今年の夏はあまりに暑くて、徘徊老人をやることができなかった。机上のPCに向ってばかりいたのだが、どうも運動不足の上、姿勢が悪かったらしい。ちょっと腰をひねると、イタッとなるぎっくり腰もどきである。正しい姿勢で徘徊運動再開が望ましい。
さて、猛暑から突然の晩秋である。出歩くには絶好である。小雨のなかを六本木から神谷町まで、ぶらぶら徘徊した。
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地下鉄六本木駅から久しぶりに六本木交差点に出た。防衛庁跡地の「東京ミッドスクエア」開発を見る。この前は一昨年だったろうか、まだ工事中であったが、すっかりできあがっている。
地下鉄六本木駅から久しぶりに六本木交差点に出た。防衛庁跡地の「東京ミッドスクエア」開発を見る。この前は一昨年だったろうか、まだ工事中であったが、すっかりできあがっている。
超高層建築はなんだかつまらないデザインである。「ガレリア」なるサントリー美術館が移ってきた大きな吹き抜けのも、今時では陳腐なものである。
外は開発緑地と檜町公園(既存改修)とが連続していて大きな都市のオープンスペースとなっているのが、なかなか良い。
その開発緑地の隅っこに、平屋で横長の三角屋根が見える。「21‐21design site」なる美術館であるらしい。安藤忠雄の設計であるから例によって遺跡、割り込みデザインである。
入ってみると、現代アート見世物展覧会であった。佐藤雅彦ディレクション「“これも自分と認めざるを得ない”展」だそうである。大勢の若い男女が、コンピューター仕掛けの見世物に嬉々としていた。このような見世物アートは好きだが、仕掛けが見え見えなのがちょっと気にいらない。
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六本木から檜町公園下までずいぶんレベル差がある。このあたりは全く起伏の激しい土地である。東京だからこんなに斜面でも何でも建物を建てているが、田舎なら森の丘陵と入り組んだ谷に水が流れる地である。
檜町公園の下、赤坂中学よりに、屋敷の林の中にずいぶん古そうな廃屋寸前に見える木造家屋がある。一昨年にきたときもあったが、今度も健在であった。ミッドタウンの超高層との取り合いが面白い。
昔々、なにかの用事で六本木駅から防衛庁の横の細い道を下って、赤坂秀和レジデンスに行ったことがあったことを思い出した。あの寂しいところがこんなになったのか。
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氷川神社を経て六本木二丁目方面に移動する。氷川神社の森はここが東京の真ん中かと思わせる。山王日枝神社みたいにこの空中権を移転して開発するって話がありそうなものだが、どうなのだろうか。
一山超えてアークヒルズの近くまで来る。アメリカ大使館の下にある神社境内から見る超高層群も、鳥居と取り合わせるとなんだか妙なものである。
首都高の谷町ジャンクションに来る。ここは三角の交差点が三角の高速道路に囲まれ、下には駐車場などで、上も下も環境も景観も悪い、全くもって雑駁きわまる空間である。アークヒルズが都市空間をあれだけ一生懸命につくっても、この交差点のあまりのひどさに帳消しになってしまう。
森ビルの開発の手は、アークヒルズの周りに伸びているが、すぐ南の二つの寺はまだ手がついていないらしい。道源寺の昔なりの墓地と本堂、庫裏が健在である。墓石、石仏と超高層との取り合わせはなかなかよろしい。
◆また一山超えて神谷町にやってくる。
オヤ、「虎ノ門パストラル」(農林年金会館)を取り壊している。新館のほうはけっこう新しいはずだったが、もう壊すのか。超高層のオフィスや共同住宅に変るのだろうが、なんだかもったいないような気がする。ここの会議室はけっこう使ったことがあるから、特にそう思う。
愛宕山の西側にやって来ると、木造家屋が立ち並ぶ一角がある。ここは日本都市計画家協会への通勤でよく通っていたから、山の東側に建つ超高層との取り合わせを楽しんでいたが、まだその風景は健在であった。
虎ノ門三丁目のあたりは、広く工事用の塀で囲って、建っていた建物がすっかりなくなっていた。環状2号道路の建設が始まったのだ。
それにしてもこのあたりは建物が立ち並んでいて、いつも見慣れた風景であったのに、なくなってみると何があったかほとんど思い出せないのが、不思議である。
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