2002boso100K*房総ウォークで分かった歩く人間を忘れた道づくり

2002年の5月末のこと、4日間で85キロメートルを歩いた。歩くことは移動のための手段のはずだが、今回はただただ歩くことが目的の旅である。


房総半島の南のあたりを歩いてまわったが、予想はしていたものの、道路というものは自動車にはよいが、歩くにはまことに辛いものであった。
途中に短い区間には、ちゃちなつくりの遊歩道なる歩くための道もあったが、国道やら県道などの広域道路は、こんな長距離を歩く人間がいるなんて想像もしていない作り方である。

歩道が少ないのはもちろんだが、標識や案内板を見てこれはどういう意味かと、考え込んでしまったことが再々ある。後で考えついたが、あれは自動車の人を対象に記述してあるらしく、歩いている者には理解しがたいことがある。
道端にある地図も、どうも歩くものを対象に描いていないらしい。距離(縮尺)が書いていない上に、その場のご都合主義のデフォルメをしてあるから、歩けば時間がいったいどれくらいかかるのか分からない。

これは日本全国のどこもかしこもの街にいえるのだが、歩くための地図の作り方が、例外なく下手くそなのは、どういうわけなのだろうか。いつだったか会津若松で、観光地図を信用して歩いていて遭難しそうになった。
千葉県のあのあたりの観光協会などのお方は、道を知らないよその人に案内してもらって、いちどは国道や県道を歩いてみてはいかがか。そうすれば何が問題かよく分かる。

ところで、房総半島は意外に山が深い。どの山もタブ、スダジイ、マテバシイなどの常緑広葉樹の森が、いまや黄なる炎が燃えるような若芽が樹冠を覆って、初夏の風にゆさゆさと山ごと揺れる風景は壮観である。
その森の地面には、春のわくら葉が茶色のじゅうたんを敷詰めている。次第に自然植生が優勢になってきている山は今、命のよみがえりを謳っている。

だが、その姿は、せっかくの植林の後退の姿でもある。広範にあるスギやヒノキの植林は、ほとんど手入れされている様子がなかった。でも、東京大学の広大な演習林の中も歩いたが、そこはさすがに行き届いた管理がされていた。
日本は自然の緑は豊かだが、人工の緑や道や街は貧しいと、改めて実感した旅だった。



(20020603記、0707補)


●参照関連ページ 奥能登100キロウォーク2004

0 件のコメント: