2022/06/18

1625【核毒被害に国家は無責任】核毒が降る日々十年コロナ来てはや二年余こんどは戦争

●国家に賠償責任はない核発電核毒加害

 日本の核発電施設の事故による核毒被災について、国に加害責任がないから損害賠償は加害者の電力会社だけで負担せよとの最高裁判決が出た。3・11の福島核毒被害者からの賠償請求が却下されたのだ。

 この判決については、諸問題を含むようだがそれはさておき(いや、さて置くのはおかしいが論ずる能力がないので)、では、われら庶民はこれからどう対処するべきか、それが気になる。

狂歌<庶民の心得>
国家さえ責任無いと言う核発電  覚悟してスマフォ炊飯洗濯

 とにかく核発電所の事故で周辺住民などが核毒被災しても、その発電事業者に補償させるしかないとなると、その額があまりにも莫大で大変、それは現在も続く裁判が示している。 電力事業者は賠償能力を備えなければならないとなると、事業的に成り立つのか。もしもこれから核発電事業を始めようと考えるものがいるだろうか。

 もちろんその補償金となる原資を、電力使用料金に含めて広くから徴収して超足するのだろうが、当然に料金値上げがものすごいことになるだろう。それが企業や生活者などの電力使用者に負担可能なのだろうか。
 国が保証金負担しないとなったからには、電力事業者の責任が膨大に重くなったことになる。事業者はその責任に耐えられるのか。
 東京電力が現在の当事者だが、使用料金を大値上げするだろう。東電の電力を使っているところは、どこもその値上げ重圧に耐えなければならない。

●どこか核発電所の無いところに移住するか

 耐えられないとなると、東電管内から逃げ出して別のところに移住するしかない。でも行く先でも核発電所があるから、同様の事故は起きて、同様な値上げになる可能性は十分にある。逃げ場はないのか。

 核発電所からはるか遠くに住んでいれば、その事故の影響を受けないかと言えば、電力使用料金でしっかりと影響を受ける。
 となると核発電所を持っていない沖縄電力の管内だけが安全なのだろう。沖縄に移住しようかな。

日本列島とその周りの核発電施設分布状況

 あるいは核発電でない発電施設をもって供給する電力事業者と契約するのがいいのだろうか。再生エネルギ発電が良いのかしら。安定供給できるのかしら。よく分らない。
 自家発電という方法もあるか。屋根の上に太陽光発電設備を載せるのは昔からあるが、その発電量はどれくらいだろうか。
 敷地内を川が流れる土地を買ってそこに水力発電施設のある住宅を建てる。小さな水力発電設備があるらしい。
 いろいろ考えるが、分からないことばかりだ。

 ウクライナのプーチン戦争によって、チェルノブイリとかザポリージャとかの核発電所が戦場となったニュースがある。
 チェルノブイリでは敷地内に塹壕を掘っていたロシア戦闘員が放射線障害で倒れたらしい。核発電施設の管理は、ウクライナ側の専門家に保たれているらしいが、戦争激化すればそのまま核兵器になる可能性は高い。

 日本でも核発電所が無いのは沖縄電力のみだから、九州から北海道まで核兵器配備の列島である。怖いことである。
 でもそう考えると、日本の核発電施設に国として責任がない、と言いきってよいのだろうか。もっとも、責任持つからとてじゃんじゃん設置されるのは、もっと怖いけどね。

 これは3・11以前から考えていたが、核発電施設を地上に作るのではなくて、核発電船にすればよいのだ(参照:このブログの2008年9月記事。航空母艦のようなは巨大な船が核発電で動くのだから、民生用の巨大核発電船を作ることはできるだろう。
 船ならば事故があっても、海洋汚染はあるとしても、生活や生産の兄影響は少ないだろう。電力需給の地域的アンバランスにも、必要な地域に移動して電力供給すればよいだろう。地震で津波が来る前に、遠い海洋に移動して避難すればよろしい。あるいは津波を乗り切ることができるかもしれない。

 なんにしても、核発電施設の無いところに逃げ出したいものだ。簡単なことではないが、実はわたしには比較的簡単に逃げ出すところが用意してある。超高齢のわが身には遠くない時期にあの世が待っているのだ。
 だから、核毒・コロナ・戦争と続けさまにやって来るとは、地球は狂っているらしいが、どこか気楽であるのが、われながらオカシイ。

●コンテンポラリーアートとしての福島核発電所事故

 核施設事故で思い出したことがあるので、書いておく。
 先月末にChim↑Pom展を六本木の美術館で観て来た。福島核発電所事故がらみのコンテンポラリーアート2作品が展示されていて、どちらも興味深く観た。

 その一つは水素爆発直後の現地アート活動映像。水素爆発の直後のまだ立ち入り禁止措置が出されていないとき、近くの山上展望台に核毒の危険を冒して登り、そこに日の丸を模して作った真っ赤な核物質マークの旗を立てたのだった。すぐ近くに爆発で歪んだ核発電施設が見えており、強風に中の核毒が降り続くであろう現場、それは弾丸が降りくる戦場の旗のようだ。アーチストたちはもちろん真っ白な防護服である。
 その時の映像が出品されていた。社会問題に切り込む現代アート活動の神髄である。

 Chim↑Pom作品のもう一つ核関係展示は、まったく何も展示されていない大きな展示室である。そこは人の声だけが流れていて、いま、福島の帰還困難区域指定されて誰のいない集落の民家数軒に、数名の現代アーチストの作品(Chim↑Pom、艾未未など)の展覧会が行われてることを伝えている。ここに存在しない作品を展示しているのだ。


何も作品展示の無い展示室 Don't Follow the Wind(Chim↑Pom)

 その集落が指定解除になったら展覧会は公開されるそうだから、もしかしたらもう見ることができるのかもしれない。
 こうして、立ち入り禁止地域の中で、あえて展覧会を開催すると行為自体が、社会に深く介入し告発するコンテンポラリーアート作品である。面白い。
 真っ白な箱のままの部屋の大きな窓の外に東京の風景が広がる、その先に福島があるのだろうか。思いをはせるしかない。
 他にも面白いChim↑Pom作品を観て来た。

狂歌<ヤレヤレ、>
核毒が降る日々十年コロナ来てはや二年余こんどは戦争

 (20220618記)

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