これはこれはようこそ、「伊達な世界」にいらっしゃいましここは「日汗孤乱夢」と称して、辛口、悪口、甘口、雑言、小言、戯言、虚言、諫言、箴言、遺言など、ほぼ毎日のように、冷汗かきかき、書き連ねる、駄文論集でございますささ、ず~っと奥までお通りなされませ実はこちらは別邸にて、本宅は「まちもり通信」でございますれば、そちらにもどうぞお越しくださいましここに日々書き連ねるのは、とりあえず生きているぞとのサインであって、もしも10日間以上も書き込みが途絶えたなら、わたしが倒れたか、あるいはPCが壊れたか、いずれかでございますそれでは、ごゆるりとお過ごしなされませ

2010年2月9日火曜日

238 くたばれ自動車・出て来い鰤臼設計者

 奴与太自動車の鰤臼なる新車に仕込んだコンピューター制御に誤りがあり、ブレーキ踏み込みへの反応が遅くなって、普通よりも停止が数メートル先になるので危険だとて、リコールをすることになったそうだ。
  そうは言われても自動車運転しないわたしには、どうもよく分からない。
 ブレーキかけたらすぐ停止、それが原則だろう。なのに、コンピューターに任せておけばいつか停まるだろうっていう時代になっているらしい。つまり人間の運転能力はコンピューターの後回しされているってことである。
 もう、人間の運転能力は問われないらしい。これは怖いことである。わたしたちはいつのまにか、機械が支配するSF的世界に入り込んでしまっているらしい。
 そうやって機械が支配するのならば、その機械を設計した人、つまり今回はコンピューター制御システムを仕込んだ人たちに重大な責任がある。
 それなのに奴与太の社長やら副社長など素人ばかり出てきて、技術者は出てこないのはどういうわけか。会社ぐるみで技術者をかばっているんだろう。
 車を買った客やそれに轢かれる歩行者は個人だから、なにかあっても巨大組織相手には勝ち目が無い。
 建築の設計を見てみろ、あのアホの姉歯建築士でさえも責任とらされたではないか、それなのに20万台も世界に売った疵物の設計技術者が出てこない、社会的責任を取らないって、自動車産業の世界は奇妙奇天烈である。
 わたしにこれをいう資格があるのは、そのブレーキのきかない自動車ではねられて死ぬ危険性を、今日も明日も歩く道で抱いているからである。

2010年2月6日土曜日

237くたばれ自動車-奴与太・鰤臼

 鰤臼とかいう名の自動車のブレーキがきかないとか、アメリカではブレーキが利かなくて突っ走って死んだとかで、「顧客の視点でつくっていない」なんて、マスメディアはメーカーの奴与太をさんざんに非難している。
 おい、ちょっと待ってくれ、どこかおかしいんだよなあ、その言い方が。
 顧客ってのは、その車を買う人なんだろうし、その買った人が欠陥車で死ぬかもしれないからけしからんとの論調ばかりなのは、どうも片面的な視点でありすぎて、おかしいと思うぞ。
 わたしが道を歩いているとする、そこにブレーキのきかない鰤臼がやってきて、わたしを跳ね飛ばし轢き殺すのは、いったいどうしてくれるんだよ。
 その第三者被害の可能性の視点でこの問題を論じているヤツはどこにいるのか。
     ◆◆◆
  そもそも自動車メーカーは、乗ってるヤツの安全ばかり考えて、歩いていてはねられ殺されるかもしれない第三者のことを念頭にいれていない車つくりをやっていて、実にけしからん。
 例えば、ぶつかったらバンと開くエアバッグである。あれは運転席につけるのじゃなくて、バンパーあたりの外につけるもんだろ、そうすりゃ少なくともひき殺されなくてもすむだろうに。
 バンパーだってあんな頑丈だから、ぶつかった歩行者を殺すか怪我させるに決まっているだろ。
 わたしが乗用車の設計をするなら、運転席をいちばん前に持っていくね、ぶつかったら即運転者が怪我するようにすれば、嫌でも安全運転するはずである。今の設計は少々ぶつかっても運転者はなんでもないが、ぶつけられたほうは大怪我か死ぬ。それが根本的におかしいのだ。
 とにかく、自動車の設計思想には、これが第三者への凶器にしないとする観点が抜けている。いや、逆か、第三者への凶器として設計しているのだな。
 特に鰤臼は、エコなる福の神の仮面をかぶっているが、実は中味は鬼であった、と、ちょうど節分にふさわしいニュースとなった。

2010年2月2日火曜日

236丹波の伊藤ていじ先生

 今朝の新聞に、建築史家の伊藤鄭爾さんがなくなられたことが報じられている。
 享年88歳とあるから、思い出せばあれは先生が38歳のときであったのか、もっと若かったように思っていたが、、。
 1960年の夏、わたしは大学の建築史研究室所属の同期仲間3人で、丹波の農村に滞在して民家の調査をしていた。東京大学の建築史研究室との共同研究で大勢の学生や院生たちがいて、その指導教官の一人が伊藤鄭爾さんであった。当時は東大の助手か、助教授だったのだろう。
 若い身でありながらその語る人生感と個性に、わたしは強烈な印象をもち、このときに何がしかの影響を受けたのであった。
 一面の稲の田んぼの田舎道をテクテクと出かけて、古い大きな茅葺の民家に上がりこんで、屋根裏まで入って煤で真っ黒になる毎日であった。

 伊藤さんは、ひょろひょろの細身で、力がないからカバンは持たないのだと、風呂敷包みひとつを持ってひょいひょいと歩きながら、そしてまた夜は酒飲みながら、いつもなにかを語って下さった。
 細い身で力が無いのは、結核で死にかけたからであった。東大の院生だったかのころ、病院で寝ているある日、目覚めると周りには泣いている人たちがいる、ははあ、俺はいま死のうとしているんだななと思ったけれど、気力がないから何の不思議もなく眺めていた、という。
 ところが、それほどの病状だった土壇場に、ストレプトマイシンが登場して、その投与で治癒したのであった。
 伊藤さんが言うには、そのストレプトマイシンは貴重な薬であり、なかなか手に入らないものであったので、ある種の差別的な患者選択で投与の優先順位が決まって、東大の研究者はその投与対象に入った。だから、今の自分は何千人何万人かを押しのけて生きているんだから、それだけに熱心に生きなければならないんだ。
 丹波の田舎で聞いた伊藤さんのとどまらない多くの語りは、今考えると彼一流のヨタ話もあったかとも思うが、若いわたしはおおいに感激をしたものであった。
 田園の美しさについて、伊藤さんにわたしが反論した覚えがある。ある日の出かける途中で伊藤さんが、この田園風景の美しいことはどうだい、と感激していう。わたしは、その美しさの陰には苦しい労働があるのを忘れはいけませんよ、すると伊藤さんは、いや、美しいこととそれとは別ものだよ。この話がどう決着したか忘れた。
 たくさんの話の中からはっきり覚えているのは、先生が死の床から劇的に生き返った話だけである。

 そして伊藤先生は、民家研究の大成者としてその世界を築き、教育者としても工学院大学の学長もなさって、かつて押しのけたかもしれない人たちに代わって立派に米寿まで生き遂げられたのであった。
 その後はわたしは伊藤先生とは縁がなくなったが、大判の「日本の民家」なる評論と二川幸夫の写真、あるいは「谷間の花が見えなかったとき」という松本與作評伝とか「日本デザイン論」などの印象深い著書が、たくさんのわが蔵書処分から逃れて今も手元にある。
 1980年ごろ、東京駅のステーションホテルでのなにかの会合で見かけて、その昔、丹波でお世話になったものでございますと、深くお礼を述べたことがあった。もちろん、先生はわたしを覚えてはいらっしゃらなかったが、わたしとしては20年ぶりに何がしかの荷をおろした感があった。
 この4年ほど通っている中越山村で民家調査の手伝いをやることになり、一昨年から半世紀ぶりに屋根裏で煤まみれになる再体験をして、伊藤さんを思い出していたところに、訃報であった。合掌

