2016/04/10

1186【大阪傾奇き建築・その2】継承される絢爛桃山風ファサードは何のアイデンティティの表徴なんだろうか

 大阪にあった新歌舞伎座と言う芝居小屋は村野藤吾のデザインだったが、これを高層ホテルに建て替えるにあたって、その建築に村野デザインを継承する話【大阪傾奇き建築その1】の続きである。
 で、その新登場するホテルの名は、「ホテルロイヤクラシッ大阪」(仮称)だそうである。長たらしく面倒だから、ここでは「HRCO」と言うことにする。
HRCO計画図(事業者公開資料を引用して作成した)
●歌舞伎座とつけば東京も大阪も隈研吾か
 東京の歌舞伎座は、もとの場所で腰巻コピーして、超高層ビルを従えて、隈研吾デザインで再登場した。ところが、大阪の新歌舞伎座は、名前と興業内容はおなじでも、まったく別の場所にまったく別の姿で再登場したのである。
 東京歌舞伎座はあの岡田信一郎から吉田五十八へ、そして隈研吾へと継承されたデザインがアイデンティティとなっていたのに、移転した大阪新歌舞伎座では、あの村野デザインの絢爛桃山風の衣装を脱ぎ捨ててしまって、全く継承していない。

 古来の唐破風は、格式の高い意匠として、格式ある建物正面や、貴顕専用の出入りのための正面の門の意匠として、中央部に孤高を保って位置するものなのに(近代になって遊郭や風呂屋でも)、これは軒唐破風が左右にも上下にも連続して、まるで簾のごとくに建物を覆って大盤振る舞いのである。
 その逸脱ぶりは、まさに歌舞伎ならぬ傾奇である。その傾奇くデザインを、なぜに新・新歌舞伎座は継承しなかったのか、そのことも傾奇現象のようにも思えてくる。
 関西での歌舞伎上演は大阪松竹座と京都南座であったから、名は似通っていても歌舞伎と新歌舞伎座とが結びついていない奇妙な現象(これも傾奇か)、結果としてこのようなことになったのだろうか。
 
 そのような大阪の土壌において、大阪新歌舞伎座の桃山風連続唐破風と欄干ファサードを、そっくりそのままHRCOにコピー腰巻にするようだ。いま腰巻と書いたが、絵をよく見ると御堂筋の表側だけのようであるから、腰巻ではなくて相撲取りの化粧まわしというほうが適切なようだ。
あの特異なファサードをコピーするのだから、このHRCO設計は当然のことに村野・森建築事務所の後継「MURANO design」であろうと思った。ところが、ホテル事業者の株式会社ベルコによるプレスリリースでは、設計は隈研吾建築事務所と鹿島建設だそうである。
 エンジニアリングは鹿島が担当であろうから、以前の建物では村野と大林でどちらも地元大阪出身だったが、こんどはどちらも東京であるのが違う。

 隈さんと言えば、あの東京の歌舞伎座をデザインした建築家である。そこではエンジニアリングは三菱地所と清水建設が担当したのであった。
 ほう、あの歌舞伎座とほとんど同じ手法の使い回しで、HRCOの下半身にはもとの姿コピー化粧まわし、上半身にはアルミの白いタワーを建てるのである。下半身は傾奇いていても、上半身は端正で傾奇くことはない。
 その手慣れた手法で、基本的には東京歌舞伎座の真似である。あ、いや、同一人のデザイン手法だから真似ではないな。 
東京の歌舞伎座と歌舞伎タワー
HRCOのカイラインに髷が見える

 でもアレッ、よく見ると白い箱タワーのてっぺんに、髷のような三角が載っているぞ、そこが東京の歌舞伎座とは違うから、真似ではないようだ。上半身もちょっとだけ傾奇いているようだ。
 そうかなるほど、髷を結った力士が白い裸体に化粧まわしを締めて、すっくと立った姿であるか。化粧まわしの寸法が、もうちょっと高いほうが格好いいけどなあ。これじゃあ、ずり落ちたパンツだ。

