対抗するように、上半身もちょっと傾奇いているのだ。
 破風のある屋根をモチーフにしながら、その現代的アレンジで新たなスカイラインを形成することで、村野デザインへの敬意と隈研吾としての創意を表現したのであろう、と、一応は良い方に評価しておこう。まあ、帝冠様式だな。
 でも、何か傾奇き足りないよなあ。

●伊達の眼鏡ブログをクマさんが見てたのかなあ
 ここまで、もっともらしい解説をダラダラとやってきたのは、実はここで話を“お笑い”に持ち込むためである。
 というのは、わたしがこのブログに、かつて東京の歌舞伎座の建て替えで、隈研吾デザインの姿が登場したときに、そのデザインをちょっと茶化して書いたことがある。その一部を引用する。
(●参照:839新歌舞伎座のタワーの頭に千鳥破風でも載せてちょっとはカブいてほしかった

傾奇デザインがお得意な建築家・隈研吾の出番は全くない。隈さんはあちこちにデザインについて発言されているようだが、実態的には保守系デザインがお得意な三菱地所設計の作品と見るべきだろう、と、思った。
 まあ、考えようによっては、和でも洋でも右でも左でも?どんな傾向のデザインでもできる隈研吾さんにとっては、これは彼の傾奇デザインのひとつには違いない。
 そのカブかない歌舞伎座建築の特徴は、歌舞伎タワーである。晴海通りの向かいから眺めて、黒い瓦屋根の上に建つ白っぽいタワーは、雨もよいのくもり空に巨大に建っていた。
 これまたカブかないデザインであることおびただしいのは、これは歌舞伎芝居の黒衣(くろご)のつもりなのだろう、いや、これは白衣というべきか。まあ、黒衣ならカブくわけにはいかないだろう。
 しかし、せっかく隈研吾さんのデザインなんだから、あのドリックオーダーがぎょろりと突っ立った出世作のように、タワーの頭に千鳥破風(岡田信一郎デザインにあった)でも載せた「傾奇タワー」にしてほしかった。こうすればようやくモダンデザインと伝統デザインが対決して、隈さんの現代建築家としての力量を発揮できたのだろうに、と思うのである。
  では、ちょっとやってみようか、戯れに、、。
東京の歌舞伎座の実物画像とわたしの戯造画像
というわけで、こんな冗談を描いていたら、
大阪では本当にそれらしいことをやるらしい。 
 ことのついでに大きなお世話だけど、
どうせコピーやるなら、ここまでやったらどうですか~?

こんな戯画を作ったのは、実は思い出したことがあるからだ。
東京駅赤レンガ駅舎保存論争が盛んなとき、
丹下健三がこの類の提案を出した。
あの赤レンガ建築をあの幅で高さ100mまで積み上げて、
テッペンに復元ドーム屋根を3つを乗せるってね、
青山の丹下事務所でその模型を見ながら、
丹下さんに説明を受けた記憶がある。
超高層時代における辰野金吾先生を継承する
歴史的建築再生のありかたはこうだ、と。
もう、30年ほども昔、1980年代の半ばのことだった。
う~ん、思い出す丹下案戯造、ほぼこうだったような、、
駅前広場全体に人工地盤が2階レベルまでかかっていて、
そのうえに建っていたような気もする。



2016/04/08

1185【五輪騒動】オリンピックという怪物がテロ対策という鎧をまとって日本に攻めてくるらしい

●新国立競技場当初案の建築家ザハ・ハディド女史が死亡
熊五郎:こんちわ、ご隠居、お元気ですかい。
ご隠居:おや、熊さん、いらっしゃい、花見の帰りかい。
:えへへ、そうでさ、ご隠居は花見は済ませましたか。
:ああ、先日、母校のキャンパスに行ってみて来たよ。
:久しぶりにオリピック騒動の話をしに来ましたよ。白紙撤回になった新国立競技場案の建築家ザハ・ハディドが死んだらしいですよ。
:あ、そうそう、気の毒にねえ、あの案にさんざんケチ付けられて、突然の白紙撤回、そのあとでてきたA案が自分の案の模倣だと抗議したりしてるうちに、ぽっくり。
:もしかしてあの騒ぎが元になった心労で発作を起こしたのかもねえ、彼女の命を縮めたのは白紙撤回事件かもしれませんね。ウラメシヤ~新国立競技場って、外苑の樹林に中に化けて出るかなあ。
:わたしはザハ案でできると、外苑のあの天皇制賛美景観をぶち壊してくれると期待していたんだけどねえ、残念。
白紙撤回された恨みのザハ・ハディド案
:で、コンペやり直しで決まったのが大成・隈組のA案、「早い・安い」てんで当選なんでしたね。
:そうそう、そいつに「拙い」ってのも付け加えたいね。
やり直しコンペででてきた二つの応募案
:ハハ、竹中・伊東組のB案の方がはるかに上手いですよね。なんでも都市計画変更を伴うんで、メンドクサイって落ちたとか。
:そうそう、ザハ案に合わせるために、明治公園「四季の庭」を都市計画変更して人工土地の上に押し上げたのを、またもとのように地上に戻す変更を嫌がられたとかって噂だね。
B案はデッキをやめて「四季の庭」を復元
:でもねえ、そのほかのところにいろいろ都市計画変更が必至なのに、何故これだけはやりたくないんでしょうねえ。
:なんだかアヤシイね。

