2022/06/30

1626【建築家名の図書館】前川國男館という設計者個人名がついた神奈川県立図書館

●神奈川県立図書館に新しい本館登場

 横浜の紅葉坂上にある神奈川県立図書館に、その設計者の固有名詞がついた「前川國男館」が登場した。この図書館は県立音楽堂とともに、まだ太平洋戦争の傷が癒えない1954年の横浜に初登場した、名作建築である。食べることから文化にようやくに目が向く、まだまだ戦後を引きずっている時代だった。
 日本でも建築家の固有名詞が、一般的な公共施設に名付けられれる時代が、ようやく来たのか。

県立図書館の新しい本館前の案内版

 その図書館がその後の時代の変化に対応する機能更新のために、隣接してすでにかなり前に新館が建っており、当初のこの棟は本館と言っていた。それでも時代要請に対応できなかったので、本館と新館共に建て替え案や図書館全体の他地区移転案もあったようだ。

 結局は本館を歴史的建築としてリニューアル保全して、隣の街区に本館を建てることにしたらしく、それがこのほど完成したようだ。これら3棟をどう機能分担して使うのか知らないが、先日前を通りかかったら隣の街区に新しい図書館建築が建っていて、まだ開館していない状況だった。

●設計者名が命名された建築

 案内板を見ると、新築のこれを本館とし、これまでの本館を「前川國男館」と名付けたらしい。まさか前川國男関係だけの図書館にするのではあるまいに、設計者の固有名詞を公共建築に名付けるのは珍しい。特定建築家の作品展示のミュージアムならば、伊藤豊雄建築ミュージアムや谷口吉郎・吉生記念金沢建築館のように公共建築でも個人名を付けたものもあるが、それは当然である。

 あ、そうか、これはもしかしたら、その館だけが前川國男を軸として、日本の近代建築史関係の図書に特化した図書館にリニューアルするのだろうか。そして前川作品の図面や模型の常設展示室もある、なんてあるかな、そうか、それなら納得できる。そうに違いない、いいことだ。神奈川県はなかなかやるよなあ、再開を待ち遠しい。

 とすると、これまでの新館はなんと名付けたのか、それは書いていない。その新館の設計者は前川でないことは、その姿を見ただけでわかる。本館をそう名付けたら、新館もその設計者の名をつけるべきだろうが、そうは案内に書いてない。差別である。

 で、「前川國男館」の後継者となった新しい本館建築の姿は、どうかと眺める。
 う~む、これは、この設計者は誰だろうか、まさか前川設計事務所ではないだろう。

新しい図書館本館
 現新館といい、これといい、名作といわれる前川國男館にそれなりい敬意を払い、それなりに景観的な連携を図ってもよさそうなものだが、まるで関係がないのはどういうわけか。

●建築と建築家

 ところで、日本の通常の公共建築にその設計者名を付けた例があるのだろうか。そもそも日本では建築が新たに建っても、それが誰の設計によるのか、専門家は別にして一般に興味を持たれることはめったにあるまい。
 例えば新国立競技場の場合のように、それについて事件があったとか、あまりに奇妙な恰好とか、そのような場合だけマスメディアに建築家の名が出るが、それもすぐ忘れられる。

 今回の県立図書館のような設計者名の命名は、建築家にとっては喜ばしいことであろうが、さてこれが世の一般の風潮になるだろうか、かなり怪しい気もする。
 何しろ「建築」は建物であり建屋とか物件とも呼ばれるし、「設計者」は設計士とか建築屋とか言われても「建築家」と呼ばれることはめったにない風土なのだから。

 新しい建築どころか、歴史的建築でさえもその設計者をマスメディアが伝えるどころか、その現場の案内に記されることもめったにない。そういえば欧米の外国で都市を観光旅行すると、ガイドが名所建築説明に必ずその建築家の名前を言うが、日本では聞いたことがない(めったに観光旅行しないが)。

 そうはいっても、建築家はまだよいほうである。わたしのような都市計画家は、ほとんど世に知られることはない。それはいずれ知られるのか、それとも永遠にないのか。
 例えば、新国立競技場が話題になり建築家の名が出たけど、都市計画家の名は一度も登場しなかったよね。

●復元して悪くなった広場環境
 

 さて、その新命名の前川國男館の前にやってきて、音楽堂そしてこれも後年の前川設計の青少年会館とともに形成する広場から眺める。
 この姿は一昨年にリニューアルされた。広場のリニューアルの方針は、当初の姿に復元であると、広報されていた。1954年の当初はこの広場は砂利敷きであったが、できがったのはコンクリート敷きだった。

  わたしは2019年にその工事中にここに来て、掲示と現場を見てこう書いた(2019/06/27)。

広場整備の方針
「あの広場には樹木がたった一本しかなくて、全部が駐車場に占められているし、広場から昔は海が見えたろうけど、今じゃあ周りは高層共同住宅でその上から超高層ビルに見下ろされて、なんとも鬱陶しいねえ。広場はクルマに占拠されてるし、夏は暑くてたまんない、だから緑を植えて木陰のある庭にして人が集まるようにするのかと思ったら、この絵を見るとやっぱり駐車広場ですよ、写真見ると砂利敷きだから、水の浸透性をよくするように砂利を復活するのかな。https://datey.blogspot.com/2019/06/1406.html

 さらに去年春にきてみて、こう書いた(2021/03/22)

この文化ゾーン施設を県が再整備してのが1昨年、けっこう繁っていた樹木をり倒した。管理上それは仕方ないとも思うが、この音楽堂前の殺風景広場をなんとかしてほしかった。
 広いコンクリート駐車場にタブノキがたったの一本だけ、夏はとてもいられたものではない。駐車場が必要なのはわかる、駐車場でよいからその中に樹木を植えてはどうか、復元的整備とてこのようにしたのなら、それが間違っている。
 これが建った頃はまわりには樹木の多かったし、広場は砂利敷きだったし、音楽堂には楽屋がなかった。そう復元するのでないなら、現代に対応する復元をするべきである。東京駅のように復元さえすればよいとの考え方は間違っている。
https://datey.blogspot.com/2021/03/1523.html

 そしてこの暑い暑い夏の日に、またここにやってきた(目的は横浜能楽堂であったが)。

左に「前川國男館」、正面「音楽堂」
気温35度の夏の日、広場にある唯一のタブの木陰から撮影した

 広場はカンカン照りの太陽で暑いのなんの、予想通りでとてもいられるものではない。
 それでもこの広場に憩う5人の姿があったが、それらは当然のことに唯一のタブの木陰に座っていた。今からでも遅くないから、数十本のタブの木を植えてほしいものだ。

 折からこんなニュースもある。6月22日ニューヨークタイムズ記事に、パリのノートルダム寺院の火災からの修復工事に関して、その広場に植栽をして、歩行者に快適にするとともに気温上昇から守る、というのである。あれもこれも歴史的空間の復元ならば、見習ってはどうか。
再整備計画の鳥観図

現況 グーグルマップより

参照:2019/06/271406【1950年代モダニズム建築の再生】3:神奈川県立図書館・音楽堂は本当に保存に値する名建築か

(2022/06/30記)

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