雑踏を歩いていてふと奇妙な感じの人に出会った。女性らしい服装の若者二人が向こうからやってくる。見るともなく普通の雑踏の人としてすれ違おうとして、何か異様な雰囲気がある。
ふと見るとそのうちのひとりの首から顔の下半分にかけて、なんだか模様がついている。ちょっとだけ見つめてしまった。あざではなく、それは入れ墨のようだった、いや、タトーではなくて化粧かもしれない。化粧だとしてもタトーに見間違うような色どりだった。
そうか、ついに化粧もそこまで来たのか。近ごろ道で出会う人の中に、奇妙な化粧というか、装飾というか、刺青というか、そんな身体改変デザインを見ることが多いような気がする。そんな文化の外国人か。
刺青あるいはタトーのように人体をキャンバスに色彩や模様を施している人が多いような気がするのは、そのような文化を持つ外国からの観光客が多いのだろうか。それに影響された日本人も多くなったのだろうか。
昔からごく一部の人が刺青をして身体装飾することは知っており、ごくまれにみることはあった。だがそれらは衣服の下に隠れる部分に施すことを前提にしていたようで、日常普通に見ることはほとんどなかった。
他人見せないようにしていたのは、かつては(今もだろうか)刺青がやくざ稼業の人たちの風習であったことに由来するだろう。もう一つは江戸時代に犯罪者への刑罰のひとつとして、公衆に見えるように腕や顔に罪人である印として入れ墨をしたという歴史もある。
だから犯罪者への忌避感が刺青への忌避感につながる。そして文明開化と共に刺青が文明開化前の野蛮な風習とされ、法的に禁止された歴史を持つ。それらの歴史的経緯が、日本人に刺青忌避感が敷衍している由縁だろうと思う。
現に、公衆浴場や温泉では刺青おあるものを排除する条例さえも一部にはあるらしい。ところがいまや法的には禁止されていないらしい。法的には排除できないが、慣習として排除されているのだろう。
いまや腕に先まで刺青を見せて歩いている男や女に出会うことが珍しくない。だから顔にまで刺青の女性が街に現れるのも珍しくないのかもしれない。それは個々人の自由だが、身体のどこまでどのように入れ墨しているだろうかと、変な想像をしてしまう。
更に最近奇妙に思うのは、雑踏で出会う人の中に顔に金属の装飾を埋め込んでいる人がいることだ。耳朶にピアスなる飾りをつけるのは昔からあるが、いまやそれを鼻や唇につけている。かつて金歯や金歯を光らせている人がいたが、鼻や唇などに銀の玉や輪が刺さりぶら下がるようだ。
先日、鼻の下に銀色の輪をぶら下げている女性と道ですれ違った。それは農家にいる家畜の「牛の鼻繰り」そっくりであった。ひと好き好きだが、この人もそれに紐をつけて誰かに牛のように引っ張りまわされるのかしらと、とヘンな妄想が起きた。今や化粧技術が発達して、どんなシコメもブオトコ(わたしのPCではどちらも漢字が登場しない)たちまち美女美男に化粧で改変することができるらしい。そんな動画を見たことがある。
もちろん手術で顔面美醜改変もできるのだろう。その延長上に刺青もあるだろう。美女美男への改変だけではなくて、自分の好きな顔にとり替えることもできるだろう。もっと進んでいまに脳さえも取り換えることができるようになり、まるきり別人になれるかもしれない。
そこでふと思いついたが、政府発行の個人番号カードの顔写真はどうすべきだろうか。化粧して別の顔に改変した場合はカード変更しなくてもよいだろうと思う。でも、その写真と全く異なる化粧を毎日のように施している人は、どうするべきだろうか。
更に、化粧なら簡単に元に戻るだろうが、手術とか刺青とかを施したときは、顔写真変更手続きをするべきであろうと思うのだが、それも10年毎でよいのだろうか。そのような場合はすぐに変更申請すべしと、法律にあるのだろうか。
どのような化粧や身体改変しようと勝手だが、他人を不快にさせないように気をつけてもらいたい。今のところ幸いにして、わたしはまだ顔に刺青やピアスを施したひとと話をする機会はなかった。もしもそのような人と話す機会が来たら、どう反応するか自分を想像できない。気味悪がってさぞドギマギすることだろう。
(20250704記)
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伊達美徳=まちもり散人
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