2017/10/26

1296【黄金町バザール・1】横浜下町の壊滅した青線街でのモダンアート展にハマった

●横浜都心のめでたい地名
 横浜都心部は、19世紀半ばの日本開国から生まれた市街地である。海を埋め立て、山を崩して、人々が活動し暮らすための平地をつくりだした。吉田町とか山田町等の地名が付いているのは、そこを開発した人の姓によるのだろう。
 あるいは、寿町、真金町、黄金町などの地名は、その土地での人々の繁栄を期待したのであろう。

 その寿町一帯は、戦後はドヤ街として名が高いし、真金町一帯は戦前は遊郭として戦後は赤線街として繁栄したし、黄金町一帯は戦後から21世紀の初めまで青線街として栄えた。
 それらは付けられた名の期待に背かずであったかどうかはともかく、それぞれに繁栄をしたことは間違いない。だがとうぜんのことに、時代の大きな変化の中で、繁栄と凋落の波間に浮き沈みの変転をしてきた。

●黄金町青線跡の街でモダンアート展
 いま横浜トリエンナーレの一環で、黄金町の赤線街跡一帯で「黄金町バザール」と名付けて、アートイベントが開催中(11月5日まで)である。これが実に面白いので、わたしはちょっとハマっているのだ。3回も観に行った。

 ハマった理由は、ひとつはその場所性である。青線だった街のチマチマした元淫売宿をそのままに会場としており、モダンアート作品群のある種の猥雑さとその会場の猥雑さとの塩梅がまことによろしい。
 もうひとつはその猥雑な作品群の放つ多様にして雄弁なるメッセージのもつ、意外にも髙い社会性である。
黄金町バザールのアート展は京急高架下など元淫売宿が会場
新たな街づくりへの市民活動の息吹が聞こえる

 ハマった作品は、写真作家と映像作家たちの作品である。それらの作品から饒舌な社会的メッセージがわき出てきていて、それがわたしの琴線にビンビンと触れたのだ。
 それらの作家の名は、琴線触れ度合いから順に書くと、宇佐美雅浩毒山凡太郎、そしてChim↑Pom(アーチスト集団)である。もちろんどれも今回初めて知った名であり作品である。

●宇佐美雅浩の広島原爆ドーム
 まずは宇佐美の写真『早志百合子』(広島 2014)に圧倒された。
 実は、これを最初に一見したときのわたしの感想は、「なんだか観念的な図柄だな、意図が分り過ぎるよなあ、原爆ドームを背景に人間の生と死を左右に分けてコラージュなんて、写真加工技術は進歩したものだ」というものだった。

 ところが黄金町バザールディレクターの山野信吾さんはこう言う。
「これは加工は一切していない現場での一発撮り写真であり、題名の女性の名はこの作品活動の中心となった人物であり、画面の中心にいるこの人」 
 これを聞いて、わたしの感覚がぐらりと揺らいだ。えっ、本もの写真なのか、これは。
 ここにいるこの群集は、現実の原爆ドームの前で、このような行動のために集めた人たちであり、それを宇佐美が仕組んで撮影した一枚の写真であると言うのだ。
宇佐美雅浩「早志百合子」広島2014
写真撮影Okだがそのまま公表は拙いと思ったら既にネット公開されていた

 そう思って観入ると、これはすごいものだ、ここに至る過程を考えると、驚愕がどんどんと湧き出てくる。
 赤ん坊から超高齢者まで約300人が、それぞれの役割をえてこの場で一枚の写真におさまるまでには、どれほど多くの乗り越えることがあったのだろうか。
 政治的なメッセージも含むから、この人々を集めることもそうだが、この場所でこれを行うための手続きも大変なものだろう。

 時計は8時15分、妊娠女、赤ん坊、白と黒の衣装、ちゃぶ台、どれもこれも観念的な作為の風景であるにもかかわらず、観念が昇華して抽象画面に見えてくる。
 その制作過程を写した映像を、展示作品の傍の液晶画面で見ることができるのだが、見ているとますますその制作のすごさが迫ってくる。

●宇佐美の曼荼羅写真『manda-la』
 その一枚に込められた人間の生と死の図像は、あまりに直喩過ぎるとみていたのだが、実写と聞いて観ているうちに頭の中で画面が暗喩の世界になってくるのである。
 まるで曼荼羅であり、釈迦涅槃図である。そしてこの宇佐美の作品はシリーズであり、名付けて『mannda-la』というのだそうだ。そう、曼荼羅である。

 会場には曼荼羅シリーズの作品がいくつか展示してある。 
 これに並ぶもう一枚の「佐々木道範 佐々木るり」なる作品も、なかなかにすごいものだ。福島原発のの核の毒で汚染された桜並木、その満開の花の下で地域の人たちが宴会をしている。そのだれもが真っ白な放射線防護服をまとっているのだ。
 もちろん広島と同様に、目の前の事実ではなくて、宇佐美がつくった風景であるのだが、それなのに、いやそれだからこそショッキングである。
宇佐美雅浩「佐々木道範 佐々木るり」福島2013

  広島での原爆ドームは、ここでは見えない事故原発の替りに核毒汚染桜の花である。広島では戦いはいちおう終わってはいるが、実は核戦争の危機は今もなくなっていない。
 そして、ここ福島では2011年3月から、今もつづく核との戦いの現場である。広島よりも歴史的時間が短いので、こちらのほうが直喩の度合いが強い。その点では広島の作品の方が、メッセージに深みを持っている。

 宇佐美のmanda-la作品は、他にも圧倒されるものがある。語りつくせない。いや、わたしの知識では読み解けない作品が多いのが、悔しい。
宇佐美雅浩『真言宗総本山僧侶 瀧尾神社宮司 六孫王神社宮』京都2014
わたしの知識では読み解けない宇佐美manda-la

 もちろん写真を観るときは撮影した宇佐美の眼になるのだが、おまえはこれをどこまで深く観ているかと、宇佐美から挑戦されている。
 この2次元画像に込められた歴史的事実を、どれほどわたしは知っているのだろうか。
 この画面に登場した人々は、これからこれをどう伝えていくだろうか。
 10年後にまた同じ場所で同じ人たちが、またその時の姿かたちで登場する作品が出現するだろうか。

 この後で見る毒山とChim↑Pomの動画よりももっと長い間、この一枚のスティル写真のほうに観入ってしまうのであった。
 そしてこれら3者の作品を通底するのは、この街つまり「黄金町」の地霊かもしれない、なんて気がしてきた。戦争、悪所、中心と周縁、境界など、そんなキイワードの霊気を、この地の地霊がワラワラと放って作品群にまぶしつけ、わたしの頭の中を霊気がモヤモヤと霞ませる。
 それを書いてると、ドンドン長くなりそうなので、ここでいったん切る。
つづく

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