2010/10/14

327【世相戯評】元に戻っただけ

 地球の裏側で土中深くに閉じ込められた33人の人たちを、長尺の穴を掘って助け出す作戦が成功したとかで、新聞テレビはこのニュースで持ちきりである。
 個人名から顔写真一覧まであって、普通の報道でここまでするものかしら。
 それはそれでよかったのだが、この原因が天災ではなくて、鉱山の落盤という産業事故であることが気になる。なぜ事故が起きたのか、そのあたりの報道が全く無い。

 いかにも美談らしく報道しているが、実は人災の大事故の始末なのである。
 現場に国旗や国家が登場してくるのは、お国柄や人さまざまであるが、こちらではそれはないだろうなあと思う。

 考えてみると、この事件は何も前向きのことはなくて、地上に戻ってきて元に戻っただけである。
 こちらでおきた事件で、厚生労働省の局長が冤罪逮捕から裁判で無罪になって戻ってきたのと同じである。
 マイナスの状況がプラスマイナスゼロになっただけで、本当は喜ぶのはおかしいはずである。
追記101015)
 今朝の朝日新聞に、33人閉じ込め事件のチリの鉱山は、これまでも事故が頻発して問題となっていたと記事が載っている。全員無事に救出できたから、ようやくその面に眼が向いたか。

2010/10/09

326【世相戯評】差別意識が見えるノーベル賞

 インドで新言語が発見されたとの報道がある(2010.10.05朝日新聞夕刊)。500人ほどの人がしゃべるコロ語だそうである。
 これってまるでコロンブスの新大陸発見みたいに、発見するほうとされるほうという極端な差別意識がある。発見するほうが常に先進文化で、されるのは後進であるとの意識が見える。
 コロ語をしゃべる人たちは、発見される立場なのか、誰が発見するのか。この報道の元が、USAナショナルジオグラフィック協会だというのだから、なるほどそうかと思った。
 一時ナショナルジオグラフィックを定期購読していたことがある。記事は面白いのだが、いつもその西欧的な眼で未開の文化を「発見」する差別意識が見え見えで気になっていた。
 今に日本のどこかの村で新言語を「発見」されるかもしれない。
   ◆
 国会議事堂の中で、雑誌の商業的タイアップ記事の写真を、女性代議士をモデルにて撮影したのは、ケシカランと男の議員が怒っているとの新聞記事がある。
 神聖なる場所を穢した、ケシカランと言うのだそうだが、ヘンである。
 ファッション雑誌に載るようならようやく国会も庶民に近くなってきたのであろうに。
 税金で作って、税金で運営してるんだから、神聖なる場所を穢すなんて、差別用語を使って忌避してはいけませんよ。
 ところで国会を舞台にしたテレビドラマとか漫画とかはあるのかしら? 無いとしたら、似たようなイチャモンがあったのだろうか?
   ◆
 2010年のノーベル平和賞は、中国の獄中にある民主運動の活動家だそうである。
 中国政府当局はカンカンにお怒りらしい。個人的なことなのに、ノルウェーと国交断絶なんて、見当違いのことをするかもなあ。
 でもねえ、去年はオバマだったし、その前はアウンサン・スー・チーとかダライ・ラマだったし、日本で唯一それは佐藤栄作であったよなあ。なにか筋があるのか考えてもスーチーと佐藤栄作なんて天地の差で、なんか分からんよなあ。

 そもそも平和賞なんてのは、極端に政治的な代物であるから、アチラから見れば平和主義者、こちらから見れば政治犯となるのはあたりまえである。
 その点ではノルウェーのノーベル平和賞委員会ってところは、度胸があるなあ、としか言いようがない。
 平和賞なんてものが存在する世の中がそもそも間違っている。

 ノーベル賞も「授与」するって言うから、授け与えるほうと受け戴くほうの間の差別感が著しい。
 王権にある者が特権階級を保証する勲章や爵位があった時代のそれと同じように誰もが思っているらしいが、どうも前近代的である。
 いつも思うのだが、賞なんてものは授与するものじゃなくて、感謝して贈るものであろう。例えば文学賞はたいていは「贈呈式」といっているから、贈るものであろう。もっとも出版社が贈るのだから、儲けさせてもらうお礼かもしれない。

 だとすればノーベル賞だって、社会のために有意義なことをした人たちへの、世界の人々からのお礼の贈りものであり、それをノーベル財団の寄附で行なっているという風にならんもんですかねえ。
参照→254授与と贈呈

2010/10/07

325【本づくり趣味】「まちもり叢書」縁起

 以前に書籍の手作りなる趣味をはじめたことを書いた。
 306手製本2種http://datey.blogspot.com/2010/08/306.html
 268本作り趣味 http://datey.blogspot.com/2010/05/268.html
 本日、第5号「街なかで暮らす」ができて、これまで5種類の本を編集したことになる。
 そこで、よく会う人たち、久しぶりに会う人たち、その人が読みそうなもの、というより、その人に読ませたいものを選んで手製の本にして、勝手に押し付けている。
 5種類ともなると、なんだかシリーズになるような気がしてきた。
そこで「まちもり叢書」と名づけることにした。随時出版つまりDTPである。
 各本の最後に下記のようないわれを書いた。

●まちもり叢書縁起 2010年8月 まちもり散人
 長い人生で仕事やその周辺、そして趣味でたくさんの文章を書いてきた。いわゆる商業出版物は、共著も含めて10冊くらいだろうか。仕事でまとめた報告書なる印刷物は、200冊を越えるだろう。それらは商業出版ではないが、わたしとしては面白がって、私見もたくさん書き込んだものである。雑誌への雑分類の寄稿もある。
 それらの昔の頃からの書き物を整理して、2000年末からインタネットサイト「まちもり通信」に掲載を始めた。そのうちに書き下ろしも載せるようになり、ついには2008年からブログ「伊達な世界」も始めた。ぼう大なファイル数のサイトになってしまった。
 実は10年くらいまえに、主なものをまとめて出版しようかと思ってその気になった。だが思い直した。これほどにインタネットが普及すると、紙情報よりもこちらのほうが優れていると思うようになった。絶版はないし、誰でもアクセスできるし、ほとんど無料だし、随時公開できるのである。
 だが問題は、読ませたい人が読んでいただいているかどうかとなると、インタネットはまことに心細い。これが書籍ならば、こちらから一方的に直接押し付けて、読め読めと催促できるし、読む人も持って歩いて電車でも読める。
 そこで考えた。ジャンルを決めて編集し、机上でデザインして編集、プリントして装丁・製本、趣味の手作り本にして、そのときどきの見せたい人に配ることにしたのである。
 題して「まちもり叢書」、随時出版、つまりDTPである。
 今これをお読みの方は、その被害者のお一人である。なにとぞ、徘徊老人のボケに免じてご容赦を。

 そして現今既刊と将来刊行見込みはこうである。

●まちもり叢書・趣味の卓上手作り出版
―――既刊(2010.10時点)―――
父の十五年戦争/神主通信兵の手記を読み解く
波羅立ち猜時記/日々の小言僻言繰言寝言
・街なかで暮らす/あぶないマンション・いらないバイパス
―――続刊(見込み)―――
・建築保存とは何か/赤煉瓦東京駅舎の復原から考える
・中越山村の四季/棚田の米つくりから見てくること
・自然の風景・文化の景観/なにもかもが人間の仕業
・山口文象/時代の先端を駆け抜けた異色建築家
・高梁川/鎮守の森から

 さて、続刊できますかどうか、われとわが身を試すお楽しみである。

●参照⇒「まちもり叢書」ブックレットシリーズ

2010/10/03

324【言葉の酔時記】アパートと共同住宅とマンションはどう違うのか

 少年が放火で逮捕されたというニュース。その中味はともかく、新聞によって下記のように放火建物が違うのである(いずれも「あらたにす」サイトから引用)。
 読売では「アパートから出火、木造2階建て約670平方メートルを全焼」、
 日経では「アパートから出火、木造モルタル2階建て計約650平方メートルを全焼」、
 朝日では「共同住宅付近から火が出ていると119番通報」
 これらのアパートと共同住宅にはどのような差があるのだろうか。
 新聞社によって書き方が違うのかと思ったら、朝日には「隣のアパートに住む女性(26)は火事に気づいて外に出た際、」ともある。放火の「共同住宅」の隣には「アパート」があるらしい。この違いは何だろうか。
 国勢調査では、アパートもマンションも共同住宅に分類されている。
 2階建てならアパート、3階以上ならマンションというのも珍妙である。長屋(テラスハウスなるものもこの形式)はなんと言うのか。
 不動産屋が誇大セールスのために勝手につけた奇妙な名前にしたがって、新聞屋もいちいち違えて言うからおかしくなるのだ。
 1棟2戸以上の建物は全部「共同住宅」にして、2階建て部屋割り型(いわゆるアパート)とか、2階建て連戸型(いわゆるテラスハウス)とか、30階建て区分所有型(いわゆるマンション)とか、くっつけてはどうか。
●参照→くたばれマンション



2010/10/01

323【世相戯評】正義を振りかざす

 なんでも検察官が、犯罪者の犯行の証拠品を改造して、無実の人に罪をかぶせようとしたとかで、マスメディアがけしからんとボロクソに言って騒いでいる。
 ちょっと待てよ、その罪をかぶせられようとして無実なのに逮捕された厚生労働省の逆転無罪局長は、その当時マスメディアから犯人扱いされて、ケシカランとボロクソに言われていたような気がする。
 ということは、こんどの逮捕された検察官をボロクソに言っている今の報道は、もしかしたらこれも怪しいような気がする。またもや逆転無罪検察官になって、大恥をかくかもしれないぞ。
 社会の木鐸だとか言って、マスメデディアは正義を振りかざしたがる。どこから正義でどこから不正義なって、ホンマは分からんことだよなあ。
 最近アメリカの大学教授が「正義について語ろう」なんて名講義をして、日本でも大評判らしい。
 でもなあ、「正義」を振りかざされると、なんとも胡散臭いと思ってしまって、そちらさまでご勝手にどうぞ、わたしは敬遠しますって、言いたくなるのである。

2010/09/29

322【世相戯評】国勢調査にいちゃもん

 5年ごとに行なう国勢調査の調査票が来た。郵送でもよくなったのが、まことによろしい。
 記入していて、いろいろ気づいたこと。

男女の別」の記入だが、国勢調査は実態を把握するものであるらしいから、昨今のような性同一性ナントカントカを言われる時代となって、「男」「女」か迷う人もいるだろうし、男女どちらでもない「その他」の欄が必要かもしれない。5年後の調査にはそれが登場するだろうか。

出生の年月」に、以前は無かった西暦での記入が登場したのは、時代の移り変わりだろう。

配偶者」とは何か、これも難しいことがありそうだ。届出は配偶者であっても、実態はそうでないときは、どう記入するのかしら。同居していて、一方はそう思っていても、もう一方はそうではないかもしれない。同性の場合でも、互いにそう思っていると配偶者と書くのであろうか。
    
住居の種類」で、公営住宅が選択肢に無い。多分、「都市機構・公社等の賃貸住宅」なのであろうが、解説に列挙してある中に公営住宅は無い。国政府の調査で「など」の一部になるほどに、日本の公営住宅政策は落ちぶれてしまったのである。

住宅の建て方」の選択肢に「マンション」が出てくるかと思ったら、そうではなくて「共同住宅」となっていて、これでよろしい。解説には共同住宅の例にマンションの言葉もあるが、欧米系外国人が読んだら頭を傾げるだろう。

住宅の面積」の選択肢に、20㎡未満があるのが悲しい。上は250㎡以上でまとまってしまうのも寂しい。
    
教育」の選択肢に「在学中」「卒業」とあるが、これだと「中退」の場合はどうするか困りそうだ。多分、「卒業」のほうにするのだろう。
 学校の選択肢に「高校・旧中」とあって、「旧中」の解説で旧制の尋常中学校などが例示してある。生まれ故郷の町に旧制中学校があったが、戦後の学制改革で新制の高等学校となり、別に中学校が新設された。大人たちはしばらくの間、元の中学校が新制高校となっても中学校とつい言ってしまって、商品の配達先や子供のお遣い先やらの間違いがよくあった。新制の中学校は「新中」といっていた。

9月24日から30日までの1週間に仕事をしましたか」という問にも、自由業の者は回答に困る。例えば、売れない文筆業ならば、その期間に書いた原稿が売れたら仕事したことになるし、売れなければそうでないから、今の時点で回答できない。また例えば、都市計画審議会の委員をやっているとして、会合の日の日当は出るが、その前の下調べとか終わってからの検証とかやらなくてもよいことをしたら、これは仕事か仕事でないのか。
    
 以前の調査には「年収」の欄があったが、今回は無いのはどうしてだろうか。
 全体に調査項目が少ないような気がする。こんなに金かけてやるのだから、もっと詳しく聞いてはどうか。
 例えば、お酒を飲みますか、なにが好きですかなんてあって、日本酒やら焼酎やら選択肢があると、書き込みも楽しいのだがなあ。旅行にはどこに行きましたか、とかね。え、どうでもよい?、いや、日本の産業振興のための統計になりますよ。

 あ、そうだ、総務省の調査なんだから、ぜひとも血出痔問題についても聞いてほしかったぞ、賛成、反対なんかね、わたしは断然反対、個人財産を国家が補償なしに廃棄させるのはファシズムであるってね。

2010/09/28

321【東京風景】六本木から神谷町へ

  今年の夏はあまりに暑くて、徘徊老人をやることができなかった。机上のPCに向ってばかりいたのだが、どうも運動不足の上、姿勢が悪かったらしい。ちょっと腰をひねると、イタッとなるぎっくり腰もどきである。正しい姿勢で徘徊運動再開が望ましい。
さて、猛暑から突然の晩秋である。出歩くには絶好である。小雨のなかを六本木から神谷町まで、ぶらぶら徘徊した。
   ◆
 地下鉄六本木駅から久しぶりに六本木交差点に出た。防衛庁跡地の「東京ミッドスクエア」開発を見る。この前は一昨年だったろうか、まだ工事中であったが、すっかりできあがっている。
 超高層建築はなんだかつまらないデザインである。「ガレリア」なるサントリー美術館が移ってきた大きな吹き抜けのも、今時では陳腐なものである。
 外は開発緑地と檜町公園(既存改修)とが連続していて大きな都市のオープンスペースとなっているのが、なかなか良い。
 その開発緑地の隅っこに、平屋で横長の三角屋根が見える。「21‐21design site」なる美術館であるらしい。安藤忠雄の設計であるから例によって遺跡、割り込みデザインである。
 入ってみると、現代アート見世物展覧会であった。佐藤雅彦ディレクション「“これも自分と認めざるを得ない”展」だそうである。大勢の若い男女が、コンピューター仕掛けの見世物に嬉々としていた。このような見世物アートは好きだが、仕掛けが見え見えなのがちょっと気にいらない。
    ◆
 六本木から檜町公園下までずいぶんレベル差がある。このあたりは全く起伏の激しい土地である。東京だからこんなに斜面でも何でも建物を建てているが、田舎なら森の丘陵と入り組んだ谷に水が流れる地である。
 檜町公園の下、赤坂中学よりに、屋敷の林の中にずいぶん古そうな廃屋寸前に見える木造家屋がある。一昨年にきたときもあったが、今度も健在であった。ミッドタウンの超高層との取り合いが面白い。
 昔々、なにかの用事で六本木駅から防衛庁の横の細い道を下って、赤坂秀和レジデンスに行ったことがあったことを思い出した。あの寂しいところがこんなになったのか。
    ◆
 氷川神社を経て六本木二丁目方面に移動する。氷川神社の森はここが東京の真ん中かと思わせる。山王日枝神社みたいにこの空中権を移転して開発するって話がありそうなものだが、どうなのだろうか。
 一山超えてアークヒルズの近くまで来る。アメリカ大使館の下にある神社境内から見る超高層群も、鳥居と取り合わせるとなんだか妙なものである。
 首都高の谷町ジャンクションに来る。ここは三角の交差点が三角の高速道路に囲まれ、下には駐車場などで、上も下も環境も景観も悪い、全くもって雑駁きわまる空間である。アークヒルズが都市空間をあれだけ一生懸命につくっても、この交差点のあまりのひどさに帳消しになってしまう。
 森ビルの開発の手は、アークヒルズの周りに伸びているが、すぐ南の二つの寺はまだ手がついていないらしい。道源寺の昔なりの墓地と本堂、庫裏が健在である。墓石、石仏と超高層との取り合わせはなかなかよろしい。