●村野の継承ならば許される堂々のコピー
 ところで、この村野意匠コピーは、デザイン盗用にならないのだろうか。たぶん、そこは隈事務所はMURANO designに、それ相応の仁義を切っているのであろう。
 それにしても、このコピーぶりは尋常ではない。あの特異極まる形をそっくりそのままである。何のアレンジメントもないように見える。建築家の創造性はどこに行ったのか。
 これについて上記のプレスリリースに、「設計者(隈研吾氏)のメッセージ」があるので引用する。

「国内外から多くの人々が集うような、新たなミナミのランドマークとなり、観光都市大阪の発展に貢献する建物となることを目指しました。
 建築家 村野藤吾氏の代表作であり、長い間大阪ミナミの「顔」でもあった新歌舞伎座の意匠を継承しました。我々はそこに奥行き感があり繊細な表情を持った高層部のデザインを行い、新旧の調和のとれた建物となるよう計画しました。

 おお~、正面切って堂々と「新歌舞伎座の意匠を継承」、つまりコピーであると言う。そしてその理由は、村野の代表作であること、ミナミの顔であったことを挙げている。でも、村野のこのファサードデザインに対する評価は何も言っていない。
 「村野藤吾氏の代表作」との表現をもって、髙い評価と読むこともできるけれども、隈研吾はそう思っているらしいが、これを村野の代表作とするには一般的にはかなり無理があると思う。どうもコピーの言い訳に聞こえる。村野教信者は多いから、予防線を張ったか。
 なんにしても、継承となればコピーもOK、だからここまでは隈研吾デザインではないと宣言。

 そしてまた、新歌舞伎座とのアイデンティティの表現でもないのは、上に述べた様に、既に新歌舞伎座は別の姿で他に移って興業を続けているからである。
 隈研吾としてのデザインは「奥行き感があり繊細な表情を持った高層部」にあり、下層部の村野の旧建築コピーに、この高層部デザインを調和させたという。
 こここそ隈研吾のデザインであるから、明確に高い評価を与える表現をしているのであろう。
 さて、調和しているかどうかは、現物ができてみないとわたしにはなんとも言えない。

●上半身こそが隈デザインってことか
 では同じ手法の東京の歌舞伎座も、「奥行き感があり繊細な表情を持った高層部」だろうか。下半身に旧デザインコピー、上半身には白いハコという組み合わせは大阪も同じだが、大きな違いは上下の正面の面位置(つらいち)の距離である。
 東京では上層部の面は、下層部のそれから20m以上奥に離れているから、コピー再現部はかなりの大きさで元の姿を独立的に見せているので、継承の度合いは高いといえよう。
 しかし大阪のこのHRCO計画図を見ると、上層部と下層部はほぼ同じ面位置である。下も上も一緒に見えてしまって、これでは「奥行き感」がないのである。
HRCO事業者が公開した計画立面図

 そこでクマさんは考えたのですな。その上下の間の一階半分の高さを奥に引っ込め、暗いガラス張りにして、上下を切って見せている。そしてそこに千鳥破風が嵌るようにする。
 この破風はちろん、村野デザインの継承である。村野が屋根の中央にこれを設けたのは、東京の歌舞伎座へのオマージュかもしれない。
 戦前の岡田信一郎デザインだった東京の歌舞伎座は、左右に切妻破風を従えて、中央に高く千鳥破風が立ち上がっていたのを、戦後の吉田五十八改修で失われたのだが、それをここに復元する意図だったのかもしれない。

 上下を分ける中間を少し引っ込めて、転換のキイとして千鳥破風を入れるとは、なかなか上手い手法のように見えるのだが、異種をつなげる場合の建築デザインの常套的手段でもある。
 見上げると千鳥破風の後ろには鏡面ガラスがあり、奥行きが2倍に見えるのかもしれない。だがその上には、その上層階が突出してかぶさっているので、「奥行き感」はは出にくいなあ。
 なんにしても、その千鳥破風よりも上にある上層階部分こそが隈研吾のデザインだろう。なにもない単なる白い箱として、下層部のキンキラキン桃山風唐破風群と極端に対比する作戦は、東京歌舞伎座と同じである。

