東京駅の丸の内駅舎、いわゆる赤レンガの東京駅が戦災前の姿になって、今日から正式に出戻りのお目見えだそうである。
これからしばらくこの「事件」について、世の人々があれこれ言うだろうから、わたしはそれらの世間のウワサをとりあげて、あれこれと戯瓢を連載することにした。
わたしのこの事件についてのスタンスは簡単である。要するに「もったいないことをしたもんだよなあ」ってことである。
その理由は「東京駅復原反対論」に書いているので、そちらを参照されたい。
さて、今朝(2012年10月1日)の朝日新聞東京版には、2面見開きで東京駅の出戻り姿の広告が載っている。
曰く「東京駅丸の内駅舎保存復原 誕生からまもなく百年。赤レンガ駅舎として親しまれてきた東京駅が百年の時を越え、創建時の姿に。これまでの百年を、これからの百年へ。」
あのねえ、これって「保存」って言ってよいのかしら。何を保存したのかしら。
だって「創建時の姿」って言っても、1945年月20日に丸焼けになっって、残ったのはレンガ壁と鉄骨だけだったのだから、それを「保存」したのだとしたら、まあ、その通りではあるが…。
だから「創建時」の「保存」はその程度であり、実はそのほとんどは「復原」と称するコピーレプリカである。
わたしはコピーレプリカが悪いと言っているのではない。
保全、保存、保護、復原、復元、コピー、レプリカなどなど、いろいろの言い方があるが、「保存復原」とはどういう意味だろうかと聞いているのである。
ま、現物を見てくださいよ、これがそうなんだよ、ってことなんだろうが。
でも、1947年にそのレンガ壁を再利用して修復した「復興東京駅」は、戦後復興にシンボルともいうべき存在だった。
わたしはそれを「保存」してほしかったのだが、残念ながら「消滅」させてしまった。
同じく今朝の朝日新聞の1面「天声人語」は、東京駅をテーマとしているのだが、このような一文があって、ちょっと引っかかる。
「建造物の復元は、そこにまつわる無数の、そして無名の記憶を守ることである」
これは文脈からいって、東京駅の復元を賛美しているらしいが、ちょっと待ってくれよ。
JRがいうところの「保存復原」という「復元」(ややこしい)によって、あの戦災の悲劇とそこからの復興という「そこにまつわる無数の、そして無名の記憶を」継承してきた記念的な姿を「守ること」なく、消し去ってしまった、わたしはこう思うのである。
うっかりすると美名に聞こえる「復元」という言葉に、うっかりひきずられてはならない。
とはいいつつも、今こうやって東京駅は創建時の厚化粧姿で出戻りして、歴代4つ目の姿で次の歴史を歩みだしたのである。
それなりの歴史の記憶をひきずりながら。
おめでたいことである。
参照→◆東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
◆まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)
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