2019/01/05

1380【2019初徘徊は寿町に】B級横浜ガイド・寿町・松影町あたり:デラシネ日雇労務者が高齢化定住した貧困ドヤ街

 横浜の寿町は、いわゆるドヤ街、つまり簡易宿泊所の密集する街である。何だか気になる街なので、ときどきは徘徊のコースに入れている。
 もっとも、なにかするのではなくて、その貧困街の都市的表情が、普通の街の表情とどう違っていて、どう変わりつつあるか観察するのみである。
 もっとも、そのうちにここに住むようになる時に備えて、今の内から慣れておくと言う深謀遠慮もある。

 特に地名がおめでたいので、時には正月に初詣ならぬ初徘徊する。このあたりは近代以降に海や田圃を埋立してできた街だから、寿、松陰、扇、長者、黄金、真金など、栄えるようにと期待してめでたい地名がつけてある。 
 今年は寿町初詣はしなかったが、なんと今朝の新聞に、昨日1月4日朝に簡宿「扇荘別館」で火災があって、死者が出たと載っている。ならば今年も出遅れ初徘徊に出かけなければなるまい。

 さてその火事現場の「扇荘別館」に、今日5日に野次馬徘徊に現場に行ったら、何事もなかったようにしずかに営業していた。この3年ほどのうちに建った新築高層ドヤビルだが、5階あたりを見上げても煙で汚れた様子もない。ちょっと狐につままれた感じ。

 でも寿町の中の数カ所で何台かの消防車が停まっていたが、消防車特有の騒々しさはなくて静かなものであり、それらはどうやらこの街の簡宿の防災状況の検査をしているらしい。

 新聞記事では、扇荘別館5階で隣り合う室の80歳代の女と60歳代の男が火災事故で死亡したとのこと。
 ところが、火災とは関係ないらしい男の腐乱死体が9階の部屋で見つかったそうだ。火事がなかったらそのうちに白骨死体で発見だったのか。
 なんだかいかにも貧困ドヤ街らしいニュースで、町名に似合わないめでたくない正月である。

 新聞記事には寿町をこう紹介している。
寿町の簡宿は、昨年11月時点で121軒。8371室に5728人が住み、うち65歳以上が約58%、生活保護を受給している人が約9割を占める

 実は暮に遊び仲間を誘って、寿町徘徊ツアーを企画していたのだが中止になった。そのために新たに調べたりして、ガイド用のA4版1枚パンフを作っていたのだが、無駄にするのも惜しいので、ここに載せておくことにした。

――寿町・松影町あたガイドパンフ―ー
デラシネ日雇労務者が高齢化定住した貧困ドヤ街
横浜都心部と寿町ドヤ街の位置図
●寿町ドヤ街の現状
ここは静かな都心共同住宅街か?、いやホテル街
いや実は簡易宿泊所街(簡宿)、宿の隠語でドヤ
ここは通称寿町ドヤ街、かつては日本三大寄せ場のひとつ
寿町・扇町・松陰町等の広く見て9ヘクタール
狭く見ても6ヘクタールが簡宿ビル街の寿町ドヤ街地区
簡宿120軒、8400室、ドヤ住人6700人
1ヘクタールに1000人も暮らす超過密都市
寿町ドヤ街簡宿所分布状況
ドヤ1室5.4㎡(3畳+α)、1泊1200円~2200円(+光熱費)
実際は住んでいるから月家賃3.6~6.6万円(+光熱費)
わたしが泊まったことがある簡宿の標準階プラン
(中廊下、3畳間、共同便所、共同炊事場、コインシャワー)
わたしが泊まった簡宿の部屋(2005年8月宿泊3000円)
高齢化率58%、身障者多数、生活保護受給者率90%
「寿に行けばなんとか暮らせるらしい」
この街特有の福祉活動や地域活動を多くの団体が行う
貧困で家の無い高齢者と障害者が流入してきて増加中
そこで既存ドヤビル改装や高層化建替が進行中
簡宿事業者の貧困ビジネス繁盛か
そしていまや
「ひっそりと身をひそめる街」
「生活保護受給者が定住する街」

●寿町ドヤ街の歴史
戦前戦中の寿町地区は港町横浜らしい商住混合の普通の下町
特に横浜港の港湾事業関係の事業者や商店や勤労者の街
1945年5月太平洋戦争の横浜大空襲で寿町地区も焼失壊滅
1945年8月敗戦、都心部は占領軍に強制接収、寿町も接収
戦争直後に占領軍に接収された横浜都心部(赤塗部分)
右上の水色部分が横浜港、が寿た
桜木町~大岡川周辺スラムクリアランス移転先のひとつが寿町
移ってきた求職者群の需要対応の簡宿群が急激発生
簡宿事業者は主に朝鮮半島出身者たち
主に港湾荷役従事の日雇労働者の街となり活気と事件発生に
1970年代いっときは1万人を超す住人のいた超過密都市
野宿者も多数、木造簡宿では火事が頻発、犯罪多数
そのころの寿町は
「若者で活況の街」
「日雇い労働者の仮り住いの街」

だがその後、港湾荷役機械化、景気下降、労働需要下降
建設労働者が増えるが、しだいに高齢化と貧困化へ
労務者たちは高齢化、働けず貧困のままに簡宿に定住化
1974年に地域福祉と生活拠点寿町労働福祉センター建設
簡宿定住者に生活保護支給する横浜市の福祉政策
しだいに貧困者を誘引して人口増加
1990年代から生活困窮者受け入れ街、今は貧困超高齢街

●さてこれから…
格差増大と超高齢社会で貧困高齢者は増加するばかり
現に寿町の老朽簡宿の建て替え高層化が多数進行中
今後も貧困ドヤ街"繁栄"が続くだろう
それはその受け皿の街が必要だから…日本には…
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参考文献:「寿のまちとともに 公財寿町勤労者福祉協会設立40周年記念誌」 (寿町勤労者福祉協会編2016)

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