トマトを食うときにいつも心の隅をチラッとよぎる、少年の日の記憶がある。
SF漫画だったか、火星に行った人間がトマトを種も一緒に食べて、火星人に笑われ軽蔑されるのである。
その前後はまった覚えていないが、ここだけみょうに記憶があって、はて、この種を食っていものかと、今もチラと心をかすめる影がある。
ところが今日(2009年5月3日)の朝日新聞朝刊に、筒井康隆が「漂流―本から本へ」の連載に書いていることに驚いた。引用する。
http://book.asahi.com/hyoryu/TKY200905070136.html
「大城のぼるの『火星探検』は面白かったなあ」「復刻されないかなあ」 昔の話になるたび、しばしば小松左京とそう繰り返したものだが、これがやっと昌文社から完全復刻されたのは昭和五十五年、読んだときから四十年近くが経っていた。
二年生か三年生の頃だったろうが、誰から借りて読んだかのかもうわからない。中村書店から昭和十五年に出たこの漫画のことは、同世代の多くが記憶している。
(中略) ぼくにはキャラクターの可愛らしさと、オールカラーの童画的な上品さとモダンなタッチ、火星のトマトを種ごと食べたために腹痛を起こして、火星人たちから食いしん坊とはやし立てられるエピソードが心に残った。(以下略)」
全く同じところを記憶している人が、広い世の中にはいるものである。おかげでわが心のかすり傷?の出所が分かったが、今となれば、なぜこんな些細なことが子供の記憶に残るのだろうか不思議である。
筒井はわたしより3歳年上のほぼ同世代である。彼は戦中に読んだらしいが、わたしは戦後であると思う。
わたしは筒井の熱心な読者ではないが、好きな小説家である。多彩な芸達者のようだが小説のほかは知らない。
なお、「火星探検」の原作者は、小熊秀雄ということも紹介している。あの小樽文学館で小林多喜二や伊藤整たちと肩を並べていた詩人はこういうこともしたのか。
そこで、青空文庫プロジェクト・小熊秀雄全集に掲載してある漫画台本「火星探検」から、そのあたりを引用する。
●小熊秀雄「火星探検」台本(トマト騒動あたりを抜粋)
「・腹痛(はらいた)
1
地球のお客さんが病気になつたのだ
どうしたのだらう
やあ 病院車がやつてきた
23
さて、みなさん あなたたちは今日なにを召上りました トマトをたべたでせう しかも種まで
ハイ 僕たちはたべました
24
それがいかんのです 種をたべたのが
地球では トマトは種までたべるんですよ
25
火星ではトマトの種はたべません 種は、ていねいに出して運河に捨てます
すると 大洪水のとき種は畑に自然にまかれる
それぢや 種をまかなくてもいいや
26
あなた方は トマトを種ごと呑んだ だからトマトが お腹に生へだしたのです
えつ? 僕たちの体の中に?トマトが生へだしたんですかあ?
ウワア! 困つた
・火星の看護婦さん
22
こりや いくらあばれても駄目だ くやしいなあ よし! ここを出たらトマトたちめ
みんな踏みつけてやるから
わはあ 地球のお客の喰ひしん棒
種までたべたいやしん棒
ずゐぶん貴方たちは意地わるね さうのぞくもんぢやないわ
お腹にトマトが生へるとさ
うわあ、これぢや手も足も出ないや とんだ野外病院に入れられてしまつた」
絵がないからつまらないが、思い出せばくっきりとした線に、色使いが明彩であったような気がする。
これも大昔のことになってしまった。
(追記20140804)ウェブサイトで漫画のトマトの場面を見つけた。
http://plaza.rakuten.co.jp/shov100/diary/201301200001/?scid=wi_blg_shashinkan_thumb001
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