2022/12/01

1660【コロナ止まざるも】若者にはコロナ後の生があるが超高齢者は奪われたまま世を去る

 先日、今年の最後の酉の市に行って驚いた。コロナパンデミックの今、かくも人間どうしが密集して集まり、しかも屋台群の売る食い物を歩きながら飲み食いし、押し合いへし合いしながら大きな声で話しあっているのだ。それはもうソウルの人間雪崩大量死事件がここでも起きるかと恐怖を感じるほどの混雑だった。(参照:ブログ1659

 そして、おお、これはようやく日本はコロナが終わったに違いないと、ずいぶん安心したのは、実は大きな勘違いであったと帰宅して気が付いたが、もう遅い。日本の感染者数は日々10万人も発生しているし、イタリアを追い越してコーリアに次ぐ世界第7位につけているのだ。

 第8波がすでに来ているというのに、その筋からなんのご注意もないのかねえ、第7波の時は何とか事態宣言とかってオロオロしてたもんだがねえ、まあ、その筋から言われて初めて防疫に留意するってのも、恥ずかしいもんだがねえ。
 このところのマスクなしOkとか、外国人観光客OKとかの大幅規制緩和は、感染数は増えても死亡率が減少した故らしいが、感染すればそれなりに苦しまざるを得ないし、医療は必要で、状況は変わりないだろうにねえ、なんでかなあ。

これまでより登り勾配が緩いが確実に第8波が来ている波形

 諸外国ではどうなってるんだろうか。どうもよく分からないのだが、かつてのような厳しさはないらしい。先日ラジオで西ヨーロッパ諸国で音楽の公演してきた人の話を聞いたが、普通のところではマスクを全く着けていないそうだが、劇場などの公衆が集まるところではマスク着用が厳しく守られており、諸室の換気も厳しく管理されていたとのこと。

 はて、日本では一般の場所でも公衆の集まる場所でも、マスク着用が普通の様子に変わりはない。マスク文化の違いらしい。それだけに日本ではマスク着けるべきなのか、着けなくてよいのかが分からない。まあ、わからなければ着けておけばよいのだなと、わたしはそうしているが、みんなもそうだろう。そのいつでも破られるいい加減さを歓迎すべきか。

 外国のコロナ事情でこのところ急にニューズになってきたのが、チャイナにおけるゼロコロナ政策の綻びである。封じ込め都市ロックダウンのあまりの厳しさに対抗して、新疆ウィグル地区でロックダウン反対騒動、上海や北京の大学で学生たちの反対デモなどが起きているそうだ。

チャイナのゼロコロナ政策波形 死者は超減少だが感染の波が急に高い

北京 20222/11/21
 これまでチャイナにおける反体制活動のニュースに比べると、コロナ反対騒動ニュースはちょっと長続きする様子であり、当局は抑え込みを控えているのだろうか。
 白い紙を掲げる学生デモが流行しているとのこと、つまりものを言わせぬ政治体制への反
発の表現である。コロナ騒動が共産党一党支配への反体制活動へのつながる気配もあるらしく、さてもシーチンピン強権政治をコロナが揺るがすことになるのか、興味津々である。

 それにしても、コロナと政治とは、微妙にして奇妙なる取り合わせである。誰も経験がない大問題を地球上どこの国でも抱え込まざるを得ないから、ある種の政治能力競争の感がある。

 コロナ元祖のチャイナの徹底ゼロ政策から、スウェーデンにおける早くの放任政策、その中間の各国とりまぜ政策など、各種各様の競争である。大別して西側自由主義諸国が押さえ込みからコロナと共生政策へと徐々に変更しているのに対して、チャイナの一貫徹底ゼロ政策n維持に大別されつつあるようだ。それぞれにほころびを繕いながらやってきている。

 それにしても超高齢者となった今頃にコロナ出くわした私として、あるいは超高齢者世代としては、人生における貴重な時の活動をうばわれてしまって、取り返しがつかないままに生を終えざるを得ない残念なことである。時間がたっぷりあり、まだ動くことができる時期に、旅行も観劇も交流も酒飲みさえもできなかった。不幸極まる。
 若者にはコロナ後があるが、超高齢者は無い。3年も逼塞させられたら、その間に老化が大きく進行してしまうのだ。

 何しろ私の年齢は生まれた時が日本は15年戦争の最中、物心ついた小中学生のころは食料も社会資本も超不足の時代であった。そして今、死ぬ時もコロナに加えてプーチン戦争というすでに世界戦争となった時代の最中なのである。
 まったくもって都合が悪い時に地球上に出現してしまった人間であった。

(20221201記)

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