2009/05/14

126【父の15年戦争】父の戦場の手記をもとに戦争の歴史を書いてみる

 これまで歴史には興味はあったが、戦史には特別に興味もなかったし、戦記の類には全く関心がなかった。
 ところが、このところ日中戦争史にはまっている。
 それは、亡父の遺品から日中戦争での日誌が出てきたので、読んでいたら、父は何故そんなところで命を賭けるようなことをしたか、がぜん、興味が湧いてきたのだ。

 1931年からの15年戦争のうちの7年半を兵役で過ごしていて、さいわいにも生きて戻ってきたのであった。その留守の間に、その父を失い、幼い長女を亡くしているのである。
 ひとりの庶民の歩兵が、初年兵入営から終戦の月までに、どのような背景の下で、そのようにもわが家を留守にしなければならなかったのか。

 一般に歴史はほとんどが俯瞰の視点から書かれているが、それをひとりの兵隊から見る虫の目の視点に置き換えて読むと、これは身近なものと感じられる。
 戦記にも興味が湧いているところだ。インタネットサイトにも沢山の庶民の戦記が載っている。
 父の日誌に出てくる用語が分からない。兵隊の制度自体から知ることから始めなければならない。

 軍歴なるものがあると知った。兵役でいつどこに行ったか、いつ除隊したかなどが書かれている個人別の履歴書で、陸軍は各都道府県で管理しているのだと分かり、父のそれを請求したら届いた。日誌と照合しつつ、旧満州国の地図を広げ、日中戦史を読んでいる。

 それにしても戦史を読むと、あの頃の戦争はなんだか成り行きで進行している感じがする。ほとんどマスタープランらしきものもなくて、あれだけの悲劇がずるずると拡大するのが、読んでいて気持ちが悪い。
 その成り行き大局のもとで、そんなことは知らない小さな歩の駒としての通信兵の父は、前線では目の前で仲間が死に、戦地の農家で食糧を挑発(略奪)し、職業の神官として戦地で死者を弔い、東京大空襲に出会い、3回もの兵役から生還した。
 ひとりの兵士とその留守家族の視点からの戦争として、それなりのノンフィクションを書けそうだ。

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