2016/05/09

1191【横浜ご近所探検隊が行く】死者のための空間と生者のための空間のせめぎあいが面白い墓地の景観

●日本の表現主義デザインの墓標

 五月晴れのすがすがしい日、今日の徘徊は、ヒョイと思い出して、こんなものを観に行った。
おお、これは目いっぱい表現主義ですねえ、よくまあこんなものがこんなところに。
 実はこれは墓標である。こういう表現主義の造型は、1920年代あたりに流行したから、その頃に建てたのだろう。
 そこは横浜のけっこう中心部にある広大な市営「久保山墓地」(1874年開設)の中、その名はそばに建つ碑に「無縁供養塔」と書いてある。縁者のない死者たちを葬った共同墓だろう。

 ネットで調べると、当時の雑誌「建築新潮」に載っていて、設計者は山本外三郎(聞いたことがない)、1925年にできたとある。その頃に横浜で無縁の死者が多く出たとすれば、1923年の関東大震災であろう。
 石本喜久治の卒業設計「涙凝れり(ある一族の納骨堂)」(1920年)を連想、更に山口文象の「丘上の記念塔」へと飛んだ。そういえば丘上の記念塔も、関東大震災の記念塔提案だった。
 外国では、有名なメンデルゾーンによる「アインシュタイン塔」(1921年 ポツダム)である。

 広大な墓地の石の森の中にある、この無縁の死者のための墓標に偶然に出くわしたのは、2008年のことだった。今回、また見ようとやって来たが、広大な墓地のどこにあったやら分らない。
 あれから8年、高低の激しい石の森を彷徨する脚力が、今のわたしになくなった。もう探すのをあきらめて、わたしも墓地の世界に近づいた。だから写真は8年前のものである。

 わたしは墓とか墓場に興味があるのではないが、もうひとつ面白い墓碑を見つけた。軍服姿の石彫刻人物である。おお、リアルだよなあ、戦死者への哀惜の情がこれを作ったのだろう。
 そばにある読みにくい碑銘に明治37年という文字を読み取った。1914年の戦争と言えば、第1次世界大戦である。欧州大陸が戦いの場だったが、極東の中国大陸の青島(チンタオ)で日本軍は漁夫の利を得る戦いをした。そこで戦死者だろうか。もう100年もこうやって、丘の上から遠くを眺めて立っているらしい。
もう100年余もこうやって立ち尽くす戦死者の石彫象のうしろに
みなとみらい21地区にある超高層建築が墓石となって寄り添う
●あの世とこの世が出会う景観の面白さ

 なにしろ久保山墓地は、12.6ヘクタールもある広大さ、14000もの区画があり、丘陵の稜線から派生する大きな二つの尾根から谷底にかけて、傾斜地形なりにびっしりと墓石群が覆う様は、石づくりの網がかかっているようだ。
 その墓地の周りの傾斜地には、これまたびっしりと小住宅群が尾根と谷を埋め尽くす。その向こうに「みなとみらい21」の超高層建築群が、これまた墓標群のように立ち並ぶ。
尾根と谷を埋め尽くす墓標は、はるか向こうの「みらい21地区」まで続く
昔々は、墓地は生活空間と混然としていたような記憶がある。大きな屋敷内には墓地もあったし、田畑の一角にいくつかの墓石が建っているのも当たり前だった。あの世の人のための場所も、この世の人の世界と交わっていた。
 今や都市の墓地では、もう存在しない人間のための墓地の空間と、それを取り囲んでいる存在する人間の生活空間とが、互いにせめぎ合いながら接して、なんとか折り合いを見つけようとしている様子である。東京都心でもそんな景観に、ひょいと出会うのが面白い。
急傾斜墓地の周りは新旧の急傾斜住宅地
 墓地の過密超低層石造柱列群の森林の中から石塔を透かして見ると、その外にはこれまた超過密低層木造住宅群の森があり、その森の上から更に向こうにこれまた過密超高層ガラス建築群の林が樹幹を並べているのが見える。
 林立する超高層建築群はモダンな墓標となって、あの世とこの世は時間も空間も地続きになるのがオカシイ。「みなとみらい21」は、墓標の街となる。
石塔墓標群と超高層建築群の区別がつかない
石と鉄とガラスの新旧墓標が建ち並ぶ
いかにももっともらしくなるのがオカシイ(これは戯造画像)
それを空中写真で見ると、墓石群と住宅群とは、じつは要素の大小の違いあれども、実は相似形のようであるから、人間はあの世でもこの世でも大差ない棲家にいるのである。
 この世の空間が自然発生的に地形にすがりついているのに比べて、あの世の空間の方が都市計画的に構成されているのが、実に面白い。
 ふむ、生者よりも死者の方が管理されているのであるか。
久保山墓地とそれを取り囲む急傾斜の住宅地
久保山墓地から東にみなとみらい21地区の超高層群が見える

●ここは大災害のときに大丈夫なのか 

 生きているときは坂道だらけの住宅地で、日当たりは悪いし、買い物に行くのも大変だった。横浜にはそのような住宅地がいっぱいある。この久保山墓地周りもそうだ。
 だが、死んだ後は、狭いながらも道は整い、小さいながらもまとまった石造共同住宅に住んでいて、日当たりも見晴らしもよいようだ。
 そうだ、身よりもない死者は、あのカッコいい表現主義デザイン共同住宅に住むことだってできるのだ。

 ところで、最近は天変地異の災害が多い。いまも、熊本で大地が揺れ続けている。
 この墓地は、急傾斜地を骨壺とコンクリと石塔が覆い尽くしているのだが、大地震が来たらどうなるのだろうか。
 この密集する石の林が倒れると、足の踏み場もないありさまになるだろうし、重いから片づけるのも容易ではない。死者はもう死なないにしても、まわりの被災した生者たちが、ここに避難することもできない。
 豪雨が襲ったら、一挙に谷底めがけて洪水が集まってくるだろう。下流の住宅地はどうなるのだろうか。調整池を作ってあるのだろうか。死者が死者を生み出す恐れはないのだろうか。
 墓地が被災するときは、まわりの急傾斜住宅地は大被災だろう。

 わたしは死後の世界を全く信じないから、生者の心にしか存在しない死者のために、これほどに広大な空間を維持しなければならないのが、なんとももったいないと思う。
 墓地内の一角に超高層共同墓を建てて骨をそこに集めてしまって、生じる土地を公園と住宅地にすればよさそうなものだ。そうすれば、墓参りだって広い墓苑の狭い高低差のある道を行き来しなくてもよくなるし、そのビルに火葬場も組み込んでおけば余熱を地域冷暖房に利用できる。
 死者のための空間が、生者が生きるための空間になることに、死者は文句を言うまい。死者よりも生者を大切にしたい。(あ、念のために書いておくけど、マジメナ冗談ですよ)
中央に見えるのは横浜市内にある根岸共同墓地
そのまわりのアメリカ軍用住宅地と日本民間住宅地を比較すると、、

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