2008/07/22

021【老いゆく自分】老いて徳はなけれど得はする

 もう20年くらいテレビを見ない。もちろんぜんぜん見ないのでもないが、多分、ひと月に2時間もみるだろうか。
 見たくないのではないが、見るものがないのである。世に珍しきこと無し、である。それはまさに年寄りになった証拠である。
 旅番組を見ると、解説するやつの言いっぷりが、妙にヒョウゲていて嫌だ。
 最近、テレビ画面の端っこに小さく顔が写っていて、なんだかへらへら動くので、眼がうるさくてしょうがない番組が多い。もちろんそのようなのは、本画面が良くても見ない。大きな大世話である。

 見ていてコマーシャルが出ると、NHKに切り替える。そろそろ良いかと元に戻す。それを繰り返す。 
 そのうちにNHKのほうに引かれて、うっかり元に戻すのを忘れる。まあ、どうでも良いからそれでいいのだ。
 だから映画はNHKをみる。それも時間が限定されるのが面倒なので、最近はレンタルディスクである。老人割引で半額である。これは年寄りになった得(徳ではないな)である。

 そうやってテレビをみなくなると、当然に世の中と話が合わなくなる。雑談中に他人が突然笑い出すことがあって、どうしてと不審に思うことがある。それがどうもテレビに起因するらしいとなると、仲間はずれである。
 しかし、そこが年寄りの年寄りたるところで、そんなことにはちっとも動じない。知らぬことを誇りに思っているからだ。もちろん勝手なホコリである。

 年寄りになって得することは、入場料が減免されることだ。
 顔だけ見てOKの場合と、証明書提示を要求される場合がある。窓口係の目利き力のあるなしによるのだろうか。
 顔でOKよりも、「ほんとうですか~?」って疑り深く見上げてくれると嬉しい(かもしれない)。

 横浜地下鉄と市内のバスは、70歳以上市民は年間8000円で乗り放題である。ありがたく使っている。
 年寄り得ではないが、広島で被爆した友人と国立博物館に行った。彼は被爆者手帳を見せると付き添い人とともに入場無料となる。もちろん押しかけ付き添いした。

 古希となったばかりの知人とある会合で同席して、意気投合した。「もう古希だから」を積極的に使おうということである。
 つまり、「もう古希だから」と言い、「だからそれは勘弁してください」と逃げる。
 そしてまたあるときは、「だからやらせてください」としゃっしゃり出るのだ。
 われながら勝手老人である