中越の棚田の山村・法末での米つくりは4年目に入った。先日、今年の稲刈りをしてきた。日照りで水不足と聞いていたが、実際はよく実っていた。棚田の場所によっては水不足もあったらしいが、わたしたちの田は大丈夫であった。
3枚の棚田のうち、初日の午前中に下の一枚を3人で刈り取った。バインダーなる機械を使ったから、3人でも効率が上がった。
後からやってきた7人を加えて10人で、その日の午後と次の日の午前中ですべて刈り取り、ハサ掛けを終えた。2週間後に脱穀である。
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集落では超高齢化が進んで、農作業から離れていく人たちがボツボツと出てくる。
わたしたちの仲間は、今年はこれまでところに加えて更に2枚の棚田をつくった。この棚田は、去年までは元気であった長老格の人のものだが、体調が悪くて仲間が米つくり支援を引き受けた。これは仲間の一人ががんばって刈り取った。
ほかにも米つくりを撤退しようかという人もいるそうだ。現実に耕作されていない棚田があちこちに出現している。
まだ元気だが近くの街に引っ越して行き、こちらの家は農作業用にしている通勤農業の人もいる。あるいは高齢の親を支援して、近くに住む息子夫婦が農作業にかよってくる例も多い。
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80人いるかどうかの集落だが、毎年1~2人の死者が出る。入ってくる人はいない。
この冬は自死者があったそうだ。この男性は首都圏のある都市からこちらに10年位前にやってきた。年金生活者のようであったが、モダンな家を建てて、山野草や盆栽が趣味であった。
いちど訪ねてその沢山の鉢植えを見せてもらったことがある。解説を聴いたがこちらにその趣味がないのでよく分からない。周りの山の中から珍しい品種を採集して育てるのだそうである。なるほど、こういう趣味でここに住むのは、それなりに目的に適うものであると知った。
そんな積極的な生き方をしているように見えた人だったのに、この冬、山中の深い雪の中で遺体が見つかり、覚悟の自死であったという。
それ以上の詳しいことは知らないが、考えようでは、この山里を死に場所として選んだのかもしれない。生きがいのある場所でもあったが、死にがいのある場所でもあったのだろうとも思う。
この「死にがいのある場所」とは、なかなかに深い含蓄があると思うのだ。
自分の終焉の場を自分で選ぶのは、実際は難しい。美しい山野があり、清くて深い雪のあるこの地を選んだその人の気持ちが、おぼろげながら分かるような気がする。
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