今年11月には干支の酉の日が3日あった。近所の大鷲神社の酉の市が久しぶりに開かれ、昨日(11月28日)に尋ねてみた。たぶん3年ぶりだ。
大鷲神社前の賑わい |
わたしは酉の市の本命である熊手を求めることにまったく興味はない。だが、近所のいつもは静かな街が、その時だけものすごく繁華になり、翌日はまた元に戻るのが不思議で面白いのだ。もっとも、今世紀の半ばまでは遊郭街だったから、繁華な日常の街だったのだろう。
その遊郭街の核となる位置にある大鷲神社酉の市の本拠で、今に神社だけは続く。そして門前町に登場する屋台群の数のあまりにも多いこと、その屋台店の土俗あふれる姿と扱う商品の土俗性満載に驚き面白がるのである。
熊手を売る屋台の派手派手風景 |
その夜にだけ売られる欲望に満ち溢れたアイテムからなる不思議な装飾の熊手、屋台で売られる懐かしいような新しいような土俗商品、そして酒と多様な訳の分からぬつまみ類、どことなく底に流れるコーリア性など、全部ついまぜて空気が時と場所を異郷化している。
わたしが買いたいものは何ひとつないが、これほども集合するとその土俗性が響きあって、ここは異世界になっている。そこにこれほどの人を集める魅力があるのだろう。
夕刻に訪ねたが、その人出のあまりの多いこと、一部の屋台の通りでは歩行が止まるほどの混雑ぶりで、これはひと月前にあったソウルでの惨事に近いような、と思ったほどだ。
両側に屋台が並ぶ細い道、その中の一部が左右の屋台が道に出過ぎて、急に道が狭いところがあり、そこが動かなくなる元凶だった。動かない群衆の中で怖くなってきたが、警官等の交通誘導はとくになかった。一方でコロナは第八波到来と言うのに、こんなにも密過ぎてよいのかと、そちらも怖くなるのであった。
混雑する若者たちの喧騒、立ち込める焼き肉の煙、あらゆる食い物のにおい、土俗デザイン屋台の連なり、あまりにも非日常性に満ち満ちている。だが、あちこちに姿を見せるコーリアンアイテムは日常性の発露だろう。縁起物を求めるという土俗信仰だけでは理解でき名に何かが人を引き付ける。
簡単に考えると、コロナで抑圧された日常の開放を求める良い機会になったのが、この人出の動機だろう。それにしてもこの辟易するほどのこの土俗性は、民俗文化行事として保存に値する。そして表横浜が気取ったハマの風景に対して、ここ裏横浜の庶民性に敬服。
屋台の前のれんのさまざま |
(20221129記)
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