それからず~っと、わたしが提唱してきたことは、保全継続使用にあたっては1947年からの姿を本旨とすべし、戦災前の姿に復元するな、ということでした。
なぜなら、復元すれば、悲惨な戦火による焼失とそこからの復興という、日本のもっとも重要な時代の記念碑が失われる、わたしたちが生きてきた戦後の歴史の証人が消えるからです。
それが今、継続保全せずに、なぜ戦前の姿のほうを選んで復原(復元)したのか、問題提起したいのです。
1947年からの姿の歴史的意義を、きちんと評価したうえでの復古再現コピーの選択だったのでしょうか。
あれは一時しのぎの仮の姿としてつくったから、ようやく本来の形に戻したのだという世間のウワサがあります。
本当に一時しのぎの工事ならば、それがどうして60年も保ったのか不思議に思い、これを修復した人たちの苦労話を読んでみました。
それは、あの戦争直後のまったく物資のない時代に、もう頭の下がる実に頑張りすぎるほどの大変な仕事ぶりでした。
ご参考までにそのことを書いた「東京駅復興(その1)」(伊達美徳)をぜひ読んでください。
参照
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