2008/08/08

027【世相戯評】どうやら世の中ではオリンピック競技大会なってものをやっているらしい

なんだかよくわからないが、お隣の中国北京のあたりでオリンピック競技をやっているらしい。

 オリンピックで高校野球もやっているとか、選手が鳥の巣でギョーザを食べてあたったとか、チベットで聖歌でもめたとか、なんださっぱりかわからない、、けれどもどーでもよいことだ。

 ドーデも良くないのは、あの四川大震災は、いったいどこの国のことだったのだろうかってことだ。
 そして身近にドーデも良くないのは、このところ新聞のスポーツ欄がやたらに増えて、読むところが減って困ることだ。
 今朝数えたら、全36ページのうち7ページも占めている。興味ない読まないゴミページばかりそんなにも増えて、購読料を割り引いてほしいもんだ。

 1964年の東京オリンピックの競技に関する記憶は、不思議にも全然ない。
 関連して思い出すのは新幹線が開通して、その模様を中継していたテレビを見たことだ。えらく速いものができた、と感心した。

 もうひとつは、その前々年くらいか、日本橋川の上に高速道路を架けるために、どぶ泥の川の中に基礎杭を打ち込んでいた風景とその打ち込む機械の音の記憶である。
 あ、そうだ、「オリンピックノオ、カアオトカアオ、ホオレ、シャシャントシャント、、」って、まことにノーテンキな節まわしも思い出したぞ。

 あのころの日本は、今の中国とあれこれ比較して、政治体制のほかは生活レベルも庶民の考えもほとんど似通っていたような気がする。
 今の中国を見て、今の日本は進歩したのかしら、、、進歩を大義名分とした時代のオリンピックだったもんなあ、、。

 オリンピックの鮮明な記憶は、あれは小学生のときだったかしら(と書いてから調べたら、1952年夏ヘルシンキだったからわたしはもう中学生だった)、フジヤマノトビウオ古橋とライバルの橋爪が泳いでいたなあ、ラジオの中で、、。

 あ、もうひとつ、シドニーオリンピックの女性マラソンをテレビで見たのが、わたしの唯一のオリンピック競技観戦だなあ。
 もっともそれは競技に関心あったからではなく、マラソンコースのシドニーハーバーの景観を観たかったからだが、ついでに競技も見て高橋尚子という名を覚えた。

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