●オリンピックがテロを連れて来るかも
:ところで、今日の新聞に載ってるんですが、オリンピックの2020年5月から11月まで、神宮球場をオリンピック専用に使いたいって、JOCが持ち主の明治神宮と交渉中とか。
:メイン会場の新国立競技場の隣だから、何か競技をするのかい。
:いえね、いろいろ準備やら事務的な場所やら物資置き場やら、いわば後方支援用らしいですよ。それで困るのが試合に使えなくなる大学とプロの野球です。
新国立競技場と神宮球場あたりの様子
:わたしは野球に興味ないからどうでもいいけどね、あ、そうだ、それって、本当はテロ対策かもしれないよ。
:え、オリンピックを狙うテロ対策ですか、あ、そうか、隣で野球やらなにやらで大勢の人集めされたら、そこにテロ屋が混じってきてしまうってんですね。
:そうだよ。そうでなくても警備が大変なのに、近くで余計なことをやってほしくないって警察が思うのは当然だな。あれは40年ほども前だったか、ミュンヘンオリンピックで大変なテロ事件があったよ。
:特に今はヨーロッパや中東でテロが大々的に進行中で、2020年よりまえに収まりそうもないですね。オリンピックでテロやると世界中に宣伝効果が絶大だ、う~む、オリンピックがテロを連れてくるかもなあ。

●テロ対策視点から都市計画を考えるなんて
:朝日新聞が隔週日曜発行のグローブって新聞を見ていたら、『五輪も舞台、「軍事化」する都市』なる見出しの記事があり、ロンドンオリピックでの警備担当幹部の話が載ってるんだよ、ほれ、ここ(右図)を読んでご覧よ。
:どれどれ、う~む、会場周辺の住民全部を調べたって、これはひどい、そこまでやるんだ。外苑のまわり住んだり働く人たちは、警察にプライバシーを丸裸にされるかもね。
:記事に曰く、テロ対策に「立ちはだかったのは都市化だった」、そして「次々に建つ高層ビルや商業施設が条件を複雑にした」のだそうだよ。
:東京はまさにその条件を複雑極まるように、日々再開発の渦の中ですよ、どうするんですかね。
:こうなれば今の都市計画の段階から、建築も街も公園もテロ防止対策プランにしておかなければならないねえ、そこまで考えてやってるのかなあ。
:ご隠居は考えたんですか。
:いやいや、新国立競技場関係の都市計画についてこれまであれこれ書いてきたのだけど、その視点から考えたことは全くなかったね。ま、わたしは善人だからね、うん。

●樹林や丸い競技場はテロ対策に邪魔かも
:新国立競技場の建物とその敷地は、テロリストが隠れる空間や、爆発物を隠し置いたりできる空間があってはダメなんでしょうね。
:そうなると、できるだけ見通しのよい、なにも置いてない、デコボコのない真直ぐな空間がいいのだろうね。あの丸い外周の競技場は、視線が通らないからダメだな。
:じゃあ、樹林や植栽なんてのは大問題ですね、今の競技場案は各階の外廊下のようなところに植え込みがあるから、あそこに爆弾を隠し置くには絶好ですよ。
緑を建物の中や外までいっぱい画いてあるけど、、
:物騒なこと言うね、競技場外の樹林や植え込みがあるけど、全部切り倒すのかね。明治神宮外苑の中の樹林も、見通しが良く灌木を伐リ払い、繁る枝葉も坊主にするかな。
:あ、そうか、「四季の庭」の都市計画変更も、実はテロ対策だったかもねえ。
:なんにしても、なんとも殺風景になるんだろうかねえ。