 だが面白いのは、その唐破風と入母屋破風の上に乗る白い箱を見上げると、その最上部スカイラインになにかトンガリ庇が浮いて見えるのである。おお、これは左右の長さが異なる流れ破風である。最上部にあらたな現代風の破風をもつ庇を浮かばせた。
 東京ではただの箱でスカイラインは水平線であるのと比べて、ここが違う。下半身の傾奇にちょっとだけ対抗するように、上半身もちょっと傾奇いているのだ。
 破風のある屋根をモチーフにしながら、その現代的アレンジで新たなスカイラインを形成することで、村野デザインへの敬意と隈研吾としての創意を表現したのであろう、と、一応は良い方に評価しておこう。まあ、帝冠様式だな。
 でも、何か傾奇き足りないよなあ。

●伊達の眼鏡ブログをクマさんが見てたのかなあ
 ここまで、もっともらしい解説をダラダラとやってきたのは、実はここで話を“お笑い”に持ち込むためである。
 というのは、わたしがこのブログに、かつて東京の歌舞伎座の建て替えで、隈研吾デザインの姿が登場したときに、そのデザインをちょっと茶化して書いたことがある。その一部を引用する。
(●参照:839新歌舞伎座のタワーの頭に千鳥破風でも載せてちょっとはカブいてほしかった

傾奇デザインがお得意な建築家・隈研吾の出番は全くない。隈さんはあちこちにデザインについて発言されているようだが、実態的には保守系デザインがお得意な三菱地所設計の作品と見るべきだろう、と、思った。
 まあ、考えようによっては、和でも洋でも右でも左でも?どんな傾向のデザインでもできる隈研吾さんにとっては、これは彼の傾奇デザインのひとつには違いない。
 そのカブかない歌舞伎座建築の特徴は、歌舞伎タワーである。晴海通りの向かいから眺めて、黒い瓦屋根の上に建つ白っぽいタワーは、雨もよいのくもり空に巨大に建っていた。
 これまたカブかないデザインであることおびただしいのは、これは歌舞伎芝居の黒衣(くろご)のつもりなのだろう、いや、これは白衣というべきか。まあ、黒衣ならカブくわけにはいかないだろう。
 しかし、せっかく隈研吾さんのデザインなんだから、あのドリックオーダーがぎょろりと突っ立った出世作のように、タワーの頭に千鳥破風(岡田信一郎デザインにあった)でも載せた「傾奇タワー」にしてほしかった。こうすればようやくモダンデザインと伝統デザインが対決して、隈さんの現代建築家としての力量を発揮できたのだろうに、と思うのである。
  では、ちょっとやってみようか、戯れに、、。
東京の歌舞伎座の実物画像とわたしの戯造画像
というわけで、こんな冗談を描いていたら、
大阪では本当にそれらしいことをやるらしい。 
 ことのついでに大きなお世話だけど、
どうせコピーやるなら、ここまでやったらどうですか~?

こんな戯画を作ったのは、実は思い出したことがあるからだ。
東京駅赤レンガ駅舎保存論争が盛んなとき、
丹下健三がこの類の提案を出した。
あの赤レンガ建築をあの幅で高さ100mまで積み上げて、
テッペンに復元ドーム屋根を3つを乗せるってね、
青山の丹下事務所でその模型を見ながら、
丹下さんに説明を受けた記憶がある。
超高層時代における辰野金吾先生を継承する
歴史的建築再生のありかたはこうだ、と。
もう、30年ほども昔、1980年代の半ばのことだった。
う~ん、思い出す丹下案戯造、ほぼこうだったような、、
駅前広場全体に人工地盤が2階レベルまでかかっていて、
そのうえに建っていたような気もする。



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