2017/10/15

1292【昼下がり電車にて】デジタルの小箱に見入る人々のさなかにひとり鉛筆男

●昼下がり郊外電車内のデジタル群衆模様

 平日の昼下がりの郊外電車のなか、座席はほぼ満員、立つ人はまばら。
 読んでいる新書から目をあげて、前の長椅子に座る7人の人々を眺めると、5人はスマホをいじったり見つめたり、ひとりはタブレットを見入っている。
 そして残るひとりの若い男は、クリップボードの紙に鉛筆でせっせと字を書いている。おお、今どき珍しい若者だと、その鉛筆の動きをついつい見つめて、この唯一のアナログマンが雄々しくて拍手を送りたくなった。


 では、わたしの長椅子の人々はと見れば、4人がスマホ、2人が居眠り、わたしひとりが本を読んでいる。おお、電車で本を読む人って、今や珍しい部類なんだな。
 そういえば新聞を読む人がいないのは、いまが昼下がりの時刻だからだろうか。昔は(というほど前のことではないような気もするが)一日中、新聞や本を読む人がいたよなあ。

 そうだ、携帯電話機を耳につけて大声でしゃべる奴、ウォークマン音ダダ漏れ男など、うるさいやつ等が結構いたなあ。すっかり姿を消したような気がするが、どうなんだろうか。
 それにしても、これだけの群集が、ひとつはこの中に居ながら、それぞれ何の関係もない存在とは、考えてみれば不気味である。

●大病院待合室のアナログ無為群衆模様

 わたしは今、日光角化症の治療中で、近くの大病院に行くのだが、そこの2階の皮膚科などの共同待合室には、いつも200人くらいもの人たちが座っている。診察が終わってからの、一階での支払待合室にも300人くらいが座っている。
 その人たちを見ていつも不思議なのだが、ただただ何もしないで座っているばかりなのである。もちろん呼び出し(借用する携帯表示機による)があれば立っていくが、1時間や2時間を待つのは当たり前なのに、何もせずにボケ~ッと座っている。
 
 ちょっと興味が湧いたし、待つ間がヒマなので、待合室をうろうろして調べたのだが(というほど大層なことでもない)、200人ほどの中でスマホをいじる人が10人くらい、本よむ人が5人くらいいたのみだった。
 まあ、病人が多いから、本やスマホに向かわないのかもしれないが、それにしてもこの大勢すぎるアナログ群衆現場は、なんだかブキミの感がある。

 つまり、この現象はどこの大病院でも、小さな病院でも起きていることだろうから、日本列島の、いや地球上の病院で今、膨大な数の無為沈黙群集が朝からなすこともなく、1時間も2時間もただ座っているのだなあと思って、ギクリとしたのだった。
 わたしも含めてこの人たちの無為の時間は、公園で日向ぼこしているような無償の行為ではなくて、しっかりと医療費がかかっている有償の行為中なのである。
 そしてこの有償の無為を支えているのは、医療保険という制度であるから、う~む。

●本、ガラケー、スマフォ、タブレPC

 わたしはスマホに替えるほどの必要性がないまま、通話機能携帯通信機(いわゆるガラケー)を30年ほど前から持ってはいるが、これは暇つぶしにはならない。
 めったに病院に行かないから、一昨年の自転車転落事故で久しぶりに大病院に行き、うっかり本を持参しなくて、死ぬほど退屈だった体験を忘れられない。

 最近は電車に乗って出かける機会が少なくて、うっかり本を持たずに電車に乗ることが起きる。そこらじゅう見回して、車内広告を片端から読む羽目になる。
 そんな時には、スマートフォンかタブレットPCを、そろそろ買うかなあ、などと思う。でも今では、長距離外出はめったにないから、家にあるノートPCで十分に用が足りてはいるのだが、、。

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