2010年1月30日土曜日

235去年はマンション不況でよろこばしい

 国土交通省が2010年1月29日に発表した住宅着工統計を見ると、2009年中の着工戸数は788,410戸であった。2008年中のそれは1,093,485戸だったとあるから、なんと3割減である。
 持家も貸家も分譲住宅も減ったなかで、給与住宅だけが増えているのは、どういうわけだろうか。
 減少の中で分譲型共同住宅(日本ではマンションというが、実は名ばかりマンションのこと)は、2009年中は76,678戸(内首都圏100,726戸)、2008年中は182,572戸(内首都圏40,041戸)だったから、なんと58パーセント減少(内首都圏6割減)である。
 大地震が来たら危険極まりないこの分譲共同住宅が減っているのは、なにはともあれ喜ばしいことだ。
 しかし、着工が減ったといっても実戸数は増えているので、新たに18万戸ということは30万人以上がこの危険なものに昨年から新たに住みだしたか、住みだしつつあることになるのだろう、コワイ、、。
 わたしが推奨する貸家が、2009年中は321,469戸で、これは2008年中よりも3割も減少しているのが、気に入らない。
 統計に公的な住宅が分類として登場してこないも、気に食わない。統計に載るほどの戸数供給をしていないってことか。全く気に食わない。

●参照→230震災記念日・マンション売逃げの勧め
  
   125名ばかりマンション
     187民主党の居住・住宅政策は?

2010年1月26日火曜日

234ウイルス対策ソフトウェア

 インタネットにつなぐごとに、ウィルス駆除ソフトの期限が切れたから、延長手続きをせよとの画面が、毎度毎度立ち上がってうるさくてしょうがない。
 そういえば、今入っているヤツは2年有効だったなあ、きれたのか。
 ネット上で延長手続きをすることもできるので、いくらなのか見たら、1200円で1年期限とある。まてよ、これを買ったときは1980円で2年期限だったのに、こんどは高いのはどいうわけだ?
 えい、安売り電器屋に行ってみよう。もっと安くていいやつがあるかもしれない。
 そこでコジマだかノジマだかヤマダだか、同じような名前なので自分がなんという店に行ったのかいつも分からないのだが、その店に行ってきた。
 同じメーカーのもので、2930円で更新期限なしってヤツがあった。断然こっちのほうが安い。ネット上の更新のほうは箱もCDも流通経費もみんなタダなのに、なんで1年で1200円なんだよ。
 気になるのは、メーカーがもしつぶれたら、日常の更新手続きもとだえるのだろうか。そうなると安いか高いか分からないことになる。
 まあ、いいや、買ってきてインストールした。ソフトウェアのメディアは、CDではなくてUSBメモリーであるのが、ちょっと進化していた。
 ところで、PC3台までインストールできるとあるが、うちには1台しかない。残り二つ、だれかに高く売りつけてやろうか、。

2010年1月25日月曜日

233下田みやげ

 伊豆半島の突先にある下田の街に行ってきた。幕末に黒船がやってきた日本鎖国の敗れる歴史の町で、その関係の史跡の宣伝もあるが、私はそれにはあまり関心が無い。
 町に風景のなんといってもよいところは、伊豆石となまこ壁の町屋や土蔵が町に中に宝石の如くちりばめられていることである。
 観光的に土産物屋や飲食店にその町屋や土蔵を活用して、それらしくしているところもある。
 しかし、わたしが惹かれたのは、なまこ壁や伊豆石の家が、ごく普通の生活空間として街に生きていることである。いかにも伊豆の町にやってきたと言う雰囲気を、よそ者として楽しんだのであった。
 さて、観光地ならおみやげである。みやげはめったに買わないのであるが、ひとつだけ自分のために買った。
 それは布草履である。数年前に倉敷で買って室内履きとしていた布草履が傷んだので、下田産のそれに買い換えたのだ。NPO経営の土産物屋で600円。
 もっとも、倉敷や下田が草履の名産地であるとは、聞いたことがない。

 参照→伊豆の下田に行ってきた
http://homepage2.nifty.com/datey/simoda100123.htm

2010年1月24日日曜日

232都計審委員全敗記録更新

 横浜都市計画審議会の委員になって、この1月で6回目の審議会であった。
 その間に毎回、いくつかの議案に対して問題点を指摘して、いろいろと提案をしてきた。
 好んでイチャモンをつけているのではないが、議題となっている現地を見てくると、何がしかおかしいところが見つかるので、審議会で委員のみなさまに披露して、考え直したほうがいいと言っているのである。
 しかし、わが意見が入れられたことは一度もなくて、みごとに毎度の連戦連敗の全敗で、記録更新を続けてきているのだ。
 さて、この1月審議会では、ついにこの記録更新は終わるだろうか?、、張り切って画像まで使って意見を述べた。
 今回は、市街化調整区域から新しく市街化区域に編入する地区について、現地を見てきたら、その新しい用途地域指定がどうも実情にも合わないし、今の社会としてもそのような都市計画は不適切であると気がついて、原案に反対したのだ。
 出席委員21名、採決したらわたし1人だけ原案反対、あと19名(会長は意志不明なので除く)は原案賛成、見事にあえなく全敗記録を更新!
 今回は嬉しかったのは、土俵の外であったが、二人の委員がそれなりの理解を示してくださったことだ。いつも泣いてた?ドンキホーテ・寅次郎は少しは気をよくしたのであった。
 医院の人気、アレ、委員の任期はこのあと2回でおしまいになので、これからも記録の更新を目指して、ガンバリます。
●詳しくは→郊外開発誘導型の都市計画は変らないのか
http://homepage2.nifty.com/datey/y-tokeisin100121.htm

2010年1月22日金曜日

231コピー再現時代


 横浜球場のそばに、ストロングビルと言う、ちょっとモダンな戦前の3階建てのビルがあった。2007年に壊されて、跡地にホテルが建った。この1月に開業らしい。
 表から見ると、1階から3階まではもとのストロングビルのファサードをコピーして再現している。
 もとのビルとの格好の違いはよく分からないのだが、どうも階高が高くなっているようである。大きな違いは、もとのビルは道路境界線まで一杯に建っていて、一階は5段くらいの階段を登って入るようになっていたが、新ビルの1階は道路面と水平、外壁が道路から5mくら引いていることだ。
 ビルのコピー再現は、本町通りの銀行だったビルを共同住宅の下に持ってきている例があるし、国の合同庁舎も蚕糸検査所を低層にコピー再現だし、横浜には多くある。
 伊勢佐木町の商店街にある松坂屋も閉店してもう1年以上になるだろうか、これもそのうちに壊して建て直すが、ファサードの一部をコピー再現するそうである。
 いまや建築ばかりではなく、牛や馬はクローンとかでコピー再現が可能になっているから、世の趨勢だろう。そのうちに人間もそうなるか。

2010年1月17日日曜日

230震災記念日・マンション売逃げの勧め

 今日は、あの阪神淡路大震災からちょうど15年目の日、何かと関連行事があるようだ。
 私がこれに関して思っていることの一番は、あの時、ものすごい数の住宅難民が出たことの教訓を、すっかり忘れていることである。この「伊達な世界」ブログにも本家「まちもり通信」にも何回も書いているのだが、今日はまた書く。