 また一山超えて神谷町にやってくる。
 オヤ、「虎ノ門パストラル」(農林年金会館)を取り壊している。新館のほうはけっこう新しいはずだったが、もう壊すのか。超高層のオフィスや共同住宅に変るのだろうが、なんだかもったいないような気がする。ここの会議室はけっこう使ったことがあるから、特にそう思う。
 愛宕山の西側にやって来ると、木造家屋が立ち並ぶ一角がある。ここは日本都市計画家協会への通勤でよく通っていたから、山の東側に建つ超高層との取り合わせを楽しんでいたが、まだその風景は健在であった。
 虎ノ門三丁目のあたりは、広く工事用の塀で囲って、建っていた建物がすっかりなくなっていた。環状2号道路の建設が始まったのだ。
 それにしてもこのあたりは建物が立ち並んでいて、いつも見慣れた風景であったのに、なくなってみると何があったかほとんど思い出せないのが、不思議である。

2010/09/22

320【法末の四季】今年の稲刈り

中越の棚田の山村・法末での米つくりは4年目に入った。先日、今年の稲刈りをしてきた。日照りで水不足と聞いていたが、実際はよく実っていた。棚田の場所によっては水不足もあったらしいが、わたしたちの田は大丈夫であった。
 3枚の棚田のうち、初日の午前中に下の一枚を3人で刈り取った。バインダーなる機械を使ったから、3人でも効率が上がった。
 後からやってきた7人を加えて10人で、その日の午後と次の日の午前中ですべて刈り取り、ハサ掛けを終えた。2週間後に脱穀である。
   ◆
 集落では超高齢化が進んで、農作業から離れていく人たちがボツボツと出てくる。
 わたしたちの仲間は、今年はこれまでところに加えて更に2枚の棚田をつくった。この棚田は、去年までは元気であった長老格の人のものだが、体調が悪くて仲間が米つくり支援を引き受けた。これは仲間の一人ががんばって刈り取った。
 ほかにも米つくりを撤退しようかという人もいるそうだ。現実に耕作されていない棚田があちこちに出現している。
 まだ元気だが近くの街に引っ越して行き、こちらの家は農作業用にしている通勤農業の人もいる。あるいは高齢の親を支援して、近くに住む息子夫婦が農作業にかよってくる例も多い。
   ◆
 80人いるかどうかの集落だが、毎年1~2人の死者が出る。入ってくる人はいない。
 この冬は自死者があったそうだ。この男性は首都圏のある都市からこちらに10年位前にやってきた。年金生活者のようであったが、モダンな家を建てて、山野草や盆栽が趣味であった。
 いちど訪ねてその沢山の鉢植えを見せてもらったことがある。解説を聴いたがこちらにその趣味がないのでよく分からない。周りの山の中から珍しい品種を採集して育てるのだそうである。なるほど、こういう趣味でここに住むのは、それなりに目的に適うものであると知った。
 そんな積極的な生き方をしているように見えた人だったのに、この冬、山中の深い雪の中で遺体が見つかり、覚悟の自死であったという。
 それ以上の詳しいことは知らないが、考えようでは、この山里を死に場所として選んだのかもしれない。生きがいのある場所でもあったが、死にがいのある場所でもあったのだろうとも思う。
 この「死にがいのある場所」とは、なかなかに深い含蓄があると思うのだ。
 自分の終焉の場を自分で選ぶのは、実際は難しい。美しい山野があり、清くて深い雪のあるこの地を選んだその人の気持ちが、おぼろげながら分かるような気がする。

2010/09/21

319【東京風景】変りゆく東京駅八重洲口の風景も面白い

 去年のはじめに東京駅の八重洲口に行ったら、巨大な真っ白な壁が出現していて驚いた。大丸取り壊し工事のための囲いである。この白い壁の架かる前は、ビルの黒いガラスのカーテンウォールであった。
 ごたごたした八重洲駅前に、幅200m、高さ50mくらいの真っ白な壁が立ちあがるのは、クリストのアートかと思わせるようなシュールリアリズムの光景であった。ただ真っ白で、いまどき流行の広告もなくて、潔かった。

    ◆
 先日久しぶりに八重洲通りから東京駅を眺めたたら、白い壁は下のほうに一部だけになっていて、丸の内側の高層ビルがいくつも見える。
 このビルを壊した跡は低層の建物を建てるらしい。新しい八重洲側の顔になるだろうが、上空に見える新丸ビルと丸ビルの超高層風景は、なんだか正面性がなくて中途半端にごたごたしている。
 それは八重洲通りと丸の内の駅前通り(通称・行幸通り)とが、軸がずれているからだ。八重洲側から見ると半端に正面に立つ新丸ビルの、これまた半端なデザインが気になる。
 丸の内側のビルの建築家は、八重洲から見える景観を考えて丸の内のビルを設計すべきところを、多分、忘れていたのだろう。
 同様に今後は、八重洲・京橋側の建築のデザインは、丸の内から見通す景観を考えて設計しなければならない。
   ◆
 八重洲口から東京駅に入るには、この工事中のごたごたしたところを通り抜けなければならない。
 そこを歩いていてふと思い出したのは、あれは1954年だったと思うが、修学旅行で東京に行き従姉にあったときが、まさにこんな工事中の東京駅であった。ごたごたした駅を通り抜けるときに、いま駅ビルを工事中なのだと教えてくれて、どこかのレストランでエビフライをご馳走してもらった。
 そのときは、いま壊しつつある駅ビルが完成間近の建設中であったのだ。あれから55年でビルは命を終えた。
 わたしより後から生まれてきたあんな巨大で頑丈なものが、わたしよりも先に消えるなんて、なんだかこちらが長生きしすぎているように思えてくる。

参照
東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)

2010/09/16

318【老い行く自分】目も耳も人の縁も遠くなるばかりだなあ

 年取るとオシッコは近くなるが、逆にいろいろと遠くなることが起きる。目と耳がいちばん典型的である。縁も遠くなる人が増えてくる。
 わたしはまだ耳も目も、まだ遠くはなっていないと思っているが、それはこちらが勝手にそう思っているだけかもしれない。
 ただ、聞くのがめんどくさくなることが多くなった。話し相手でも会議での発言者でも、小さな声でぼそぼそしゃべるのは、もう聞かないことにしている。耳をそばだてるのが疲れるからである。
 居酒屋のガヤガヤのなかでも、若いときはしっかりと聞いたりしゃべったりしても、特にどうってことなかったが、今はどうせそんなところでの話だから真剣でなくてもいいやと、聞く努力をしないのである。聞こえる音をただ音として聞いているだけ。これが老人のボンヤリ姿になるのであろう。
 これは多分、同時に聞こえるほかの雑音との聞き分け能力、脳内仕分け能力が老化減退しているのだろう。
 勝手ツンボは、まだ芸がなくて、できない。
    ◆
 目が遠くなるのはまだ来ないが、乱視近視遠視(目が遠いと遠視とは違う)は進むようだ。若いときは変な姿勢で本を読んでも平気だったが、いまは寝転んで読書はちょっとつらい。目がチカチカ、腕がくたびれる。
 ただ、目が遠いフリをしておいたほうがよいように思う。なにしろ、人様の顔と名前を覚えるのが不得意のうえに老化が進んで、最近会った人も忘れる。次に会って向うから挨拶されても、忘れたのじゃなくて目が遠くて分からなかったと、すり抜けるのである。