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2026/07/16

1962【老酔録㊷女噺家初見参】能楽にも落語にもプロ女性が登場する時代となって喜ばしいが

 寄席に行き、女性噺家の落語を初めて聴いた。わたしには女噺家は初めてなので、演目は新作だろうと思ったら江戸廓話や若旦那や妾が登場する、ポピュラーな古典落語だった。だがしかし、女が語る男言葉も女言葉もどこか違和感があった。男の巧い噺家の女言葉は芸として聞こえる。だが、女噺家の男言葉は物真似に、女言葉は素に聞こえるのだった。耳慣れないからか、芸が下手なのか、よく分らない。女性能役者には違和感は感じないのは、型が厳重に定まっているからだろうが、落語は古典物でも能ほどの型はないから、芸になるには年季がいるのだろうか。

●女噺家の落語を初めて聴いた

 女性の噺家の落語を初めて聴きに行った。年とると芸能台詞もよく分らなくなり、言葉に文句を言いたくなるものであり、わが老酔録に載せておきたい小事件だった。

 その噺家の名は春風亭一花、近いうちに真打になるそうだ。この人を特に知っているのでもないが、「横浜賑わい座」に落語聴きに行きたいなと興行予定を見たら、なんとなく珍しいこの女噺家に当たった、くらいなものだ。

 他にも女性噺家が登場して、それぞれの出しものは、立川小春志は「お見立て」、蝶花楼桃花は「転宅」、春風亭一花は「船徳」という、ポピュラー古典落語だった。新作ものはなかった。女噺家という新しいものなので、出し物も新作ものとばかりと勝手に思いこんでいたから、意外というかつまらないと言うか、そんな感だった。

 三人の女噺家の落語を聴いた結論の評価は、上手な順に一花、桃花、小春志の順だ。三人共に噺(ストーリーと所作)を身につけていることはわかるが、肝心の話術でのがほとんどとれないのだった。一生懸命にしゃべるがうるさい感じ、とくに小春志がそうだった。

 お見立てなんて廓話はいつまで残っていくのだろうか。実際はわたしも見たことも聞いたこともない江戸時代の廓は、落語と歌舞伎の中にしかない。しかも今どきの倫理から言えば、かなりアブナイ言い回しばかりだ。女性が演ずると違和感が大きい。転宅のようなお妾話もそうだ。

 女噺家の登場はいつからか知らないが、それはそれでよいことと思う。しかし今回の三人の話を聞いて、落語というのは男が語る話であると、既成概念もあり、つくづく思った。男が話す女言葉や仕草は、ひとつの芸として観て聞くことができるが、今回初めて聴いた三人女が語る男は、いずれもそうならない。それは芸というよりも、物まねにきこえるのだ。それは今回の三人が芸下手なのか、初見のわたしの偏見なのか、もともとの落語の構造でそうなのか、そこのところは分からない。

 これは新作落語を語ることで解決するような気がする。古い落語を換骨奪胎して、女性が語っても聞くことができるような新作を作ってはいかがか。いや、もう、こんなこと誰か女噺家がやっていそうな気もする。この次はそんな芸人を探して聞こうか。

●落語の記憶など

 わたしは特に落語のファンではないが、東京にも住んだ90年代から、たまには上野、池袋、浅草の寄席に行ったものだ。横浜の家の近くに賑わい座ができてから、年に二、三回くらいの程度である。この前は4月に立川志らくだったが、あまり面白くなかった。その前はいつだったか、上方落語の桂春団治で、にぎやかな出し物を楽しんだ。

 もう十数年も前だろうか、今は落語界のリーダーの一人にとなっているらしい春風亭昇太が、二つ目(?)の頃、賑わい座の舞台で見た。あれこれと枕があまりに長くて、なんであったか忘れたが本題の演目をさらりと流し終えた。わたしはちょっとあっけにとられた。枕話がうまかった印象だけで昇太という名を記憶していたら、今や落語芸術協会会長になるほどの有名噺家だそうだ。 

 わたしは未だ生家にいた少年の頃、ラジオで聞いていた落語での噺家をアトランダムに思い出そう。春風亭柳橋(時蕎麦!)、三遊亭歌笑、柳亭痴楽、古今亭志ん生、三遊亭圓生というところか。

 もう20年くらい前だったか、東京の地下鉄のどこかの駅の昇りエスカレータに乗っていて、隣で逆に降りてくる和服の男を何気なく見ると、これが桂伸治だった。手すりに両手で掴まって前後に揺すっている、何してんだろ、地下鉄で寄席に通うのかと、すれ違った、それだけのこと。念のためにネットで写真を見たら、今は別人で、その前の三代目だった。

●老いと客席の位置の問題 

 今回の女噺家の会は、横浜の野毛にある「賑わい座」だったが、チケット売り切れだった。人気ある人らしい。わたしの席は2階席の後ろからに番目列にあり、舞台を遠くに見下ろす位置、落語を聴くにはあまり良い席ではなかったが、実はここを選んだのだった。

 一月前に購入した。もっとほかにも空席はあったのだが、老いのヨレヨレの身となったわたしが、安全に座る空席はここしかなかった。卒呪で老衰してきたわたしは足が弱り、階段の昇り降りがなり不得手になってしまった。購入時に出入り口から段差がなくてアクセスできる席をさがしたが、ネットでは無理だった。

 ネットで買おうとしてネット掲載の座席表を見ても、そのような席がどこにあるのか分からない。仕方ないから賑わい座のチケット売り場に直接に出かけて、直接に聞いて買ったのだ。それが二階の後ろの方の席だったのだ。

演芸場二階席から見下ろす眺め

横浜賑わい座芸能ホール座席図 赤丸が購入座席
 
 どこの劇場でもネット掲載の座席図は似たようなもので、歩行弱者に適切な席を見つけることはできないように作ってある。困ったものだ。以前に神奈川芸術劇場で困ったことを、このブログに書いている(【老酔録⑲】。

(2026/07/16記)

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2026/03/15

1938【老酔録㉕能鑑賞】久しぶり能狂言鑑賞に懐かしい能楽師たちを見て舞台も見所も年とったと思う

●屋根のない能舞台に久しぶりに出会って 

 昨日(3月14日)午後、久しぶりに能楽鑑賞に行ってきた。横浜能楽堂が休止しになり、もう3年以上も能を見ていない。なんだか能禁忌症状がでそうだ。

 川崎能楽堂定期能は、観世流能「俊寛」と大蔵流狂言「文蔵」であった。川崎能楽堂へは30年以上も前に能「鵺」を観に行った記憶がある。能の趣味を始める初期の頃だ。会場の様子を忘れていたが、かなりコンパクトで狭く、舞台と客席が近かすぎるくらだ。

 舞台には屋根が無くて、四隅の柱は1mほどで伐られてる。見所と舞台の間に玉砂利もない。能専用の能楽堂なのに、何やら小ホールの中に見所と舞台が混在している感があった。狭いので見所で演じているようでもあった。

 ここでは見所と舞台が同じ高いひとつの天井のもとにあるから、見所の中で演能がなされている、あるいは客は舞台上で見ている、そんな不思議な気分になった。これまで頻繁に見てきた横浜能楽堂も観世能楽堂も、屋根があり柱がある。それらでは見所と舞台は画然と異なる空間になるものだと改めて認識した。

 舞台と見所は画然と異なる空間であることに慣れていたので、改めてその関係を考えた。演能は特別な状況を舞台上に発生させているから、見所と舞台は別の空間の方が良い。特に、能のような様式美を強調する場合は、画然と別空間の方が良いと思う。

 そういえば思い出したが、先般KAATで観た「未練の幽霊」の舞台と客席の関係はこの川崎能楽堂に似ていた、だが、置き舞台の真上には同じ大きさの照明を屋根の様に吊っていたからか、舞台と客席とは異なる空間と認識して観た。どうやら舞台にはプロセニアム相当の仕掛けがいると改めて思った。

 ということは、狂言の方はむしろ舞台と見所は一体に近い方が良いかもしれない。狂言はいかにも日常の延長のような芸を見せるのだから、客席の延長にある方がリアリティがありそうだ。そうか、狂言と能とはその点で基本的に異なるものと改めて思う。

●能と歌舞伎

 狂言「文蔵」は、石橋山合戦の語りがメインである。講談のような堅い口調の語りを長々としゃべらせておいて、軽く逆転的なオチに持ち込む。話としては面白くもないから、オチのあたりの段差の演技が重要だが、堅さが売り物の山本家狂言では、難しそうだ。

 能「俊寛」は、演劇的なストーリーで舞が全くない。俊寛が置き去りにされて嘆く最後の場面が見せ場である。同じストリーの歌舞伎「平家女護が島」があるが、この最後の場面の表現が能と歌舞伎の基本的な違いを見せるのが面白い。

