2016/04/06

1184【大阪傾奇き建築その1】村野藤吾デザイン傾奇きファサードを隈研吾が腰巻コピーして継承する現代遊郭建築

●消えたキンキラ大阪新歌舞伎座跡の建築は


 大阪の難波近くの御堂筋に面して建っていた新歌舞伎座が壊されたと思ったら、もう芝居小屋をやめてホテルに建替えることになり、こんな姿で登場するそうだ。
 なんとまあ、下半身にはここにあった新歌舞伎座の唐破風意匠を腰巻にして貼り付けているのである。上半身はガラス張りの超高層建築で、その頭のてっぺんに千鳥破風を模したらしい屋根がついている。
 この上下の異風無理矢理くっつけぶりは、東京の歌舞伎座とそっくりだな。


ここにあった新歌舞伎座は、1958年に開場したが歌舞伎をほとんど上演しない歌舞伎座として有名だった。歌舞伎興行の世界は何やら複雑な事情でそうなったらしい。
 2009年に閉館、取り壊して更地になり、今は別のところにできた何の変哲もないビルの中に新歌舞伎座なる劇場があるそうだ。

 新歌舞伎座は和風とは言いながら、特異な姿をしていた。あの唐破風が連続する桃山風キラキラデザインは、まさに歌舞伎つまり傾奇デザインであった。あの名建築家・村野藤吾によるデザインで、これは村野じゃなくては絶対にできない、芝居小屋そのもののファサードであった。
 オフィスビルが中心の御堂筋では、異様でさえあった。たぶん、あの興行師・松尾国三だから、そして村野藤吾だからできた遺産であったと言ってよいだろう。
 御堂筋で他に異様というか威容を見せていたのは、そごうと大丸の百貨店建築であったが、どちらも消えた。もっとも、大丸のファサードはコピー再現されるらしい。

 わたしは建築学生クラス関西建築見学旅行で、京都奈良の古社寺とともにできたばかりのこれも見学した。これは建築クラス恒例の旅で、参加する単位にもなった。
 古都の伝統的和風建築をいくつも見てきた若者たちの眼には、あのキンキラキンの和風を超越した和風建築の姿に度肝を抜かれてしまったので、特に印象が強い。もちろん、モダンデザインにかぶれている者には、忌避の感が強かった。

 さて、その村野デザインの特異建築が消えたのだが、その跡にまたもやその特異デザインが、機能をホテルに変えて再登場するそうだ。
 芝居小屋デザインが姿を変えないでホテルに継承されるわけであるが、はて、これもありなのだろうか。

●現代の遊郭としての都市ホテル

 ここで思い浮かぶのは遊郭建築である。日本古来の男女が交わって遊興をつくす都市の社交場である遊郭、その建築デザインは唐破風あり、千鳥破風あり、赤い手すりのバルコニーありと、その表の姿に贅を尽くした非日常性で人目を惹こうとする。これは芝居小屋と共通するのである。
飛田遊郭


 そして遊郭も旅籠の一種、つまり現代の都市ホテルである。芝居小屋、遊郭、旅籠とくれば都市ホテルにまで敷衍して、そうだ、現代日本の都市には、ラブホテルという遊郭建築があることに思い至る。
 元祖ラブホテルとされる東京目黒区にある目黒エンペラーは、西欧の城郭デザインをコピーというかアレンジして、遊郭建築にしたのであった。芝居小屋や遊郭が特異な姿をしていたのは先刻承知のことである。
目黒エンペラー
 そして現代の都市ホテルこそは、婚礼に事寄せて男女が大宴会、婚姻してもしなくてもよいが共に宿泊して、遊郭そのものである。
 ならば、芝居小屋デザインが現代都市ホテル建築のファサードであって、なんの不思議もない。あれはまさに遊郭のファサードである。

そしてラブホテルが1970年代に目黒に生まれて以来、その異国情緒の建築を日本の男女がもてはやしてきたように、この“異国”情緒たっぷりの姿を外国人観光客たちも、もてはやすにちがいない。さすがに利にさとい関西資本の事業である。
 そしてこの新遊郭のデザインが、“あの”隈研吾であるというのも、まことに興味深いのである。
  (【大阪傾奇建築その2】につづく)



0 件のコメント: