信州伊那谷の高遠、名所の高遠城址のコヒガン桜の林は、まだ花が開いていたが、それでも散り時を迎えており、花吹雪鑑賞をしたのであった。満開もよいが、散る桜もよいものだ。
朝早く訪れたので、花見客にまだ踏まれない地面に、花びらを敷き詰めたピンクの絨毯がひろがり、花の天蓋からピンクの雪が降るのを楽しみ、人々が多くなる前に退散した。
花散り敷く朝の高遠城址公園 |
いま、WIKIで見たら、矢代はたしかに演歌歌いであり、「誰も・・・」を歌ったのは嘉門達夫とある。矢代はフランスのなにやらに入賞する腕前の画家であるそうだ。
ほんとうは上手い絵描きなのに、まったくの偏見で入場客をひとり逃したことになる。
今年は信州でも、いつもよりは7日ほど早く咲き散る花見だったようで、期せずして散る桜を求めて、団体バスが次々とやってきていた。団体客の流入が満開タイミングを逸したので、今年の地元観光産業は当て外れだったらしい。
だが、高遠の桜は、城址公園はそれなりの名所ではあるが、わたしの好きな高遠の桜の風景は、町のもっと別の内外にあることを知っている。それは、わたしがこの町を訪ね、泊まのはすでに7回、そのうち花見は4回にもになっているからだ。
旧友夫妻がここに第2の生活拠点となる家を構えていて、そこに2、3泊させてもらうのだ。10年ほど前、古民家を買い取って改装し、川崎の第1の生活拠点と行き来して過ごしている。いつ訪れても、ゆったりと暮らしている。
その家から花の名所の城址公園まではゆっくり歩いて15分ほどだが、その喧騒とは無縁ながらも、その家のまわりにはごく自然に桜の花が咲いているのである。
特に高遠湖の周りをぐるりと回れば、穏やかな農村風景に桜花が、美しい点景をつくりだしていて、それが次々と展開していくのを眺めつつ歩くのは実に楽しい。
それは歩けばこそ楽しむことができる風景であり、車の速度ではほとんど意味がない。坂を上り下りするから、自転車でもよいかもしれない。
東京上野公園や高遠城址公園の満開の桜の下の狂気の喧騒を嫌いではないが、静かに桜花をめでつつ徘徊するのも、実にいいものだ。
高遠って城址公園の桜が有名過ぎて、この町で観るべき風景は、桜花しかないように思われている節があるが、実は城下町としての歴史があるから、それなりに街並みも見るべき風景を持っている。
そのことは、「高遠:天下一桜と歴史的街並み(相羽満里子 1988)」と題する雑誌記事に詳しいので、そちらに譲ることにする。
今年の高遠花見旅は、甲州からまわったので、茅野駅で下車、花の季節に通う高遠行路線バスに乗って行った。急な杖突峠を越えて行くルートには、処々に桜が色を添えていて、それも愉しいのであった。
もちろんこのバスばかりではなく、この季節の列車の旅は、窓から桜や桃や杏や梨などの花見ができるから嬉しい。行き帰り共に窓からの花見をしていて、暇つぶし用に持っていた文庫本を、3ページも読まなかったのであった。
団体バスや乗用車であわただしく来て、名所をいくつかあわただしく見て、あわただしく帰るのではなくて、バスや列車で行き帰りにゆったりと花見しつつ、ゆったりと宿泊してはどうかと思うが、それは閑老人の勝手な言い分である。
花咲き山笑う街道脇 |
露天風呂から城址公園も見えるが、浴槽脇に桜の花が咲いていて、はらはらと舞い散る花びらが、わたしの裸の肩に降りかかり、湯面に花びらが散り群れて揺れ、湯を掬うと花びらが掌を彩る。
そう、花と混浴したのであった。さて花は何と思っただろうか。
花見んと群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜の咎にはありける
(西行作 能『西行桜』世阿弥作より)
さて、信州高遠の花見の後は、まっすぐ帰ろうと思っていたが、時間があったのでまた甲州に途中下車してのであった。そこで面白い景観に出会った。
(つづく)
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