2009/11/28

207【建築家山口文象】日本の表現主義展


 日本表現主義をテーマにした大規模な展覧会が全国美術館を巡回している。わたしは既に栃木県美術館で見てきたが、この12月から千葉県松戸市の市立博物館で開催する。
 ここに建築家山口文象の作品も登場している。それの作品とは、1924年の創宇社第2回展点にパースを、同年の分離派第4回展には模型を出品した「丘上記念塔」である。
 パース原版も模型も失われている(いつも展覧会打ち上げパーティーで川に放り込んだとか)から、パースは本からのコピーで、模型は復元して展示している。

 このコンテで描いたパースは、実にすばらしい絵だと当時の建築家志望若者連中がこれを見て憧れ、山口文象がリーダーの創宇社建築会に入会者が増えたという。
 メンデルゾーンのアインシュタイン塔を連想させるデザインは、確かに日本の表現主義の建築における萌芽の時代を思わせる。

 創宇社展ポスターはメンバーが順繰りに描いたそうだが、第1回及び第3回のポスターは山口作で、これは竹村文庫に保存されている実物が展示されている。
 もうひとつの山口文象作品は、前衛劇「ドイツ男ヒンケマン」舞台装置である。これは写真展示であるが、1925年に創宇社第3回展に出品している。その頃に山口文象たちは、「劇場の三科」なる演劇団体を結成して、前衛劇を演じたのでそのひとつである。

 同時期の建築家の作品は、山田守の「聖橋」がでているが、これも展示されてはいないが山口文象が設計のために描いたコンテパーすが存在しているのだ。
 岩元禄による「京都西陣電話局舎」もでているが、これも山口文象によれば岩元を手伝ったという。

 そのほかには石本喜久治、堀口捨巳、滝沢真弓など分離派の作品展示が多いなかで、金澤庸治とか川喜多煉七郎のような、少しアウトサイダーの作品があるのが興味深い。
 時代相から言えば山口文象も基本はアウトサイダーであるが、あるときからインサイダーになったという才能の持ち主である。

 それにしても、建築、絵画、彫刻、工芸、写真、演劇、映画などの多ジャンルを、表現主義という断面を横断してみるのは、実に面白くて興味が尽きない。
 おお、これもそうなのかと思いつつも、あまりに多すぎてとても消化しきれないのは、こちらの能力の限度をこえているのだから仕方ない。
 とにかく面白いから、12月8日から松戸での展示を見ることをお勧めする。

●躍動する魂のきらめき-日本の表現主義-展 
 明治維新以来、およそ40年をかけて、日本はようやく一通りの近代化を果たすことができました。ヨーロッパという明確な目標があった時代には、ひたすら選考するモデルを追いかければよかったのですが、自らを一人前として自覚するようになったら、今度は何を目標とするか自ら考え出さなければなりません。こうして明治末すなわち1900年代から、何に向うべきか、またその問いをどう表したらよいのか、日本の表現者は自ら問わなければなりませんでした。(松戸展案内より一部引用)
・開催期間 2009年12月8日(火)~2010年1月24日(日)
  ※休館日-月曜日(ただし1月11日(月)は開館し、翌12日(火)休館)
         12月28日(月)~1月4日(月)
・開館時間 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
・開催場所 松戸市立博物館 
  ※所在地:〒 270-2252 松戸市千駄堀 671
    (Tel)047-384-8181  (Fax) 047-384-8194

●参照→建築家山口文象+初期RIA
https://sites.google.com/site/machimorig0/#bunzo

2009/11/27

206【世相戯評】わたしにはまことに無縁きわまる今年のヒット商品のかずかず

 今年のヒット商品番付を、銀行系のMSBCコンサルテイング会社が発表したとマスメディアが伝える。
 どれだけ信憑性があるのか知らないが、読んでみてそのどの商品にも関係なかった今年であった。