 大都市では超高層マンションなど、1棟でものすごい戸数の大規模共同住宅ビルが次々と建っている。分譲広告が新聞紙面や折り込み広告を賑わわせている。
 もちろん、それを買い求める人がいるからだろうが、こんな危ないものはないのに、なぜ売る人がいて、買う人がいるのか、なんとも不思議でしょうがない。
 阪神淡路大震災のときに、いちばんの問題になったのは、マンションと言われる分譲共同住宅ビル(正確には区分所有型共同住宅)であった。ばっさりと倒れたり、柱や梁に亀裂が入ったり、設備が壊れたりして、建て替えやら大規模修繕になったりした。

 そこに住んでいた人たちは一時は住宅難民になったが、それは他の戸建住宅でも同じである。
 ところが、マンションと言われる分譲型共同住宅ビルの人たちは、そこから先に超難題が待ち受けていたのだ。
 それは、分譲で各戸を別々の人が持っているいるのだから、建て直すにしても修繕するにしても、そのための大金を負担するには、持ち主みんながOKしないと前に進まない。貧乏人もいれば金持もいて、意見がまとまらない。
 大規模なものほど権利関係者が大勢いて、いつまでもまとまらない。法制度の改正までしたが、人々の心までは法は踏み込めない。
 多くのマンション難民問題は後々まで引きずった。いや、今も引きずっているであろう。

 そのようなことがあったから、その後は分譲方式の共同住宅ビルは規制するかと思ったけど、そんなことはぜんぜんない。
 姉歯事件(耐震偽装)なんてことがあって、あれに関わった賃貸住宅は早期に建て直しなど解決したが、分譲共同住宅は今もほとんど解決しないでいるようだ。震災のときと同じことが起きたのに、何も規制をしなかったのだ。
 近頃は超高層マンションとかで、一棟で1000戸もあるようなものも建っているらしい。「このビルは免震構造で大地震にも安全です」と宣伝文句に入っているかもしれない。

 たしかに建物は工学技術的には倒れないかもしれない。
 でも、上下水電気等の設備配管やエレベーターなどは、それ自体を頑丈に作っても耐震にはできないから、かならず壊れる。
 また、建物が揺れたときに、とりあえずは人命に関わらない程度に、どこか壊れるようになっていて、そこが地震エネルギーを吸収するようになっている。
 もちろん超頑丈に作って、ぜったいに壊れないものを作ることは技術的には可能かもしれないが、それにはものすごいお金がかかるから、売れないだろう。
 震災後にもその建物は見たところは建っているけど、中味はずたずたぼろぼろ、大規模に修繕する必要が出るに違いないのだ。

 そのとき、超高層ビルでは規模がでかいだけに、また共有部分が多いだけに、とんでもない工事費がかかるに決まっている。修繕積立金はそのようなことも含めての金額なのだろうか。そこまで修繕積立金を載せたら、販売額が高くなりすぎて売れないだろう。
 その大規模修繕工事費の負担を、1000人もの持ち主が簡単に同意するだろうか。法的には4分の3賛成で建て替えが可能だが、現実はそうはいかない。一人でも反対すると難渋するのだ。
 超高層でなくても、何棟かがひとつの敷地にあって、低層、高層などが数棟ある場合、大地震で棟ごとに壊れ方が違うから、違う被害の建物を一緒にして建て直すとか大修繕とかになると、益々こんがらかってくる。

 そんな危惧のある大規模分譲共同住宅(あえてマンションなんて格好だけつけて言わないのだ)に住む人は、いまや何万、何百万人いるのだろうか。そんなもの禁止すればよさそうなものだが、あまりにたくさんできてしまって、今更禁止にすすると社会問題となるからしないのだろうか。
 でも実は、大震災で難民続出という起きるべき社会問題を、分かっていながら見ない振り考えない振りして、先送りしているだけなのである。日本の人々は、いったいどうなっているんだろうか。
 もうすぐ来るという静岡あたりや関東あたりの大地震、明日かもしれないし、20年先かもしれない。
 そのときになって困っても、わたしは知りませんよ。別にお前に知ってもらってもしょうがないよって、言われそうだが、そのとおり。
 だから、わたしは1棟まるごとの賃貸借共同住宅ビルの1室に借家住いなのだ。壊れたら大家さんがナントカするでしょうよ、ちゃんと高い家賃を払っているんだから。

 分譲大規模共同住宅を持っている読者のみなさま!、大地震が来る前に早いこと売り逃げしたほうがいいですよ。
 結局は大地震が来た時に持っている人が、トランプのババ抜きのババをつかむのだ。問題は、トランプと違ってババの数があまりにも多いことだ。そして、そのことが分かっていながら何らの対策もなくて、どんどん危ないババ住宅が増えていることである。
 なお、不動産業界には既にババ抜きと言う言葉があるらしいが、それは傷物とか古物の共同住宅のことを言うらしい。
 ここではそうではなくて、不動産業界ではれっきとした代物としているので、なおさら厄介である。

 ところで不思議に思っているのだが、こんな心配をするわたしはおかしいのだろうか。誰もこんなことを言っていないのが、奇妙なのである。
 これをお読みなった方で、わたしのいうことが間違っているなら、ぜひ教えてください。
 メールアドレスdateygアットgmail.com(アットは@になおして)伊達美徳宛てに教えてください。
 お願いします。

 アっ、いま揺れているぞ、、。
 おりからカリブ海での大震災報道があるが、あれは海の向うのことではないのだ。明日、こちら岸のあなたに起こるかも、コワッ、、。

(追記2010年1月28日)
 昨日の朝日新聞東京版の1面に、分譲マンションの怖い記事が出ている。
「マンション管理費、住まない所有者へ増額認める 最高裁」の見出しで、分譲マンションの部屋を持ちながら自らは住んでいない「不在所有者」には「居住所有者」より額を上乗せして払わせてもよい、との判決が出たというのだ。
 所有してすんでいるものは一生懸命に管理する努力をしているのに、投資目的で他人に賃貸している所有者は何もしないという不公平を、管理費増額で差を埋めようとしたら、訴えられたらしい。
 つまり、分譲型の共同住宅はこんな紛争がおきるほどに、居住形態と所有形態に矛盾が出ているということである。
 もしも震災により大規模修繕や建て直しが必要になったときに、この間での対応は大きく違ってくるだろう。投資目的所有者は、壊れた時点で投資が終了したのだから、新たな投資をして立て直すよりも放棄して、ほかの物件に投資するほうがよいに決まっている。建て直し派と放棄派との間に面倒なことが起きるだろう。
 こうして共同住宅は、立体お化け屋敷になる可能性が充分にあるのだ。
 いやもう、実は既にそんな共同住宅が実在するらしい。こんなことでよいのか、。
参照→◆名ばかりマンション   085借家か持家か
姉歯大震災の喚起するもの(2005~2007)
賃貸借都市の時代へー体験的住宅論(2000~2008)

2010年1月15日金曜日

229安いカブ

 日本航空会社が会社更生法適用とかで、そのカブが超安値と新聞第1面の記事、そこでいつもは縁の無い株式欄ページを見る。
 え~と、目がちらちらするなあ、いったいどこに日航と書いてあるんだ? あ、JALとあるこれだな、おお、安値6円とある。
 これをどう評価するのか知らないが、デフレ時代で物価が安いからカブも安いのだろうなあ。
 他と比較してみると、え~と、同じような一ケタ値段があるか、、、あった、おお、堂々の5円!で日航の負け、いや、勝ちか、。この「シルバ精」って、なにしてる会社かしら。シルバー世代に精をつける品をつくってるのか、ならば、もっと景気がよさそうなものを、、。
 わたしも八百屋でカブを買うことがある。
 この葉っぱを刻み、根部を適当に切って、しょうが千切りを混ぜ、塩少し、昆布一切れとともにポリエチ袋に入れてちょっと揉み、半日くらい冷蔵庫に入れおく。簡単に作れて美味い酒の肴だ。
 八百屋のカブは、6株を束ねて200円くらい、1株33円、日航株の5倍以上もする。

2010年1月11日月曜日

228斜面地共同住宅

 街の中を車で走っていたら、建物の陰からチラッと、異様に明るく真っ白に輝く巨大な丘が見えた(右の上の写真)。
 とまってしげしげと眺めると、それは大きな丘の斜面におおいかぶさって斜めに建っているというか寝転んでいる共同住宅ビルが、西日を浴びているのであった。
 後に見えるふたつの鉄塔は、その丘の上に建っているらしい。
 丘陵の斜面の緑をそっくり剥ぎ取ってしまって、住宅群に置き換えられた丘には、まるでたくさんの切り餅のようにバルコニーが積み重なっている。中央に青い包丁が立てかけてあるのは、斜め昇降エレベーターらしい。
 また別のところでも斜面地共同住宅に出会った(下の写真)。こちらは隣に緑の斜面があるので、元はどんなところか分かる。
 斜面地は相対的に地価が安いから、土木や建築の工事費がかかっても採算にあうのだろうが、こんなのばかりになると風景は一体どうなるんだろうか。
●参照→崖地はめ込み共同住宅

2010年1月10日日曜日

227中古カメラ 

 カメラを買った。
 デジタルカメラを買うのは、これで4つ目である。最初は2003年くらいだったろうか。
 建物や街並みを写すことがほとんどなので、広角が必要である。フィルムカメラも広角を使っていた。
 もちろん、ハンディなコンパクトカメラでないと、あちこちもって歩いてやたらにぱちぱち撮るのに不便である。記録だから高精度の画像が必要ではない。
 広角レンズ(加えて単3電池兼用、日付写しこみが条件)のデジタルコンパクト機種が出るのを、辛抱強く待っていた。ようやく条件に該当する28ミリのRICOH Caplioが出たので早速買った。その1年後に性能が上で形が更に小さいCaplioが出て、また買った。それを2年くらい使っていたが、レンズカバーが閉まらなくなり、ズームが動きにくくなった。
 その頃になると広角レンズカメラがでまわるようになり、ixy900isを買った。単3電池兼用でないのが不満で、ときどき電池切れになる。
 このカメラは一度、便器にボチャンをしても何とか生き返って使っていた。その後、液晶画面が表示しなくなっても、目でのぞくファインダーがあるから今日まで使ってきた。
 Caplioは主に録音機として使っているが、予備的に本来のカメラとしても何とか勤まる。

   ◆◆◆

 デジタルカメラ(canon ixy 900is)の液晶表示画面が表示しなくなって1年1か月、この間、液晶表示がなくても目で覗くファインダーがあるから、特別に苦労しなくてこのカメラを使ってきていた。
 でも、液晶画面を見ないと設定の変更ができないから多少は気になってはいて、同じ900isの中古品か、910isを買いたいなあと、ときどき中古カメラ店やインターネット市場を見てはいた。
 このふたつに決めていたのは、電池が同じだからである。わたしは都市景観の記録に使っていてカメラをかなりこき使うので、液晶表示をして使っていると電池消耗が著しい。
 予備電池を買おうと思ったら5000円もするので、ちょっとばかばかしい。そこで、これらの機種を買えば予備電池もそろうのである。
 しかしどちらもなかなか見つからない。見つからなくても困らないので、探すのが楽しみみたいなものであった。
 それがついに今日、900is中古品を横浜駅前の店で見つけてしまい、買った。8820円であった。見たところほとんど新品だからから安いと言えよう。
 欠陥商品だったら1週間以内ならば引き取ると、店の人は言った。明日から試してみよう。
参照→073カメラ液晶表示がダウン

2010年1月7日木曜日

226リンゴジャムを作る


 昨年11月に、韮崎に焚き火に行ったとき、友人からたくさん貰ったリンゴが、冷蔵庫に未だにあるので、思いついてリンゴジャムを作ることにした。
 以前に福岡の友人から貰った夏みかんでマーマレードを作ったことがあるから、すぐにインタネットでレシピ検索である。便利である。
 いろいろな造り方を読んで、マーマレードに比べるとずいぶん簡単なので、適当に覚えて製造にとりかかった。
 リンゴ3個を芯だけとって、皮をつけたままざくざくと適当に切りつつ、塩水につける。これは色が黒くならないためらしい。
 無水鍋に、水を切ったリンゴをいれ、レモン1個を絞りかけ、甜菜糖約350グラザーッと入れて、木の箆で適当にかき回す。
 火をつけてしばらく見ているとどんどん水分が出てくる。適当なところで蓋をして、弱火で約30分、開けてみるとやわらかになっているので箆でつぶす。
 適当につぶしたら火を止めて蓋をして、そのまま冷めるまで放置。
 並行して、できあがったジャムを入れるため、市販ジャムの空き瓶を大きな鍋に入れ、熱湯で煮沸する。これは保存ジャムにカビが生じないようにするためである。
 しばらくして、熱湯消毒の瓶も無水鍋も熱さが取れたので、ジャムをすくって瓶に入れた。結局瓶は2個で納まった。ずいぶん減るものである。
 味見をすると、結構美味いのは自分が作ったからである。
 でも、こんな甘いものはたくさん味見できないから、明日の朝食の紅茶に入れるのを楽しみにして、今日の作業はおしまい。
(次の朝の追記)いつものようにロシアンティーにする。今朝はマーマレードではなく、手製のリンゴジャムである。おお、美味い、自作ジャムは美味い、ジャムだけでは甘すぎるのが、紅茶の中でほどよい香りほどよい甘さである。小市民的しあわせとはこういうことであるか。次は自作の米でドブロク密造だな。

2010年1月4日月曜日

225大雪の中越山村

 今、中越の山村・法末集落は、暮から降り出した雪が積り積っている。
 その法末にある仲間の活動拠点「へんなかフェ」に、M田さんは28日からひとりで泊まりこんでいる。いや、もう住み込んでいるといったほうがよいか、。
 大晦日、M田さんは1mの視界の吹雪の中を、集落の中の山頂にある神社に、雪を掻き分け掻き分けて2年詣でをしたそうだ。
 それは集落の年中行事の一つであり、どんな吹雪の大晦日でも住民はおまいりをするのだ。
 そうして民家に戻れば、屋根に厚く厚く積った雪を家の周りに落とし、その落とした屋根に登れば吹雪で飛ばされそうになる。雪をまた家から離れた場所に片付けなければならない。
 これを雪かきならぬ雪堀りという。その寒さの中でも、雪との格闘は汗ダグになってしまう。 しかし地上に積った雪の上に、更に屋根から落ちた雪が積って、もう軒までもの雪山になってしまうと、手作業ではとてもできない。除雪機を頼むしかない。
 そうやって除雪しても、また天から雪は更に次々と降り積もる。天気予報はず~っと雪マーク。
 そんな豪雪の村からのM田さんの日常報告ブログを、はらはらしながら見ているのである。
 応援に行きたいが、今すぐはちょっと都合が、、、う~む。
(追記)1月14日の現地情報は、ものすごい近来まれな大雪とのこと。

●参照→法末天神囃子   ・中越・法末四季物語

2010年1月2日土曜日

224元旦だとても書くこと無し


 なにか特に書くほどのことがある元旦でもありません。そういう日々なのです。
 元旦だから何かを書かなければ、という、ある種の“追いかけられ感”、自分自身にドライブをかける装置としての元旦、それはもう必要でなくなったようです。
 でも、そのこと自体がなんだか危ないなあ、と考えている自分もいるのですから、まだ枯れきってもいないようです。
 今日着いた年賀葉書が135枚。ありがたいことです。
 さて、これはわたしにとっては多いのか少ないのか。どうも多すぎる感もあります。だって、こちらからは去年に続いてまだ1枚の年賀葉書も出していないのですから、。
 もっとも、寒中見舞いを出しましたが、、。
   ◆◆◆
 とりあえずここで、このブログをお読みいただいているありがたくも奇特なるお方様たちに、「謹賀新年」のご挨拶を申し上げます。
 ことしも健康にお過ごしくださいませ。
 あなたのご健康状態はここでは分かりませんが、わたくしのそれは、もしもあなたが日常的にこのブログをお読みいただいているならば、そして、もしもここに1週間の書き込み途絶え期間があったならば、それはわたくしが倒れた、もしくはPCの故障、そのどちらかとお考え下さいませ。
 とにかく、今年があなたにもわたくしにも、よい年であればいいですがねえ、、どうも祈るってことが苦手なモンで、。

2009年12月31日木曜日

223今年も年賀状を書いていない

 今年も年賀状を書いていない。昨年からやめている。
 理由は簡単、年末になると喪中葉書が多くなって、出してよい人と出していけない人の区別が面倒になったのである。
 一年が巡っても、どうってこともない歳になったこともある。
 でも、一年に一回くらいは季節の挨拶をしたほうがよさそうである。
 身内に不幸のあった人にだって、浮世の習慣で年賀をお断りされても、寒中お見舞いならば受けとって下さるだろう。年賀の季節をはずして寒中見舞いを出すのだ。
 平々凡々として、月日が過ぎていく。昨日の続きは元日もほかの日も同じである。そうやってしだいに終点に向っていく。
参照→077年賀状をやめる

2009年12月29日火曜日

222交通信号を歩行者のために

 酔っ払って歩いて帰る真夜中のこと、さすがに横浜都心部でも表通りのほかは車も人もめったに通らない寂しい街となっている。わたしの家の近くの交差点をわたった。
 と、右のほうから「オトーサンオトーサン」と声が聞こえる。こんな真夜中に路上で親子喧嘩かしらと聞き流して直進する。ところが声は「オトーサン」と、わたしを追いかけて来る。
 え、右に振り向けば、作業衣・作業帽子のような姿の若い男が追いかけてくる。
 “あのね、わたしは息子が2人いますけど、3人目のあなたを誰かに生ませた覚えはありません、ごめんなすって”って言おうとしたら、
「オトーサン、信号無視は危ないですよ、気をつけてください」
 え、なんだよ、大きなお世話だよ、って思いふと見ると、棒のようなものを持っていて、どうも警官らしい。
 ごたごた言って引っぱられても困ると分別が働き、「ご忠告ありがとうございます」といって、そそくさとそいつと別れた。追っては来なかった。でも、なんでオト-サンなんだよ?

 2009年12月28日の朝日新聞夕刊社会面に、「無視される信号なくせ」との見出しで、車がちっとも通らないのに交通信号が長い赤信号になっていて、歩行者や自転車の信号無視が常態化している場所があるが、実情に合わせて赤を短くとか、信号を取っ払うのだそうである。
 そうだよなあ、誰にでも身に覚えがある。交通信号を歩行者向きにすることはよいことですよ、やってください。
 わたしが住んでいるあたりは、たいした車の交通量があるのでもないあちこちの道に、やたらに信号がある。真夜中は無駄もいいところである。信号機屋と警察と結託でしているのかとあらぬ疑いを持つのである。
 モチロンわたしはきち~んと信号に従って歩いておりますよ。
 その記事には、警察庁によると、交通事故死者のうち歩行者が占める割合が日本は高く、2007年はドイツ、フランス、イタリア、オランダは10%台なのに対し、日本は33%とある。
 おいおい、日本はそんなに車優先社会なのかよ、まったく、くたばれ自動車、。

 ところが同じ夕刊にこんな記事がある。
「HV車「音だし」1月に指針公表」の見出しで、電気自動車が静かに走るので歩行者に危険だとして、走行音を出すようにするのだそうである。
 国交省は「視聴覚障害者らが危険を感じているので、早めに開発を」といっているとある。
 おいおいバカヤロ、わかんないヤツだな、おためごかしの口を利きやがって、。
 これについては既にその馬鹿さ加減を書いているが、まったくもって、そこのけ自動車思想はやっぱり変らないのであった。
 まったく、もう、くたばれ自動車!
 参照→161そこのけ車が通る

2009年12月28日月曜日

221ご近所探検・日の丸デモ・鉛筆ビル

◎ご近所探検その1・日の丸デモ
 散歩に出ると横浜大通り公園が騒がしい。見れば沢山の日章旗(日の丸)やら旭日旗(放射状)が立っている。その旗棹を抱えた男女2~30人くらいが集まって演説をきいている。
 まわりには制服警官や私服警官らしき人たちも、うようよといる。
 アジ演説をしているが、演説口調がドスのきいた絶叫であるから、ウヨクさんたちかなあと近づいてみればプラカードやのぼりもあって、拉致問題にも触れて外国人犯罪を撲滅どうとかこうとかと、外国人排斥のようなことも書いてある。NPOナントカカントカとも団体名を書いてある。ふ~ん、NPOも色々あるんだなあ。
 そのそばにはリサイクル露店群が地べたに品物を並べていて、福祉ボランティアの出店もあって、その平和な風景と対照が奇妙である。
 ウヨクさんたちはそのうちに一列になって、警官たちを引き連れてデモ行進に移っていった。

◎ご近所探検その2・鉛筆ビル
 近所の方のビル建設計画のお知らせが郵便受けに入っていた。図面を見て現地と照合すると、左右後と三つの鉛筆ビルにはさまれた小さな敷地に、鉛筆ビルを建てるのである。裏になる隣の共同住宅は完全なる日陰になるが、仕方ない宿命であるとしてよいのかしら、。
 わたしが住んでいる横浜都心部にある共同住宅の周りには、大きな敷地の太目の集合住宅ビルも多いが、狭い敷地の細身のっぽビル、いわゆる鉛筆ビルがたくさんある。
 これらのたいていは土地を持っている人がビルのオーナーであるらしく、下に店舗や事務所、一番上にはそのオーナーの住宅、中間に共同住宅というのが典型的な例である。
 肩を接して建ち並ぶから、住宅の日照は道路側だけに頼らざるを得ない。近所よりは早めに建てて隣にむいて窓をあけていても、そのうちに建ち並んで日陰ビルになる。
 じつはわたしの住む南側の道路向こうは、低層ビルと駐車場である。ここにいつ高層ビルが建つだろうかと、びくびくしている。そのときは引っ越すしかないが、借家だからその点はちょっとは気楽である。
 その北側で建設中のままで止まってしまった高僧共同住宅ビルは、いまだに再開の様子は見えない.
参照→092隣に迫る大不況

2009年12月26日土曜日

220数の単位

 数の単位で、1キロは1000、1メガは100万、1ギガは10億、1テラは1兆、1ペタは1000兆だそうである。順に千倍になっていくのである。
 日本語は万からさきは億、兆、京と、順に万倍になって単位がつくから、IT語とずれてしまって勘定がしにくい。
 ところがコンピューターの情報量のバイト数は、1ギガバイトは1000メガバイトではなくて1024メガバイトなのだそうである。そんな半端な数になぜなるのか、なんだか2進法に関係ありそうだが、1000倍ごとに単位を切り上げる法則から外れていて、奇妙である。
 最近のハードディスクは1テラバイトなんて大容量の宣伝をしているが、あれは実は正確には1.024テラバイト(1兆240億バイト)なのだそうである。
 デジタルカメラの画素数は、100万画素なんていって、1メガ画素といわないのもヘンである。ならば1テラなんていわないで1兆バイトって言ったらどうか。
 IT用語はどうもいい加減で困る。
 で、今年の政府予算案が92.3兆円だそうである。つまり92.3テラ円である。
 なるほどそうか、この日本列島内外から集めるテラ銭を元手にしているからなんだな、。

2009年12月23日水曜日

219大人の火遊び

 大きな焚き火をしてきた。火遊び仲間4人は同年だから、焚き火は当たり前の時代に育ったから、懐かしいイベントである。
 焚き火をしたいために、3人がわざわざ横浜から出かけて、韮崎市内に住む友人の広い畑で、倒した木の枝を積上げて盛大に燃やしたのだ。
 今はCO2の排出が増えるとかダイオキシン発生とかで、焚き火はどこでも禁止らしい。世知辛くなったものである。
 わたしは森の中の神社で生まれ育ったから、冬の朝は広い境内からはき集めた落ち葉を盛大に燃やす焚き火で身体をあっためてから登校したものである。お正月の初詣の人たちも皆焚き火の周りで暖をとっていた。
 40台で鎌倉の一戸建てに移ったときに、庭でやりたいことのいちばんは焚き火だった。喜んでやっていたのだが、しばらくして近所から文句が来た。なにせ狭い敷地だから煙はどんどん隣に行くのである。そうか、ここは一山の森がある神社の境内ではないのだと気がついて、止めざるを得なかった。
 昨年から年に1、2回、韮崎まで焚き火に通っているのである。ぜいたくな大人の火遊びである。
 ●参照→108焚き火http://datey.blogspot.com/2009/03/108.html

2009年12月19日土曜日

218微妙な年頃

 今の自分は、実に微妙な年頃であると思う。
 古稀過ぎたなんていうと、昔なら大年寄りだが、今はそうでもない、だけど年寄りではあるから、社会的な立場が微妙である。
 もっと微妙に思うことは、自分に課している人生の宿題となる、いくつかの調べごとがあるのだが、それらをあまり早く仕上げてしまうと、その後の人生がつまらなそうであるし、そうかといってボチボチとやっていて、まだ気がすまない状況のままにボケたら、それもまた悔しいと思うのである。
 なにしろ、これから渡っていく自分の人生時間という綱の先ッぽがどの辺にあるのか分からないままながら、そう遠くではあるまいと分かってからの綱渡り人生は、考えてみるとスリルに満ちている。
   ◆◆◆
 同年の友人が言う。
「時間は今や無限にあるようになった」
 わたしが言う
「時間って有限だろ」
「ところがね、今や仕事はないし、稼ぐ必要もないので、自由な時間だけで過ごしている。この状態が死ぬまで続くことは間違いないからだよ」
「じゃあ、死ぬまでしか時間は無いだろ、有限だよ」
「いやいや、時間は人間が作り出したものだよ、その人間が死ぬまで時間を気ままに使えるってことは、時間に限度が無いんだよ」
「まあな、仕事という自分の外部から決まる締め切りという有限の時間に追われることのない生き方は、無限に時間があるってことだな」
「そういう状況の中で死ねば、締め切りなる有限時間はいまからずっと永遠に存在しないんだよ」
「ふ~ん、実存哲学のような、至極単純アタマのような」

2009年12月13日日曜日

217野村四郎の能「鵺」を観る

 久しぶりに野村四郎師の能を観てきた。
 能 鵺 白頭 
  シテ野村四郎 ワキ江崎金治郎 アイ山本則秀 
  大鼓佃良勝 小鼓幸正昭 太鼓観世元伯 笛一噌隆之
  地頭浅井文義     2009年12月12日 川崎能楽堂
 「鵺」という能ははじめて観た。源頼政に退治された怪物の話である。頭は猿、身体は虎、尻尾は蛇というキメラである。
 例によって、旅の僧が泊まった川辺の仏堂に怪しいものが出てくる。お前は誰かと聞けば、頼政に殺された鵺の幽霊で、成仏できないので弔ってほしいと言って姿を消す。
 ここまでが前場で、後場は僧が読経していると、鵺が出てきて殺されたときの様子を仕方話して、また消える。話はそれだけである。
 見所は、鵺が殺される前後の演技であろう。鵺が自分のことの物語だから、殺される側の鵺の演技はあたりまえだが、殺す側の頼政の演技もするので、よく考えるとおかしいのだが、能にはそんな演出が普通にある。それを観ているときはおかしいと思わないのは、演技の力である。
 この怪物の鵺は、僧の念仏で成仏したのだろうか、そこがよく分からない。鵺の最後は、祈ってくれといいつつ、よろよろと幕に入ってしまう体となる。これは川流れである。
    ◆◆◆
 この鵺を退治した頼政に関しては、その名をつけた能がある。彼は歳とってから、どうでもよいことで平家に刃向い挙兵して殺されてしまう。能「頼政」はその殺される合戦の様子であり、能「鵺」と似ている。作者がどちらも世阿弥だから、つながりを持って作っているだろう。
 その能「頼政」も、最後は「あと弔い給へ、御僧よ」と頼みながら草の陰に消えるのであるが、明確に成仏したとは謡われない。
 能ではどんな苦しむ霊でも最後に成仏させることが多い。例えば能「清経」では、「仏果を得しこそありがたけれ」と納まるし、能「砧」では「成仏の道あきらかになりにけり」と謡うのである。
 それに比べて鵺も頼政も踏ん切りが悪い。どうもこれは成仏していないらしい。敗者の悲哀がこの能のテーマと言われるのはそこにあるのだろう。
 だから演技でいちばんの核となるのは、実は最後のほうで流れ足で橋掛かりに入ってからの、小舟で流されていく遺骸となった鵺の哀感表現かもしれない。今回の野村四郎の演技も、そこに惹かれた。
    ◆◆◆
 狂言は「福の神」であった。山本則俊以下、則重、則孝、泰太郎、則秀と大蔵流山本東次郎家がぞろぞろ登場して、西の和泉流茂山家に対抗できる人数で、まことに繁盛おめでたいことである。
  来年2月13日午後、目黒の喜多能楽堂で野村四郎「松風」がある。野村四郎はやはり三番目物がいい。
 参照→野村四郎師サイト

2009年12月12日土曜日

216改めない更新って?

 インタネットサイトの「更新」という言葉がおかしいと昔から思っている。
 この世界では、なにか記事を付け加えただけで「更新」というのである。何も書き換えていないのに、なぜ更新なのか?
 ではおなじみの広辞苑。
・こう‐しん【更新】①あらたまること。あらためること。「記録を―する」 ②〔法〕契約などの期間が満了した時、その期間を延長し、または新契約を結ぶこと。 ③〔生〕植物群落の遷移。特に、極相森林で世代の代ること。
・あらた・める【改める・革める】①新しくする。これまでのをやめて、別のものにする。 ②あるべき状態になおす。改善する。正す。 ③(ことばや態度を)堅苦しく儀式ばらせる。きちんとさせる。
 ということで、ブログのようにただ付け加えただけでは更新とは言わないのである。掲載記事を書き換えたら更新なのである。
 まったくもって、IT用語の日本語知らずである。
 思い出せば、ずっと以前に「購読」てのがあって、インタネット用語では「サイトを見ること」だって、ある人から聞いたことがある。でも、無料で購読ってのはおかしいでしょといったら、今はカイヘンをゴンベンに直して「講読」と書くことにしたと返事をもらった。今もそうしているのだろうか。辞書で「講読」を引いてみなさいよ、大間違いなんだから、。

215スパコンなんてどうでもいい?

 広辞苑に曰く
こだわ・る
①さわる。さしさわる。さまたげとなる。膝栗毛六「脇指の鍔が、横腹へ―・つて痛へのだ」 ②気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。「形式に―・る」 ③故障を言い立てる。なんくせをつける。
 さて、今朝の朝日新聞経済欄に、富士通なる電器屋の社長の言が載っている。
「富士通はスパコンの開発にこだわっていく」
 先般、政府事業の仕分けなるイベントで、槍玉に上がったのがこのsuper computerの開発であったことは記憶に新しい。
 この富士通社長の発言から見ると、super computer開発なんて、「気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる」ことであるらしい。
 だとしたら、仕分け人が言う如く、そんなものを国がやることはないってのは、事実なんだろうなあ。
 ワープロと双璧の変な言葉のスパコン、え~と、スパンコールってあったなあ、なんだっけか?

2009年12月9日水曜日

214美術展のハシゴ

 昨8日は思い立って3つの展覧会をハシゴしてきた。
 ひとつは東京丸ノ内にできた三菱1号館美術館のプレ展覧会「一丁倫敦と丸ノ内スタイル」展、2番目は千葉・松戸の松戸市立博物館の「日本表現主義」展、3つ目は東京・木場の都立現代美術館で「ラグジュアリー:ファッションの欲望」展である。
 復元三菱1号館にはじめて入った。展示よりも内部の復元はどう見せているのかが気になっていたのだ。このことで考えさせられることがあったので、いずれまちもり通信の瓢論で書く。
 日本の表現主義展は、既にこの春、栃木県立美術館で見ているのであるが、あまりに厖大で見たりなかったので、招待券をいただいたのを幸に再訪した。ただし、栃木県美よりもっ会場が狭いので、あまり見ごたえがなかった。
 3回に分けて展示替えするのだそうだが、あれほど沢山の資料を集めたのを、できれば一度にゆっくり見たいものだ。それが表現主義を多様な面から再評価する良い機会になるのだ。この展示ではちょっと残念である。

 松戸市博物館には、どこでもよくある郷土史の石器やら甕やらジオラマ等があったが、わたしが面白かったのはそれではなくて、常盤平団地という1959年から入居が始まったいわゆる公団団地の中の住戸を再現したものであった。あの時代の生活を思い出した。しかし、不満だったのは、常盤台団地の成り立ちなど現代史としての展示があっても良いだろうに、たんに2DKの再現だけであったことだ。
 ファッションの欲望展は、実はよくわからないのだが、招待券をもらったので、久しぶりに服飾ファッションを見てきた。仕事でファッションタウンなるものに長く関わっていたことがあるので、まんざら無縁ではない。
 隣の部屋でアメリカの絵画展をやっていて、ウォーホールやリキテンシュタインのポップアートの作品に出会った。リトグラフの何枚もの色違いマリリンモンローとか、漫画の1コマを拡大して印刷のドットまで丹念に模写した油絵とかで、ああ、アレはここにあるのかと、ちょっと驚きつつ楽しんだ。
 外に出ればさすがにとっぷりと日は暮れている。近くの門前仲町の居酒屋「魚三」による。壁に貼られた100以上もありそうな手書きメニューがポップアートにみえる。酒3本、生と焼と煮魚をひと品づつ、良い機嫌で締めて1200円、急に文化のレベルがダウンしたのであった。
 参照→207日本の表現主義展

213貼り紙だらけ

 横浜のわたしが住む共同住宅の、玄関ホールなどに、最近、管理者からの張り紙がやたらに出てくる。
 その内容が恥かしいくらいに低級で、小学生に言い聞かせるような常識的なご注意ばかりである。その中には自分もいるのだが、この共同住宅に住んでいる人たちのレベルが今頃になって分かった。
 家庭ゴミのだし方の案内パンフレットが、中国語、韓国語でも貼ってある。
 それなら注意書きも3ヶ国語である必要がありそうだが、日本語だけのところを見ると、注意するべき行為をする奴等は、日本語のわかる人たちだけかしら。

2009年12月6日日曜日

212辺野古仕分け分別

 広辞苑にはこう書いてある。
『へ‐の‐こ【陰核】 ①陰嚢中の核。睾丸。〈和名抄三〉 ②陰茎』
 ちかごろのTVでは、男女が平気でヘノコヘノコとのたまうのだが、紳士たるわたしはどうにもはずかしくて聞いていられない。
   ◆◆◆
 また広辞苑に、こう書いてある。
『し‐わけ【仕分け・仕訳】 ①区分すること。分類。類別。「郵便物を―する」、②簿記上の取引を借方と貸方とに区別し、それぞれに適当する勘定科目をつけること。③税関上屋(ウワヤ)内などにおいて、貨物を荷主別・到着港別などに分割・類別すること』
 今の評判の政府事業の仕分け作業とは、要るもの、要らないもの、再検討するものに分類することを言うらしい。
 これってゴミ出しの分別(ぶんべつ)と同じである。燃やすもの、再利用するもの、埋めるものである。
 どうせなら、国の仕事分別作業と言うほうが、とりあえずは分かりやすいと思う。
 で、仕分け人やら政府側の人やらが、マスメディアから資格があるのかとか、やりすぎだとか、なってないとか色々言われているが、ようするに彼らが分別(ここではフンベツと読む)をもって分別(ここではブンベツ)してるかどうかだな。
 またもや広辞苑にこう書いてある。
『ぶん‐べつ【分別】:種類によってわけること。区別をつけること』
『ふん‐べつ【分別】:①(もと仏語から) 心が外界を思いはかること。理性で物事の善悪・道理を区別してわきまえること。徒然草「―みだりに起りて、得失やむ時なし」、②考えること。思案をめぐらすこと。狂、萩大名「今日はどれへぞ珍しい所へお供致したいものでござる。汝、―をしてみよ」、③世間的な経験・識見などから出る考え・判断。五人女四「久七―して、いやいや、根深・にんにく食ひし口中もしれずと、やめけることのうれし」。「思慮―」、④(僧の隠語) 鰹節(カツオブシ)』

2009年12月5日土曜日

211喪中葉書

 年末になると「喪中につき云々」なる葉書が続々とやってくる。  これって年賀状を出さないってお詫びらしいのだけど、喪中には人様からお祝いを言われるのはそれが何であれ嫌なのかもしれないが、人様にお祝いを言うのもいけないのかしら。そこがよく分からない。
 わたしの場合はどうしたか。実は何もしなかったのである。普通に年賀状を出した。
 親戚にはともかくとしても、こちらの親族と知己でもなんでもない人様に喪中といっても、なんの関係もないからである。
 同様に、他人からその親族の永眠をもって喪中といわれても、お知らせをいただいたご当人は知っていても、その親族を知る場合はめったにないから、どうもピンとこないのである。
 ほとんどの葉書がそっけないお知らせである中に、「永年、一家の手法をつとめながら、学校教育および社会教育に取り組んだ母は、近年、幾多の病に臥しがちでしたが、、」とあるものがあり、この友人のご母堂は見知らぬが、母子の情が感じられたのである。
 それにしても、永眠された方の年齢をちょっと挙げてみても、98、100、84、89、88、82、94,91と、将に超高齢社会の真っ只中であることが分かる。
参照→077年賀状をやめる  066喪中ごあいさつ 

2009年12月4日金曜日

210鎌倉の世界遺産

 日本各地で世界遺産登録の暫定候補地がいくつかある。どれも登録に至るには足踏みしている。鎌倉はその中では老舗格になってしまった。
 その鎌倉で今年も11月8日に、市民による世界遺産を考えるワークショップがあった。一昨年から3回目である。鎌倉世界遺産登録推進協議会と鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会が音頭とりであるが、鎌倉にいる建築家の畏友が事務局長兼総括進行役ボランティアでがんばっていて、わたしはコメンテーターつまり全体の論の整理係として参加した。
 市内外から公募に応じた60人ほどの市民たちがやってきて、市役所の大きな部屋で、6つのグループに分かれ、土曜の午後の半日をかけての話し合いであった。
 テーブルごとに討論する遺産候補群をそれぞれ定めているが、論は登録のテーマとしている「中世武家の都」を超えて、時間的にも空間的にも広がるばかり。
 みんなの論点は、とにもかくにも登録に持ち込む算段はどうするか、登録するにはまちづくりをちゃんとしよう、登録して市民に何のメリットがあるのか、そもそも登録する遺産を市民は知っているのか、などなど、毎年のように堂々巡り気味にもなる。
 こうして多様な人たちが、世界遺産という大きなテーマの下に、地域のまちづくりを真剣に話し合うことが、地域コミュニティー形成に大きく役立っていることを感じたのであった。
 参照→◆裏長屋の世界遺産談義(2009)
      ◆102世界遺産よりも宇宙遺産
       ◆世界遺産とはなんだろうか(2008) 
        ◆山並み眺望をついに守りとおした鎌倉(2008)

2009年12月2日水曜日

209知らない流行語

 今年の新語流行語大賞なるものがあるとマスメディアが伝える。どこかの企業が決めているらしい。
 で、そのトップテンは次のようなものというのだが、半分は知らない。
 「政権交代」はもちろん知っている。だが、これは新語じゃないが流行語か?
 「こども店長」ってなんだ?
 「事業仕分」は、あまりに有名になった。新語のように聞こえる。
 「新型インフルエンザ」はもちろん承知。未だかかっていないけど。
 「草食男子」たあなんだ、要するによわよわしい男ってことか?
 「脱官僚」は新語じゃないからとて、なんで流行語なんだよ、いまごろ流行語というほうがおかしい。
 「派遣切り」なんて、今年の新語のようだが、流行語にしたくないという皮肉をこめて社会批判として採用したのかしら、それならこの企画にも芯があるけどな。
 「ファストファッション」、こりゃなんだね、ファスト風土とかファストフードの類か、お手軽で半分裸の格好のことか、ならばチジミのシャツにステテコこそファストファッション?
 「ぼやき」ってのは、なんでもプロ野球の監督のことらしいが、興味ない。
 「歴女」、??
 こうしてみると、わたしの知らないのはどれもTVタレントものらしい。知らなくてあたりまえだ、だってTVを見ないんだもん。

2009年12月1日火曜日

208欠陥IT商品の責任

 官庁の諸手続きを、コンピューターからインタネットつかってできるように、電子化システムを各官庁が整えてきたが、なんとまあ、その利用率がぼろくそに悪いとマスメディアが伝える。
 システムの開発費と維持費ばかりかかって、利用者1件あたり数万円もかかっている計算になるものもあるという。
 そりゃそうだろう、例えばわたしだって所得税の確定申告で、その電子システムでやろうとしたが、まず認証のめんどくささでひっかってやめた。計算システムだけ利用して、紙に印刷して郵送しているのである。要するに使い勝手があまりに悪いので、紙で届けるほうが楽なのである。
 ほかも同じだろうが、なんでそんなに利用率が低いか、それはコンピューターの普及とかではなくて、やってみればわかるが、システム利用案内の日本語が分からないのである。
 これも私が何度も言っているように、日本語を知らないITバカ技術者が作るからである。
 そんなシステムを買う官庁も官庁である。買う前に市民に利用の実験してみればすぐにそのバカさ加減が分かることである。
 マスメディアは、役所が無駄使いしてけしからんて論調だけど、これははっきり言ってIT業者が欠陥商品を納入したのである。使えないものは欠陥商品である。
 たとえて言えば公共施設として劇場を建てたとしよう。先ずそこを使うには鍵を開けて入らなければならないが、これが面倒くさい手続きを要求するから、嫌になって使うのをやめるのである。たとえ鍵を開けたとしても、こんどは中の部屋や設備の使い方の案内書が分からないのである。たとえ使えても、その面倒なことおびただしい。
 というわけで、使えないもの、つまり欠陥商品を売りつけたのである。
 素人をだまして、高い金を取ってつくり、維持費も独占的に高い金を取って、要するにこの件でボロもうけしたのはIT業者で、大損をしたのは税金を納めた市民である。
 そこをマスメディアはなぜ追求しないのか、メーカーやソフト業者の責任をなぜ言わないのか不思議である。欠陥建物ならすぐ設計者や建設業者をどうのこうのというのに、お前等おかしいぞ。
 思い出せば、森喜郎首相というどうみてもITと程遠いお顔の方がIT立国なんていっていた。IT業界を税金で儲けさせたのであった。

2009年11月28日土曜日

207日本の表現主義展

 日本表現主義をテーマにした大規模な展覧会が全国美術館を巡回している。わたしは既に栃木県美術館で見てきたが、この12月から千葉県松戸市の市立博物館で開催する。
 ここに建築家山口文象の作品も登場している。それの作品とは、1924年の創宇社第2回展点にパースを、同年の分離派第4回展には模型を出品した「丘上記念塔」である。
 パース原版も模型も失われている(いつも展覧会打ち上げパーティーで川に放り込んだとか)から、パースは本からのコピーで、模型は復元して展示している。
 このコンテで描いたパースは、実にすばらしい絵だと当時の建築家志望若者連中がこれを見て憧れ、山口文象がリーダーの創宇社建築会に入会者が増えたという。
 メンデルゾーンのアインシュタイン塔を連想させるデザインは、確かに日本の表現主義の建築における萌芽の時代を思わせる。
 創宇社展ポスターはメンバーが順繰りに描いたそうだが、第1回及び第3回のポスターは山口作で、これは竹村文庫に保存されている実物が展示されている。
 もうひとつの山口文象作品は、前衛劇「ドイツ男ヒンケマン」舞台装置である。これは写真展示であるが、1925年に創宇社第3回展に出品している。その頃に山口文象たちは、「劇場の三科」なる演劇団体を結成して、前衛劇を演じたのでそのひとつである。
 同時期の建築家の作品は、山田守の「聖橋」がでているが、これも展示されてはいないが山口文象が設計のために描いたコンテパーすが存在しているのだ。
 岩元禄による「京都西陣電話局舎」もでているが、これも山口文象によれば岩元を手伝ったという。
 そのほかには石本喜久治、堀口捨巳、滝沢真弓など分離派の作品展示が多いなかで、金澤庸治とか川喜多煉七郎のような少しアウトサイダーの作品があるのが興味深い。時代相から言えば山口文象も基本はアウトサイダーであるが、あるときからインサイダーになったという才能の持ち主である。
 それにしても、建築、絵画、彫刻、工芸、写真、演劇、映画などの多ジャンルを、表現主義という断面を横断してみるのは、実に面白くて興味が尽きない。おお、これもそうなのかと思いつつも、あまりに多すぎてとても消化しきれないのは、こちらの能力の限度をこえているのだから仕方ない。
 とにかく面白いから、12月8日から松戸での展示を見ることをお勧めする。

●躍動する魂のきらめき-日本の表現主義-展 
 明治維新以来、およそ40年をかけて、日本はようやく一通りの近代化を果たすことができました。ヨーロッパという明確な目標があった時代には、ひたすら選考するモデルを追いかければよかったのですが、自らを一人前として自覚するようになったら、今度は何を目標とするか自ら考え出さなければなりません。こうして明治末すなわち1900年代から、何に向うべきか、またその問いをどう表したらよいのか、日本の表現者は自ら問わなければなりませんでした。(松戸展案内より一部引用)
・開催期間 2009年12月8日(火)~2010年1月24日(日)
  ※休館日-月曜日(ただし1月11日(月)は開館し、翌12日(火)休館)
         12月28日(月)~1月4日(月)
・開館時間 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
・開催場所 松戸市立博物館 
  ※所在地:〒 270-2252 松戸市千駄堀 671
    (Tel)047-384-8181  (Fax) 047-384-8194

●参照→建築家山口文象論http://homepage2.nifty.com/datey/bunzo/index.htm