ウチのフェイスバカ画面が、今年から英語になっちゃったけど、日本あるいは世界中でそうなったのかしら、でも半端なのは、書き込みまでも英語にしてはくれない。
それならまあ、英語でもよいのだけど(日本語でさえわけのわからぬ業界用語に困るけど)、予告なしにそうなると、ちょっと驚く。
いちばん戸惑うのは友達つまりFBfriendsの表記が漢字からローマ字なったことだが、これは実に面白いと、今のところ楽しんでいる。
昨日まで漢字のもつ表意にその人をイメージしていたのが、今日から意味のない表音文字が並ぶと、こちらの頭の中で形成していたその人の人格が消滅してしまった。
例えばわたしの伊達美徳ならば、東北と四国に封建領主でそういう姓があったなあとか(実はどっちも無関係だが)、そういう名のボクサーがいたなとか、勝手に作り上げるイメージがその人を記憶するキイになっている。
そのキイが消えて一夜にして見知らぬ人たちになってしまった。このギャップに嵌まりこんで戸惑う自分を面白がっている。
しかし、もともとがローマ字だった人は、そのまま頭の中でのその人へのイメージは継続しているから、今日突然にローマ字になった人たちも、そのうちわたしの頭の中に新たなイメージを作り上げることになるだろう。
それにはいったいどれくらい時間がかかるのか、ちょっと楽しみである。案外、簡単に元に戻るかも知れないし、年寄りにはもう無理かもしれない。おもしろい実験である。
わたしのFBfriendsは、もともと存じ上げていた人たちも多いが、それ以上にFBでしか存じ上げない人も多い。
知人から友達要請されたらすぐにOKし、見知らぬ人からきちんとコメント付きで要請されたらOKし、これらをあわせて今のところ92人の方々がFBFriendsである。実はこちらから要請したFB友人は皆無である。
コメントもなく要請する人たちには無視しているから、無視友人が大勢溜まっている。
このFBfriends92人の一覧表を開いてみたら、全員がローマ字に変更ではなくて、漢字のままの人もかなりいるのであるが、これってどういう選別なんだろうか?
よそ様のFB友人欄には、わたしの姓名どう表記されているのだろうか。なお、うちの画面でのわたしの姓名は漢字のままである。
ローマ字表記になって知ったのは、その姓名の読み方である。もともとの知人はともかくとして、FB上での新たな友人たちは、その姓名の読み方を知らないままに、その漢字のもつイメージで受けとり、読みもしないで(漢字表現を観ているだけ)わたしの記憶簿に入れていたことが、われながらよく分った。
そもそもその人に出会って、その姓をよぶ経験がなかったのだし、これからもその機会があるとは思いにくいので、なんと読むのかそれを知る必要がないのである。
もしも本当に出会って、先方から名乗られても、たぶん、それがFB上のその人であることを知るには、そのことを改めて教えていただかなければなるまい。名刺をいただいても、ローマ字がないと分からないだろう。
ネット社会とはそういうものなのかと、あらためて気がついたのだが、このあたりの論考は記号論にでも詳しい人が解説してくれるのであろう。
FBが英語表記になって、知ってはいたのだがあらためて思ったのは、「いいね!」が「Like」の翻訳であることの違和感(のようなもの)である。
これをこう翻訳した人は、どれほど英語と日本語に通暁している人なのだろうか?
もちろんわたしは英語の本来の意味を知っているのではないが、「!」がついてしかもタメクチの「いいね!」と、「Like」が同義語なのだろうか?
「いいね」にはどこか軽口のニュアンスがあり、タメクチだから特に軽口になって、しかも「!」がつくものだから、「どうでもいいネッ」、「なんでもいいネッ」、「やらなくてもいいよネッ」の気分になってくる。
つまり「いいね!」には、取り様によってはある種の軽蔑あるいは否定のニュアンスを免れない。それは「Like」にもあるのだろうか?
なお、わたしは「いいね!」の類いの「Feeling」を一切押さない主義である。なにかfeelingがあればcommentを書き込むことにしている。
FB画面の最上段に「What's on your mind,美徳?」と出てくるようになったのが気にくわない。わたしのを名で呼び捨てにする人は、父親だけであった。
アメリカの雑貨馬具Zuckerbergなんて若造奴に呼び捨てにされる覚えは無いぞ、バカヤロ。
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