●テロ対策にかこつけて奇妙なことも起きるか
:あ、そうだ、JSC新ビルの隣にある共同住宅の外苑ハウスの建て替えも、もしかしてテロ対策かもしれませんね。今は誰が住んでいるか分らなくても、建て替えすればきっちりと把握できますね。
:おお、建替え事業で入居者ロンダリングをやるんだ。まさにテロ対策だ。ホントかね。
共同住宅ビルの外苑ハウス
都営住宅、外苑ハウス、JOC新ビル、JSC新ビルあたりの配置計画図
:そしてね、建て替え後に販売する住宅の全部を、JOCが買うか借りるかして、競技関係者の宿舎や事務所に使えば、テロ対策とオリンピック裏方利用の一挙両得。
:あの外苑ハウスは、もともとが1964年オリンピックの報道関係用に建てたから、それなりに由緒があるな。今ではオリンピックと無関係の民間ビルなのに、たまたま隣にあるというだけで、どうして地区計画の範囲に入っているのか、どうして区画整理区域に入ってるのか、実に不思議に思ってるんだけど、今になって理由がやっとわかったよ。
:だから一民間共同住宅の建て替えなのに、オリピック関係で確保する室数を多くするために、わざわざ容積割増をして優遇策をとるのでしょうね。なにしろオリピック誘致者の東京都が都市計画行政当局だから、そこはお手の物ってね。
:まあ、そういう実に奇妙な、正当かどうか首をかしげる仕掛けが裏があるのかもなあって、あくまで妄想で勝手に面白がってるにすぎないけどね。
:都営霞ヶ丘アパートを立ち退かせて跡地を公園にするのも、あの住宅がテロリストの巣窟になるおそれがあるってことかなあ。これも妄想ですがね。
都営霞ヶ丘アパート
:オリンピックって、たしか真夏にやるんだよね、それってやっぱりテロ対策かな。だって、熱帯の東京で厚着して武器や爆弾を隠すなんて、かなり難しいもんね。
:テロリストも大変だ。
:テロ対策にかこつけて、妙な再開発やら、個人プライバシー侵害やら、いろいろわけのわからんことが起きるかもなあ。オリンピックそのものがソフトなテロに見えてくる。
:う~む、オリンピックって怪物が、テロ対策って鎧を着て攻めてくる、そうなりゃなんでも「五輪押し」ってね。


●参照:「五輪騒動瓢論集」(まちもり散人)

2016/04/06

1184【大阪傾奇き建築その1】村野藤吾デザイン傾奇きファサードを隈研吾が腰巻コピーして継承する現代遊郭建築

●消えたキンキラ大阪新歌舞伎座跡の建築は


 大阪の難波近くの御堂筋に面して建っていた新歌舞伎座が壊されたと思ったら、もう芝居小屋をやめてホテルに建替えることになり、こんな姿で登場するそうだ。
 なんとまあ、下半身にはここにあった新歌舞伎座の唐破風意匠を腰巻にして貼り付けているのである。上半身はガラス張りの超高層建築で、その頭のてっぺんに千鳥破風を模したらしい屋根がついている。
 この上下の異風無理矢理くっつけぶりは、東京の歌舞伎座とそっくりだな。


ここにあった新歌舞伎座は、1958年に開場したが歌舞伎をほとんど上演しない歌舞伎座として有名だった。歌舞伎興行の世界は何やら複雑な事情でそうなったらしい。
 2009年に閉館、取り壊して更地になり、今は別のところにできた何の変哲もないビルの中に新歌舞伎座なる劇場があるそうだ。

 新歌舞伎座は和風とは言いながら、特異な姿をしていた。あの唐破風が連続する桃山風キラキラデザインは、まさに歌舞伎つまり傾奇デザインであった。あの名建築家・村野藤吾によるデザインで、これは村野じゃなくては絶対にできない、芝居小屋そのもののファサードであった。
 オフィスビルが中心の御堂筋では、異様でさえあった。たぶん、あの興行師・松尾国三だから、そして村野藤吾だからできた遺産であったと言ってよいだろう。
 御堂筋で他に異様というか威容を見せていたのは、そごうと大丸の百貨店建築であったが、どちらも消えた。もっとも、大丸のファサードはコピー再現されるらしい。

 わたしは建築学生クラス関西建築見学旅行で、京都奈良の古社寺とともにできたばかりのこれも見学した。これは建築クラス恒例の旅で、参加する単位にもなった。
 古都の伝統的和風建築をいくつも見てきた若者たちの眼には、あのキンキラキンの和風を超越した和風建築の姿に度肝を抜かれてしまったので、特に印象が強い。もちろん、モダンデザインにかぶれている者には、忌避の感が強かった。

