2012/09/30

673赤レンガ東京駅が戦災前の姿に厚化粧して出戻りしてきたのはどうして?


 明日(2012年10月1日)から、東京駅丸の内駅舎が新しくて古い姿で正式登場だそうです。その東京駅については1988年に、建て替えて当然という時代の中にありながら、国の方針として保全継続使用方針を決めたのでした。

 それからず~っと、わたしが提唱してきたことは、保全継続使用にあたっては1947年からの姿を本旨とすべし、戦災前の姿に復元するな、ということでした。
 なぜなら、復元すれば、悲惨な戦火による焼失とそこからの復興という、日本のもっとも重要な時代の記念碑が失われる、わたしたちが生きてきた戦後の歴史の証人が消えるからです。

 それが今、継続保全せずに、なぜ戦前の姿のほうを選んで復原(復元)したのか、問題提起したいのです。
 1947年からの姿の歴史的意義を、きちんと評価したうえでの復古再現コピーの選択だったのでしょうか。

 あれは一時しのぎの仮の姿としてつくったから、ようやく本来の形に戻したのだという世間のウワサがあります。
 本当に一時しのぎの工事ならば、それがどうして60年も保ったのか不思議に思い、これを修復した人たちの苦労話を読んでみました。

 それは、あの戦争直後のまったく物資のない時代に、もう頭の下がる実に頑張りすぎるほどの大変な仕事ぶりでした。
 ご参考までにそのことを書いた東京駅復興(その1)(伊達美徳)をぜひ読んでください。  

参照
東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)

0 件のコメント: