2017/12/08

1306【FACEBAKA与太記事11月後半】元号やめろ、三渓園、安藤忠雄展、密漁ミサイル、小町和義展など

11月30日

アレ、同じ人だよ、国の財政再建を建議する能力あるのかなあ?



11月29日

秋深く、横浜三渓園、定番紅葉、定番ツインタワー


11月29日
建築家・安藤忠雄展、ほお~、新聞一面広告だよ~、カネあるなあ、
いや、建築材料屋の広告か、まあいいや、
それじゃ、わたしもブログ広告を出しとこうっと、、
ヒマだから続々編も書くつもりだよ~。
【伊達の眼鏡】安藤忠雄展雑感長屋談議

11月29日
おお、昨夜は、ICBM宇宙船に乗って、
日本海に烏賊の密漁、また遭難だって!??
ようやくわかったっぞ、
キムさんがロケットやミサイルを日本海に打ち込む理由が、、
そんなに食料不足なんだね、可哀そうに。


11月27日
そうか、ようやくわかったよ、いくら人口が減ろうと、
新築持ち家優遇の住宅政策を変えないで、
空き家増加促進政策を進めているのは、
この時に備えてであったか、そうかそうか、。

11月24日
タイワンザル撲滅 って、
昔々、ある人種間の交雑を禁止していた時代があったなあ、
今はある猿種間がそうなのかあ、
そのうちにヒトの固有種保存なんて言い出すかもなあ。

11月23日
 そもそも官公庁がいつまでも元号を使ってるから、
そんな面倒なことになるんだよ、
また先々でも同じ問題が起きるってわかってるでしょ、
それなのに元号なんてものにこだわるのがオカシイ。
 このさい来年中に元号から西暦に行政システムを変更すれば、
いつ元号が変ろうと平気ですよ、そうしましょうよ。
 ついでながら「屁えせえ」から「ウンせえ」に変るらしいよ?

11月23日
へえ~、「大損」なんてブランド名?、買って損しないかしら?

11月21日
建築家・小町和義展を観に行き、
小町さんにも久しぶりに会った。
あの会場であれほど多くの人が来るとは、
会場単位面積当たり人数は、
建築家・安藤忠雄展と比べてよい勝負だろうなあ。
建築家って今は人気ある商売なのかなあ。

11月20日
【安藤忠雄展見物雑感】
 原寸模型のコンクリ打ち放し教会建築がありました。
このフェイスバカにもよく登場します。
 で、これがですねえ、しげしげと見ると、
どう見ても施工精度悪いプレファブ建築らしいけど、
どうなんでしょうか、どなたかご存知ですか。
 施工精度の悪いコンクリパネルを積み上げ
(あるいは貼り合わせ)てあるようで、
パネル相互の不陸あるし目地寸法もマチマチ、オカシイ。
 現物は当然のことに現場打ちコンクリでしょうから、
その悪さをも再現したのかしら、それならよく分り、
原寸模型展示の迫力が増します。
 プレファブ方式はここでの施工と取り壊しならば当然、
でも、プレファブなのに施行精度の悪さが奇妙でした。

11月18日
【木にコンクリを継ぐ建築保存】
まち歩きで出会った面白い「物件」、
2階建て木造店舗の上にかぶさって、
5階建て共同住宅ビルが建っている。
つまりこの二つは同じ敷地に建っていることになる。
 地元住まいの案内者によれば、
この木造建築は共同住宅ビルを建てる前から、
既に建っていたとのこと。
 ということは、このコンクリ建築は、
木造建築の増築工事として建築確認申請したのだな。
木に竹ならぬコンクリを継いだのか、
どんな事情か知らぬが、興味深い建築保存方法。
 そういえば、
名古屋で木造神社建築に超高層ビルを増築した例を思い出した。

参考

1301【FACEBAKA掲載与太話】10月後半~11月前半

1293【FACEBAKA与太記事十月前半】

2017/12/03

1305【余談:安藤忠雄展雑感談議】直島プロジェクトの模型や映像を観ていて昔々この島に消えた大量の釣鐘を思い出した

安藤忠雄展雑感長屋談議】【】【続々】のつづき
直島は昔から金属工場の島 観光リゾート安藤建築は島の南
●少年のころに直島を訪ねた大昔記憶
 国立新美術館に建築家の安藤忠雄展を観に行ったのだが、大勢の入場者に驚いた。建築家ってこんなにもてるものなのかい?、いいなあ、都市計画家もそうなりたいものだ。
会場の中央に安藤流の卵があって、それは瀬戸内海の小島の直島で長期にわたるプロジェクトを、ジオラマとパノラマ映像で見せる見世物小屋だった。ベネッセという企業と組んでいて、安藤さんの営業力を見る感じだ。
直島プロジェクト見世物小屋
その安藤の建築のことは別に書いているから、ここではわたしが昔々に直島を訪ねた想い出を書くのだ。ほう、いま計算したら、それはもう70年も前のことである、すごいなあ、そんな大昔がこのわたしにあるなんて、どうにも信じられない気持ちだ。

 太平洋戦争が終わった次の年の1946年の夏、わたしは直島を訪ねた記憶がある。草木のひとつも見えない荒れ果てた岩や赤土が剥き出しの島だった。港から坂を登って行き、丘の中腹を切り拓いたらしい広い空き地にでる。
 そこには無数の釣鐘が、土の上に延々と並んでいた。これがこの島訪問の目的である。
 光景を思い出せば、たぶん2~300個はあったろうだったろう。少年のわたしの背よりも高いものがほとんどだったが、中には小さなものもある。夏の太陽に照らされた坊主頭の大群衆が、緑青や茶褐や漆黒の肌を光らせて、黙々と立ち尽くしているのだった。
 想えば、シュールリアリズムの絵画のようであり、子ども心にも異様であり、これだけがわたしの記憶にある直島風景である。

 直島を訪れたのは、その6年前に戦争のために金属供出した釣鐘を探す旅だった。父が連れて行ってくれた。ほかに父方の伯父と1歳上の従兄もいた。
 わたしの生家は神社であり、父は神社の宮司であった。そのその高梁盆地の御前(おんざき)神社には、17世紀半ばから城下町に時刻を知らせるために、時の鐘として鳴らされていた釣鐘があった。

 それが1940年に政府に召し上げられ、兵器となるために溶かして鋳直す工場がある直島に渡ったのだ。金属鉱山の無い日本が戦うための武器をつくるには、街や家庭にある規制の金属製品を改修して原料にするほかなかった。
 直島の三菱精錬所には、各地から釣鐘類が集められていたが、戦中に兵器になるべく鋳潰されないで残っていたのが、わたしたちが見た釣鐘の群れだったのだ。
 たぶん父は供出した釣鐘の行方を調べて、ウチの鐘も残ってるかもしれないと思って直島に出かけたのだろう。

●少年のころの釣鐘の記憶
 鐘にはこのような銘が鋳てあった。
吾移住当城之後為教城下之士庶十二時候課干冶工鋳鳧金以奉納槨内御前大明神之賽前蓋知時即寺社不忘其勸矣時則四民不勤其業近境順法遠境効焉所冀天長地久国家安全除災與楽将来千億
       慶安四歳次辛卯九月吉祥日
        城主水谷伊勢守勝隆 敬白
          冶工當国小田郡高草
           惣領 彦之丞藤原守重
 慶安4年とは1651年であり、その9年前に転封してきた城主水谷勝隆が奉納したとある。この鐘は供出するまで290年もの長い時を刻んできて、高梁盆地の城下町に響いていたのだった。
 兵器となるべく直島に蝟集した無数の釣鐘群の中には、もっと昔のものもあったに違いない。

 探しているその釣鐘は、岡山県の高梁盆地の丘の中腹にある御前神社の鐘撞堂(かねつきどう)に吊るされ、朝な夕なの時刻を知らせる時の鐘だった。昔は鐘つき専門の職がそばに住んでいたらしい。
 鐘撞き堂は、高さが3階建てほどの、木造の高楼建築だった。わたしの頃は、宮司の父が撞き、父が不在の時は母が撞いていた。その時刻が何時であったのか知らないが、父の不在中の夜中に母が出かけるとき、幼児だったわたしひとりの留守番を怖がった記憶がある。夜中の鐘撞き堂の急階段を、幼児をおぶって登るのは不可能だったろう。

 もうひとつのおぼろげな幼児期の記憶だが、家に騒がしく出入りするひとたちがいて、鐘の音が連続して聞こえていたような気がする。しらべてみて、これは1940年紀元2600年記念に、その元日に2600回連続して鐘を撞くイベントの時であったようだ。今に残るわたしの人生最初の記憶である。
 城下町に響く時鐘は町民に愛されていたらしく、1940年の金属供出で鐘が出ていくとき、それを送り出す盛大なイベントがあったことが、当時の写真で分る。
1940年12月 時鐘供出祭
左に地上に降ろされた釣鐘と祭壇 右上の父は兵役中で不在

 直島の鐘の話にもどる。父は国内勤務だったので、戦争が終わった1945年8月の末日に帰宅してきた。父が兵役で留守中に鐘を供出されたので、宮司に復帰して鐘も復帰させたかったにちがいない。
 4人で釣鐘群の迷路の中を、夏の日に照らされながら捜し歩いたが、そんなにたくさんありながら目的の鐘を見つけられなかった。父も伯父もガッカリしたことだろう。

 荒涼とした島の風景の中にたたずむ死を免れた釣鐘群は、それまでにもっと大群が兵器となって戦争の泥沼に沈む旅に出ていくのを見送ったことだろう。
 生き残った釣鐘は、その後にそれぞれの故郷に戻って行ったのだろうか。戻るべきところも戦争でなくなっていたかもしれない。故郷を失った鐘は鍋や釜になったのだろうか。

●リゾート観光地の直島に戦争の記憶は
 わたしたちの探していた釣鐘はそのまま帰ってこないが、鐘の故郷の高梁盆地にある御前神社には、いまも鐘撞堂がすっくと立っていて、戻ってくる鐘を待っている。
 だが木造高楼建築は、寄る年波には勝てないらしく、倒壊の恐れありとて、登ることはもちろん近づくことも禁止の注意書き札が立っている。
 鐘が戻ってきても、もう吊るすこともできない。もっとも、いっときのことだが寄付する人がいて、プラスチック製の釣鐘がぶら下がり、テープ録音の鐘の音が響いたこともあるらしい。
1940年末から今日まで鐘の帰りを待つ鐘撞き堂も老いてしまった

 わたしの直島の記憶は上に書いた場面だけなのだが、その帰りにどこかの海辺で海水浴をした記憶が鮮明にある。従兄と2人で泳いだのだが、白砂青松の浜辺がひろがり、泳ぐ向こうの遠くない海上に、可愛らしいお椀を伏せたような松の繁る小島が見えていた。
 この海にそそぐ高梁川の中流部の高梁盆地で育ち、その川で泳ぎを覚えたわたしには、初めての海水浴だった。海の水は辛く苦いものだと、まず舐めて確かめた記憶がある。

 海水浴を楽しむにはまだ貧しすぎた時代だからか、わたしたちの外に誰もいなかった。父と伯父は、たぶん船か列車の待ち時間に、その子たちを遊ばせたかったのだろう。
 それがどこだったのか、直島航路の宇野港に近いあたりの海水浴場を、ネットで探しても見つからない。いまでは小島もろともに埋め立てられて産業地になり、砂浜はなくなったのだろうか。
 もう、父も伯父も従兄もこの世にいない。

 金属産業の直島はいま、企業のベネッセによる事業として、建築家安藤忠雄の建築で有名な観光リゾートの地に大変身して、煤煙で島を丸禿にしていた三菱の工場はエコアイランドの核となっているという。
 かつてこの地が各地から社寺の釣鐘を集めて、兵器をつくるための島だったことは、忘れ去られているだろうか。釣鐘ばかりか、そのほかの多様な金属も来ていただろう。あの頃、各地の金属製の文化財も失われた。
 直島にもあった戦争の記憶を、今の島のどこかに残しているだろうか。直島町史あるいは三菱マテリアル社史に載っているだろうか、あの光景の写真があるだろうか。
 思えば、あの荒野の白日の下の釣鐘群の姿は、戦争直後に幻のように出現して消えた現代美術インスタレーションだったような気がしてきた。
 


2017/11/29

1304【続々・安藤忠雄展雑感長屋談議】歴史建築段ボール模型迫力に吃驚讃嘆、大仏生き埋めラベンダー山景観に感歎爆笑


●模型の段ボールがよかった

長屋の大工の熊五郎:安藤忠雄展を観てきて、ご隠居は褒める作品は無いんですか。
長屋の隠居徘徊老人:うん、模型という作品なら、パリの「ブルス・ドゥ・コメルス」とヴェネチアの「プンタ・デラ・ドガーナ」の古建築活用計画模型がいいね、特にその模型の段ボールがよかったねえ。
:建築じゃなくて模型を褒めてんですか、それも学生たちの涙の結晶ですね。
:だって模型の作品展なんだもの、これがダンボールで作ってあって、その質感と言い量感と言い、なかなかいいんだねえ。

2017/11/27

1303【続:安藤忠雄展雑感長屋談議】独学神話修業伝説など山口文象に似てるけど戦争の有無が大きな違いだな


●“安藤ランド”でもつくるのかしら?

長屋の大工の熊五郎:ありゃ、ネットにこんなこと載ってますよ。安藤さんが「住吉の長屋」のコピー建築をつくろうとしてるんだって。(『ニセ「住吉の長屋」が問うもの』)
長屋の隠居徘徊老人:ほお、面白いねえ、あ、そうか、あの展覧会に出した見世物教会も、展覧会が終ったらその隣に持ってきて移築するのかもなあ。
:そのほかにも昔のものをたくさん再現して建てて、“安藤建築ランド”をつくるとか、やればいいですね。
:そりゃ面白い、明治村ならぬ安藤村か、ヤレ、ヤレ~。
:設計したけど実現できなかった建築とかね、そうだ、安藤委員長が選んだのに安倍首相にボツにされた、ザハ・ハディド設計の新国立競技場もつくるとか。
一等当選でもボツになったお騒がせザハハディド新国立競技場案
:ワハハ、そりゃすごい。でもねえ、住吉の長屋再現で、あのコンクリ箱だけ独立して建てるってのなら、実につまらないね。既存木造長屋の中の一軒を壊して建てるなら面白いけどね。
:新しい三軒長屋を先ず建てて、次にその中央の家を壊す、そしてあのコンクリ箱を建てるとかね。建築イベントだ。

2017/11/23

1302【安藤忠雄展雑感長屋談議】安藤神社の秋祭で縮尺模型の屋台が大量出店、原寸模型の見世物小屋もあった

●ミーハーに好かれるようになったか建築家も

長屋の住人・大工の熊五郎:こんちわ、ご隠居、なんだか疲れてるみたいですね。
長屋の住人・隠居徘徊老人:おお、熊さん、いらっしゃい、まあ、おあがりよ。うん、昨日、東京の乃木坂の国立新美術館に徘徊に行ってね、それで脚が痛いんだよ。
:美術館なら徘徊じゃないでしょうに、なにを見て来たんですか。
:安藤忠雄という建築家の展覧会だよ。会場が広くてたくさんの展示があり、2時間余りも歩きまわって疲れたよ。
:ああ、安藤忠雄ね、よかったでしょうね。
:エッ、熊さんでも安藤忠雄の名を知ってるのかい、おどろいたね、どうりで平日なのに観客が多いのでびっくりしたよ、へえ、今どきは建築家もミーハーに好かれるのかい。
:そうですよ、あっしだって知ってますよ、他に藤森照信って名も知ってますよ。ちかごろはミーハーネエチャンオバサンが、そんな建築見物観光旅行に行ってますよ。
:ホントかなあ、そうかい、日本も建築家って職業を世間が認知する時代にやっとなったか。