 さて、その村野デザインの特異建築が消えたのだが、その跡にまたもやその特異デザインが、機能をホテルに変えて再登場するそうだ。
 芝居小屋デザインが姿を変えないでホテルに継承されるわけであるが、はて、これもありなのだろうか。

●現代の遊郭としての都市ホテル

 ここで思い浮かぶのは遊郭建築である。日本古来の男女が交わって遊興をつくす都市の社交場である遊郭、その建築デザインは唐破風あり、千鳥破風あり、赤い手すりのバルコニーありと、その表の姿に贅を尽くした非日常性で人目を惹こうとする。これは芝居小屋と共通するのである。
飛田遊郭


 そして遊郭も旅籠の一種、つまり現代の都市ホテルである。芝居小屋、遊郭、旅籠とくれば都市ホテルにまで敷衍して、そうだ、現代日本の都市には、ラブホテルという遊郭建築があることに思い至る。
 元祖ラブホテルとされる東京目黒区にある目黒エンペラーは、西欧の城郭デザインをコピーというかアレンジして、遊郭建築にしたのであった。芝居小屋や遊郭が特異な姿をしていたのは先刻承知のことである。
目黒エンペラー
 そして現代の都市ホテルこそは、婚礼に事寄せて男女が大宴会、婚姻してもしなくてもよいが共に宿泊して、遊郭そのものである。
 ならば、芝居小屋デザインが現代都市ホテル建築のファサードであって、なんの不思議もない。あれはまさに遊郭のファサードである。

そしてラブホテルが1970年代に目黒に生まれて以来、その異国情緒の建築を日本の男女がもてはやしてきたように、この“異国”情緒たっぷりの姿を外国人観光客たちも、もてはやすにちがいない。さすがに利にさとい関西資本の事業である。
 そしてこの新遊郭のデザインが、“あの”隈研吾であるというのも、まことに興味深いのである。
  (【大阪傾奇建築その2】につづく)



2016/04/02

1183【花見と老木】願わくば花の下にて春死なむ卯月朔日想い出の地に

 母校の大学キャンパスに、桜の花見に行ってきた。
 本館前の広場には、今を盛りに花を咲かせる枝が広がり、ピンクのドームをかたちづくっている。その下では、新入生とそれを迎える学生たちで、若い生気がみなぎって賑わっている。
 わたしのような外部からの花見客は、しなくてもいい遠慮をしながら、花と学生交互に眺めて、楽しんでいる。



 花の咲き具合もなかなかのものだが、その花を咲かせる樹木の枝や幹の姿に驚いた。去年も来たのだが、今年は花よりも幹や枝をじっくりと眺めた。なにしろもう70年は過ぎているだろう老木群だから、見ているわたしと同様に老化の度合いが著しい。
 地面から立ちあがる幹は、どれも目通り直径1m以上あるだろうが、そのどれもが真っ黒、曲がりくねり、でこぼこ、コブコブ、割れたり裂けたり、ひねくれたり、まさに老木である。工芸品に使うほどのあの美しい桜木の肌はどこに行ったのか。



この木はもう化けることさえできるかも
 花が華麗に咲く枝は、ふつうなら一定の秩序で枝が伸びそうなものだが、あちこちに曲がりくねり、どこかとりとめもない方向に延びている。
中には太くなりすぎた枝が、地上をはうばかりになり、支柱という杖を突いてようやく姿勢を保っている。
もう休ませてくれよ
 それなのになおこれだけ派手な花をつけて咲き誇るものだから、離れてみると花咲く樹冠が大いに乱れているのである。花をかざして踊り狂う狂女たちにも見えてくる。
踊り狂うか桜花
 この桜の木は、1950年卒業生有志に寄付によるものだそうだ。わたしが学生の頃は、背丈は超えていたがひょろっとしていた。
多分、もう花は咲いていただろうが記憶にないのは、たいしたことはなかったのだろう。
1960年のキャンパス風景 広場の櫻の木がヒヨロヒョロ(森猛氏撮影)
その60年後の老木ぶりを見て、わたしと同じだなあと思ったのだった。
 だがしかし、あちらはいまだに毎年花を咲かせて待たれるのに、こちらときたらもう花咲かせることもなければ世の中から待たれることもない、う~む、こちらの完敗である。

●参照:大岡山花見2016
https://sites.google.com/site/matimorix/hanami2016