 能では抑えに抑えた表現でもって大きな悲しみを表現するが、歌舞伎では叫び泣き暴れて手放し状態で悲しみの表現をする。これは能「隅田川」と歌舞伎舞踊「隅田川」の違いも同様である。歌舞伎では嘆き悲しみ過ぎて、見ているこちらが辟易する。

 ここでも能舞台が気になった。橋掛かりが短くかつ狭いのである。最後に赦免船が出ていく場が、どうも窮屈なのである。取り残されて嘆く俊寛の演技と、出ていくご赦免船の一行との間合いの具合が、どうも悪い。

●舞台も見所も歳とってしまった

 観世の演者たちは観世宗家の一門だった。もう4半世紀も前から一時は毎週のように頻繁に通った東京の松濤の観世能楽堂で、しょっちゅう見ていた能楽師たちが居る。おお、あの人もあんなにも年取ったものだと、自分の歳を棚に上げて感慨にふけった。

 地頭の関根知孝、小鼓の鵜沢洋太郎、後見の寺井栄など、若手だったのになあ。シテの観世恭秀の能面の横にはみ出る頬の皴に、直面(ひためん)でもよいだろうにとつい思ってしう。山本泰太郎は則直の子で東次郎の甥、そうだ、5月に東次郎を見に行く予定だ。

 そう、5月3日には東次郎「花子」、友枝昭世「鬼界島」を見に行くのだ。しかもこれに馬場あき子の解説があるのだから、出演者たちも演目も超豪華版だ。観世の「俊寛」と同じだが題名が違う「鬼界島」を、喜多流ではどう見せるのかも楽しみだ。ただ、ホール能であるのが気がかりだ。

 東次郎とわたしは生年月日が同じであるし、馬場はその10歳上、友枝は40年生まれだから、わたしもいれて4人のうちの誰かが、5月にはこの世にいないかもしれない、そんなスリルのある能楽の日を待ち遠しい。その日のことは、この続きとして書こう。

 今回の能鑑賞には、息子と初めて同行した。実は介護人と言うべきかもしれないが、なんにせよ能に興味を示してくれて嬉しい。そして先輩としてなにがしかの能楽解説をして、知ったかぶりを発揮できることも嬉しい。

(2016/03/15記)

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2026/02/15

1931【老酔録⑲】能を見る目で現代演劇鑑賞に行った劇場でわが身体衰弱を再認識

●暇つぶしに芝居見物へ 

 芝居見物をしてきた。芝居そのものの感想と、芝居小屋の話を書く。芝居と古めかしく書いたが、要するに現代演劇である。芝居小屋と書いたが要するに劇場のことである。

 2026年2月14日の午後、KAAT神奈川芸術劇場大スタジオで、『未練の幽霊と怪物 「珊瑚」と「円山町」』(作・演出岡田利規)を見てきた。わたしにはほぼ不案内の現代演劇である。芝居と言えば、先般歌舞伎座に三谷かぶきを見に行ったが、それとはまるで関係ない。

 そんなものをなぜ見に行った?、自分でもおかしいとは思うが、ヒマツブシである。たまたまネットで見つけたに過ぎないが、宣伝文句「現存する世界最古の「能」の構造を借りて創作する音楽劇」とあり、しばらくご無沙汰の能楽の代替として見ることにした。

 このところ趣味の能楽鑑賞から遠ざけられて禁断症状ぎみだ。近所の横浜能楽堂が工事中で休館しているからだ。千駄ヶ谷の国立能楽堂へ出かけるのは面倒だ。能見物を我慢しているので、ついこの「能の構造を借り」る演劇に釣られたのだ。

能の眼で観る現代演劇素人談義

 さて芝居の話だ。舞台の中央に「能舞台」を模したらしい正方形のグレーの置き舞台がある。それには道路のような白線が描かれている。その正方形から左奥に「橋掛かり」を模した通路が見える。それにそって置かれる三つのカラーコーンは松のつもりらしい。

 置き舞台の真上には、正方形の真っ白く光る照明がつられていて、これは能舞台の屋根であろう。ほかに舞台装置は何もない。演劇の途中で路傍の五地蔵尊像の作り物が出たのが唯一の装置だった。スタジオの天井も壁なども真っ黒に塗られている。

 囃子座と地謡座の位置に一人づつ腰かけた。囃子は一人でいくつかの何やら弦楽器のようなものを演奏する。笛ではないがヒシギのような音を出して劇が始まった。地謡座に腰かけた一人は、歌を謡い三味線演奏をした。歌は謡曲を模してはいなかった。
舞台スケッチ(画像クリック)

 「円山町」と「珊瑚」という2題であり、これらは前場と後場の題名かと思っていたが、全く別の演目であった。二つの共通するところは、どちらも「未練の幽霊」がシテとして登場するところであり、ほとんど同じ構成だった。

 まず、ワキが登場し、次にシテツレの里人、そしてシテが登場して舞を舞って納める。つまり、能の形式をほぼ忠実に追っている。パンフに書かれているとおりであるが、現代劇に不案内のわたしは、それが演劇としてどのような意義を持つのか、さっぱりわからない。

 これを「音楽劇」と称しているが、能も音楽と舞踊と語りで成り立つ音楽劇であるから、その意味ではよく分った。特にシテ役の舞は、その身体性の凄さが圧倒的であった。珊瑚のシテの舞に、わたしは能「融」で野村四郎の十三段の舞を観て酔った昔の舞台を思い出した。

 この劇を能の眼で観たわたしには、舞も囃子と地謡いも好もしく鑑賞した。だが、能の形式を踏んでいることに、現代劇として創造性があるのかどうかはわからい。能の持つ極めて抽象性がこの演劇にあるのだろうか。

 ワキ、ワキツレのワザとらしい不安定な演技は、意図されたものだろうが、その意図が分からない。シテツレの所の者(その名をわたしが唯一知る片桐はいり)の意味を分からなかった。アイとして間狂言の役のほうがよかったような。

 橋掛かりが単に登場退場の道として使われるのみで、能のような意味を持たせて演技の場ではなかったのが、なんだか惜しいような気がする。能よりも積極的な橋掛かりの使い方をできそうなものだ。

 そうじて、「円山町」はイメージが拡散してストーリーを読めずに、シテの舞の激しさだけに目を取られて終わった。色町としての円山町ならば、男舞であるよりも女舞の方がふさわしいような気がした。

 一方、「珊瑚」についてはストーリーを読め、舞も歌も美しく、能を見る目で十分に鑑賞できた。能の抽象と現代演劇の具象が競いつつ、海の埋め立てへの抗議をもっと激しく表現するストーリー展開を欲しいと感じた。地謡役にそれを与えたい。

●劇場でますます足の衰弱を知る

 芝居小屋の話をしよう。KAATの大スタジオだったが、わが身の脚の弱りを痛いほど自覚したのであった。階段座席の昇り降りにこれほど苦労するのは初めてだった。この小屋にはもう来ることはできそうにない。気が付かぬうちに足が弱っている。去年の県立音楽堂ではこんなに苦労しなかったのになあ。

 ネット予約したのだが、KAATのスタジオに来たことがあるので、平土間だと思い込み、座席配置図を見て、通路に面した席を取ったつもりが、階段座席だった。通路から離れた途中階のしかも壁際の一番奥の席だったから、席に着くのも離れるのも最悪だった。この前来たのは、別の中か小スタジオだったらしい。

ロールバック客席のKAAT大スタジオ

 手すりの無い座席階段通路でよろよろのわたしを場内案内係が見かねて、「手をお貸ししましょうか」と声をかけてくれるほどだった。ありがとうと言いつつ遠慮したが、手よりも肩を貸してほしかった。一般に劇場階段座席の階段通路には手すりはないので、座席の背をつかんで昇り降りするが、実に不安定な姿勢となって怖い。手すり付き座席を発明してほしい。

 近所なのでこれまで何度も利用してきたKAAT、県民ホール、県立音楽堂、紅葉坂ホールなど、どれもこれも急な不規則ステップの階段座席だから、いまや利用不可となった。いや、よく座席図を検討して、ロビー階から水平に行ける通路側座席という希なる席を探すしかない。

 これに対して横浜能楽堂は、平土間でわずかに舞台に向けて床が傾いている程度だから、もうそこしか行くところはないのか。今は休館中だが、再開したら階段座席に改装しているってことは、まさかあるまいなあ。あそうだ、横浜賑わい座は平土間だった様な。 

 思い出したが、25年も前のこと股関節の故障で歩行困難となったことがあり、例えば新幹線の3人掛け席の窓側に座るのが実に大変だったことがある。年寄りだけではなく、怪我などで不自由なものは多いだろうに、ネット販売でそこまで配慮してくれる方法がない。米呪で芝居見物はぜいたくなことになっちまった。困ったものだ。あそうか、まだ使ってないけれど、車椅子で行ってみようか。

(2026/02/15記)

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