2021/03/06

1520【緊急事態措置期間延長宣言】宣言の効果の有無はその宣言発した人の信用力の有無

  コロナ禍の深刻なエリアを指定して「緊急事態宣言」をすると言うが、「宣言」と言う言葉をどうも気になる。
 法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)によると、その関係で宣言する人は政府の対策本部長だが、それは総理大臣が就任している。つまり菅さんである。

 その菅さんが昨日の記者会見の冒頭演説(当人の弁では挨拶だそうである)で、現今の関東4都県の緊急事態措置区域指定の期間を、予定よりも14日間延長すると宣言した(との閣議決定報告)。

 そしてそのことを「心からお詫び申し上げます」と陳謝した。陳謝したとは、何か総理大臣にコロナ対策上で過誤があったという告白になるのだろうが、それは何か、だってコロナ出現は菅さんのせいではないこと明白なんだから。
 なにかコロナ政策にドジがあったのかしら、だから緊急事態期間延長になっちゃったという論理か、よくわからん。最近は接待事件で陳謝流行りなので、ここでもうっかりやったのかしら。

 ところで一般に緊急事態宣言とか宣言延長とか、宣言をしきりに言うのを気になる。宣言を解除するというのも気になる。法によれば「宣言解除」するのではなくて、「解除宣言」をするのである。
 宣言と言う特定の人に依拠する言い方だが、その特定の人が宣言するのだから、宣言が意味を持つのだろう。

 法に宣言なる言葉があるので、一般ジャーナリズムも宣言を使うのだろうが、宣言と言うからには、例えば詔勅のようにいかにも宣言者に意味があるように聞こえるのが、誤解を招くだろう。
 宣言は宣言という行為であり、実体は宣言の発出言語ではなく、それによって事態が緊急を要する区域、期間、内容を指定することである。宣言するというよりも、緊急事態区域あるいは期間を指定する、あるいは指定を解除すると言うべきだろう。

 現今のその宣言者は菅総理大臣である。その地位にあるからその宣言をするのだろうが、菅さんがその地位にいなかったら、全く意味を持たない。
 その総理大臣としての菅さんだが、その発言や態度が、その発する宣言に国民が敬意をもって対応しようと考えるには、どうも無理がある。

 例えば、あの「ないのではないのでしょうか」とか、「いずれにしろ」という口癖の示す、自分の言葉に対する自信の無さやあいまいさに、聞くこちらが不安になるのである。
 「公衆衛生の専門家でもないあの人が宣言してもなあ」と思ってしまう。

 昨日の記者会見の発言でも、尾身さんの言は論理的で説得力ある言葉だが、菅さんの論理的な話は、官僚が用意した原稿を読む初めの「挨拶」だけであった。
 質問者の意見の解説を長々とやって時間を食うし、自分の発言はどこかあいまいだし、意識的か忘れるのか質問に答えないことも多いし、この人はこれでいいのかいと思い、説得力を欠くのであった。前任者のように、うそをペラペラいうよりはよいが。

 こうなれば、もっと影響力のある別の人、もっと効き目のありそうな人に宣言してもらってはどうですか。
 私案としてはこんな宣言を、アノお方にしてもらってはいかがですかあ?

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  詔 書

日本国天皇は昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す。朕茲に新型古老難医留守汎天密苦に對し戦を宣言す。

朕が国民は全力を奮て交戦に従事し、朕が百僚有司は励精職務を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を尽し、億兆一心国家の総力を挙げて新型古老難征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。

抑々万邦共栄の楽を偕にするは、日本国が常に国交の要義と為す所なり。今や不幸にして新型古老難医留守汎天密苦と釁端を開くに至る、洵に巳むを得ざるものあり。日本国の存立亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る。日本国は今や自存自衛の為、蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり。

朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の遺業を恢弘し、速に禍根を芟除して世界永遠の平和を確立し、以て日本国の光栄を保全せむことを期す。

御 名 御 璽
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 これって効き目ありそうですかね、どうですかね。(20210306)

参照:コロナおろおろ大戦日録 https://datey.blogspot.com/p/corona.html

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