まずは横浜そごう美術館の「生誕290年木喰展ー庶民の信仰・微笑仏ー」、昨日は東京国立博物館で「対決 巨匠たちの日本美術」と東京藝術大学美術館の「バウハウス・デッサウ」の連続鑑賞であった。
木喰仏展にいったのは、この春に柏崎と長岡で木喰仏をいくつか見たからである。
新潟県は木喰仏の宝庫であるが、このところ通っている長岡市小国町法末集落の近くにそれらがあるので訪ねた。
小国町太郎丸の真福寺の山門に一対の一木彫りの巨大な仁王尊像があり、これはいつでも見ることができる。ちょっとユーモラスながら豪快な感じもある。
同寺の立木観音は、本堂の後ろの小さな祠にあり、その顔はまさに微笑仏そのものである。
長岡市太郎丸 真福寺仁王 木食仏2008年撮影 |
長岡 真福寺の木食仏 |
柏崎市の街なかにある十王堂には十二体の木喰仏があり、その小さなお堂と木喰仏は昔は常住の尼さんがいて管理していたそうだが、今は町内会が管理しているからいつでも拝観できるのではない。わたしたちが訪ねたときに、たまたま掃除にいらした町内会の役員さんのご好意で見せていただいた。
ここにある仏像は、三途の川を守る仏たちだから、みんなが微笑をしているわけにはいかないらしいが、それでもどこか愛嬌あるお顔であった。
柏崎 十王堂にて |
柏崎 十王堂 |
実は事前にどこに木喰仏があるか調べて、7箇所を2日がかりで訪ねる予定であったが、どこかに移ったり、管理者が不在だったり、博物館は閉館中だったりして、結局は3箇所で木喰仏に出会うことができた。
柏崎 安住寺 木食仏 |
これほど有名な仏像だから、いずれもそれなりのお寺で信仰の対象となっているのかと思ったら、意外にも集落や町内会で管理しているところもあり、いつでも見せてくださるわけには行かなかった。
十王堂は中越沖地震での被害もあり、管理にはいろいろとご苦労があるらしかったのが、拝観料もおとりにならないのでお布施を差し出した。
都会のお寺のように拝観料を当然に思うようなこちらの頭がはずかしい。素朴に地についた信仰の対象として、日常生活のなかにあるのが木喰仏だった。
そごう美術館ではよくも集めてきたと思うほどの130体もの木喰仏に一度に出会ったが、それは越後の里で出会った木喰仏とは、ものは同じでもそれを見る目にははっきりと違うものであった。土地の信仰対象と都会の見物対象とは、違うのは当たり前である。
さて、国立博物館では対決のひとつに「円空仏対木喰仏」があった。
100年も違う対決もヘンだが、それはそれなりに面白い。円空の彫りの荒っぽさ(もちろんそこがよいのだが)を見ると、木喰の荒っぽさは優美にさえ見える。
バウハウス展は、1995年にセゾン美術館であった展覧会と大差はない展示であった。ミースのバルセロナ椅子は映像室で観客が座ってよい椅子となっており、モダンデザインの定着を見たと同時に、いろいろなバウハウス流工芸デザインをみるとモダンデザインがもたらした工業化への功罪も感じた。
おもしろかったのは、国博では高齢者が非常に多かったのに、こちらはほとんどが若者だったという客層の違いである。デザインを志すものが一度はかぶれるバウハウスは、自分のことを思い出すと今も昔も同じなのであった。
十王堂は中越沖地震での被害もあり、管理にはいろいろとご苦労があるらしかったのが、拝観料もおとりにならないのでお布施を差し出した。
都会のお寺のように拝観料を当然に思うようなこちらの頭がはずかしい。素朴に地についた信仰の対象として、日常生活のなかにあるのが木喰仏だった。
そごう美術館ではよくも集めてきたと思うほどの130体もの木喰仏に一度に出会ったが、それは越後の里で出会った木喰仏とは、ものは同じでもそれを見る目にははっきりと違うものであった。土地の信仰対象と都会の見物対象とは、違うのは当たり前である。
さて、国立博物館では対決のひとつに「円空仏対木喰仏」があった。
100年も違う対決もヘンだが、それはそれなりに面白い。円空の彫りの荒っぽさ(もちろんそこがよいのだが)を見ると、木喰の荒っぽさは優美にさえ見える。
バウハウス展は、1995年にセゾン美術館であった展覧会と大差はない展示であった。ミースのバルセロナ椅子は映像室で観客が座ってよい椅子となっており、モダンデザインの定着を見たと同時に、いろいろなバウハウス流工芸デザインをみるとモダンデザインがもたらした工業化への功罪も感じた。
おもしろかったのは、国博では高齢者が非常に多かったのに、こちらはほとんどが若者だったという客層の違いである。デザインを志すものが一度はかぶれるバウハウスは、自分のことを思い出すと今も昔も同じなのであった。
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