●原寸模型で現物体験というけれど環境が違い過ぎる

2017/11/17

1301【FACEBAKA掲載与太話】10月後半~11月前半:衆議院選挙、企業犯罪、トランプなどなど

【FACEBAKA掲載与太話10月後半~11月前半】

11月9日・新語・流行語
わたしの聞いたことある言葉は、このうちの6割だけ、
でも意外に多く知っている感もある。


11月7日・トランプ
ふ~ん、、

2017/11/15

1300【癌かもしれない日々・7】日光角化症クリーム塗布治療の後半戦を開始で面倒だけど暇つぶしにはなる

癌かもしれない日々・6】のつづき
 わたしは日光角化症のことをぜんぜん知らなくて、
ある日偶然のきっかけから治療することになったのです。
この報告が、まだ日光角化症を知らない人たちに
役立つことを期待しています。

 顔面の一部が前癌症状の日光角化症となり、ベルセルナクリームを塗る治療を始めて2か月、クリーム塗布休止4週間の後の2017年11が15日、横浜市大センター病院皮膚科(伊藤亜希子医師)の診察を受けた。
 ベルセルナクリームによる治療は、4週間塗布、4週間休止、その後また同じことを繰り返すのだが、うまく行けば前半だけでおしまいになるとて、そうなればいいなと期待しながら診断を受けに行ったのだった。

2017/11/13

1299【黄金町バザール・4】アート制作のために地域に入っていくアーチストたちって街づくりコンサルタントに似て非なるもの

黄金町バザール・3】のつづき

 それにしても、これらわけのわからない作品を、手間と時間をかけて制作し、展示しているアーチストたちは、いったいどうやって日々のおまんまを食っているのだろうか。
 制作費をどうやってひねり出してるんだろうか、みんな富豪の人たちか、それともなにか別に本業を持って稼いでいるのか?

2017/11/01

1298【黄金町バザール・3】みなさ~ん黄金町でも戦争はようやく終りましたよ~

黄金町バザール・2】のつづき

●『みなさ~ん、戦争はもう終りましたよ~』
 おお、そうだ、ここ黄金町でもそう叫んでくれよ。いや、この映像作品が今ここにあるということは、毒山が黄金町でも叫んでるつもりかもしれない。
 毒山凡太郎が、沖縄の各地で『戦争はもう終りました、War is over』と叫んでいる映像をしばらく眺めていて、そう気が付いた。
毒山が「戦争は終わりました」と叫ぶ沖縄各地

2017/10/30

1297【黄金町バザール・2】チョンの間アートの直截すぎる政治的メッセージ

黄金町バザール・1】のつづき
電車の轟音が響く高架下の展示小屋の壁にぶら下がるのは宇佐美雅博「秋葉原」

●「チョンの間」アート巡り
 宇佐美の広島と福島の写真に政治的メッセージを感じながらも、鉄道高架にぶら下がる宇佐美の「秋葉原」の分らなさに頭をかしげつつ、次へ行こう。
 黄金町バザールのアート展示は、特定の美術館建築の中でやっているのではない。寂れた横浜下町の街そのものが展覧会場であるところに特徴がある。

 宇佐美の写真は、京急電車の高架下の小屋で展示している。
 そのウラ寂れさを隠しようもない鉄道高架下という空間に、横浜市が作ったアート活動スタジオとギャラリーが、アート展示の特定施設と言えなくもないが、これとても横浜トリエンナーレメイン会場となっている横浜美術館と比べると、御殿とバラック小屋ほどの差がある。