北鎌倉浄智寺谷戸関口茶席由来記 その4
伊達 美徳
北鎌倉浄智寺谷戸の旧関口邸茶席が公開されるとて、その80余年の由来を建築家山口文象を軸に記すことにした(6回連載)
【その3】のつづき
●大工棟梁山下元靖の回顧譚
この茶席常安軒の工事をしたのは、大工棟梁の山下元靖であり、『
工匠談』
(1969年 相模書房刊)という本を出して、自分のいろいろの仕事を語っているが、その中でこの茶席の想い出も35年も前のこととして語っている。
この本には、山口文象による「山下さん」という序文があり、関口から設計を依頼され、山下と「
毎日浄智寺の現場で……けんかをしながら楽しんで仕事に没頭した」と記している。どちらも30歳そこそこの若者だった。
山下はその本の「北鎌倉の関口邸の茶室」という章で、数寄屋会席については何も述べず、吉野窓茶室と離れの工事についての自慢話をしているのが興味深い。
その吉野窓茶室について、草ぶき屋根の小屋組み仕口の仕事を茅葺屋根専門の職人から褒められたこと、吉野窓を貴人口にも使うように工夫したこと、土庇柱の沓石に寺院の向拜の沓石を転用したように古びて見せる工夫をして関口を感心させたことなど、職人肌が面白い。
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「窓は吉野窓にし、直径を京間の六尺の大丸窓にしました。 それは貴人口にも使用する関係で、丸窓の下部を半紙幅の半幅、 つまり下から約四寸の高さのところを図のように水平に切り、 掃き出しも兼用できるようにしました」(『工匠談』) |