 横綱級には、東に「ハイブリッド・カー」だそうだが、あんなインチキエコをだまされて買うやつの気が知れない。137オレにもEV補助金240万円よこせ

 西横綱は「アルコールのないビール」だそうで、酒飲んでアルコールが入ってないなんて馬鹿というか詐欺みたい。ニコチンの無い煙草、砂糖の無いケーキ、塩の無い塩辛、、、、。

 張出横綱級は、「エコポイント家電」と「1000円高速道路」だそうだが、どちらもそのアホさ加減をこのブログに書いている。120エコ商品購入補助金のバカ   110高速道路休日1000円のバカ

 大関級は、「新型インフルエンザ対策用品」だそうで、これも何もしていない。新らし物好きなのにまだかかっていない。

 そこから下にこんあものがならんでいる。
 「Fit's」とあるが、そもそもこれはなにだ?
 「ドラゴンクエストⅨ」は、ゲームソフトだろうが、あんなガキのものは縁がない。
 「1Q84」は、村上春樹の小説だってことぐらいは知っている。誰も読まなくなった頃に読むかもしれない。
 「阿修羅」なんて、行列して博物館で見るもんじゃないでしょ。行列は大嫌いである。
 「原監督&WBC・日本シリーズ優勝」って、観るだけスポーツに何の興味もない。
 「東大生ノート」ってなんだろう、東大なら何でも買っちゃう馬鹿には付き合えない。
 「ブローネ泡カラー」って、さっぱり分からない、分かりたくもない。
 「ガンダム30周年」なんて、今の大人はガキのまま育ったのか。そういえば神戸で、20mはあろうかというガンダム玩具模型が公園に建っていた。
 「GREE」てなんだ?
 「iPhone3GS」は、実はランキングの中で唯一これだけ興味があるものだった。買おうかとも思ったけど、あの全国通じない携帯電話屋のソフトバンクなのでやめた。
 「韓国旅行」には行ってみたいとは思っている。博多から船で行きたいなあ。
 「弁当&水筒男子」ってなんだ、弁当持ちサラリー男なんて昔は普通だったぞ、ブルーカラーは腰弁なんて言ったもんだ。
 「ジーンズ激安競争」って、どこでやってるんだろうか。あんな仕事着をヘンにお高く売っているのが気に入らんから、激安結構なことだ。
 「ブランド付録つき雑誌」なんて知らん。どうせバカねえちゃんが喜ぶカバンかなんかついてるんだろ。
 「マイケル・ジャクソンTHIS IS IT」って、M.J.くらいは知ってはいるが特に聞きたいと思ったことがない。
 最後が「ゆるキャラ」なんだけど、あちこちで流行るとその特徴の“ゆるさ”がかえって目立たなくなってしまうぞ。

2009/11/26

205【怪しいハイテク】フィルムスキャナーを買って動かないのでYASHICAサポートに連絡したら、、、

 デジタルカメラが出る前の数十年間、フィルムカメラを使っていたのは当然だが、ほとんど35ミリのカラーリバーサルフィルムで撮って、マウントして保存している。
 それがいつの間にか積りに積って、今やおよそ2万枚はあるのだ。

 これを必要に応じてスキャナーでPCにとり込みデジタルデータ化しつつあるが、スキャナーとり込みに時間がかかって困っている。
 先日、近所のPCDEPOなる電器屋でコンパクトなフィルムスキャナーを見つけた。「ワンタッチ取り込み」と箱に書いてるので、これなら簡単にして速いだろうと、1万円出して買った。
YASHICA フィルムスキャナー FS-500」という製品である。

 ところがである、説明書に忠実にソフトをとり込み、機械をつないだのだが、どうやってもとり込みソフトが起動しないのでだ。
 しょうがないので、サポートセンターをネットで探して、メールで教えを乞うたのである。
  以下はそのメールやり取りの要約である。
 その結果は果たしてうまく行くでしょうか、、。

●サポート係様  091123  伊達美徳より(要約)
 フィルムスキャナーFS-500について昨日PCDEPO(横浜みなとみらい)で購入して、とり込みソフトや画像ソフトPhotoImplessionのインストールを説明書どおりにやって、機械を接続して説明書の13ページまでは行ったが、その後の14ページ①からの「取得」をクリックしても「スキャナーを起動させます」のプレビュー画面が出てこない。どうしたらよいのか至急教えよ。

●伊達様 091124 エグゼモード サポートセンター(要約)
 マイコンピュータを開き、「OVT Sccaner」があるかどうかを確認し、あればクリックして映像が出るかどうか確かめよ。
 上記で、正常に動作しているにもかかわらず、PhotoImplessionでプレビュー画面が出てこない場合、お使いのPCにPhotoImplession以外の、スキャナ制御機能を持ったグラフィックソフトなどが入っていると思われる。
 おそらく、”他のソフト”が、スキャナのポートを占有しているためhotoImplessionでスキャナを利用できない状態になっていると思われる。
 逆に言えば、占有しているソフトであれば、スキャナを制御できるということになる。
 こういった場合の対処法としては、以下2通り。
1:PhotoImplessionの使用をやめ、”他のソフト”を使用する
2:”他のソフト”をアンインストールし、PhotoImplessionを使用する
 ソフト同士の相性が悪く、共存ができない状態と思われますので、上記いずれかの選択肢となる(これはバグや不具合という物ではない)
 また、XPの場合は、ペイントで取り込みができる場合がある。(以下そのとり込み方法がかいてある)  


●エグゼモード サポートセンター様 091124 伊達美徳より(要約)
 マイコンピュータに「OVT Sccaner」があったので、開いて映像が出てきた。
 上記で、正常に動作しているにもかかわらず、PhotoImplessionでプレビュー画面が出てこない。ということは仰せの通り、エプソンのスキャナーを持っているので、それがジャマしているのですね。
 仰せのように「”他のソフト”をアンインストールし、PhotoImplessionを使用する」としたら、エプソンのスキャナーがつかえなくなって、文書のスキャンとかOCRができなくなるから絶対に困る。
 そういう使えない可能性があるなら、箱に分かりやすく注意書きを記載しておくべきだ。それが分かっていたら、私は買わなかった。
 XPの場合は、仰せのようにペイントで取り込みをしてみたらこれはできる。ただし、一枚一枚で面倒だし、画像コントラストが強すぎるのにそれを調整できないまま取り込まなければならないから、アウトプットが使い物にならない。
 返品をしたいが、販売店がどういうかわからない。この旨をお口ぞえしてほしい。


●伊達様 091126 エグゼモードサポートセンター(要約)
 PCは、メーカ製PCから自作PCまでさまざまあり、中に入っているソフト類についても、多種多様で、設定や環境もPCを使用していると変わっていくので、同じメーカ、同じPCでも、使用者が異なると環境も違うということになる。
 どのような機器・ソフトとPCの間には、少なからず相性がある。何が影響するかは、環境によってさまざまで、機器やソフトのメーカ側で、事前に予期したり、対処することは不可能だ。
 本機においても同様で、殆どのお客様については、正常にご利用いただいているが、まれに、本件のように競合などで使用できない場合がある。その場合は先のメールのように、解決法を提示さしている。
 返品・返金については、商法上、お客様と購入店舗様の売買契約の話なので、メーカが仲介などをすることがでない。


●エグゼモードサポートセンターさま 091126 伊達美徳より (要約)
 箱に注意書きが無いことについては納得できてないが、では、「PhotoImplessionの使用をやめ、”他のソフト”を使用する」としたら、わたしの“他のソフト”は「EPSON SMART PANEL Windows V2.0J 」なので、それによる方法を教えてほしい。


●伊達様 091126 エグゼモードサポートセンター(要約)
 競合の症状は、PCの環境によってさまざまなケースがあり、何が使えて、何が使えないのかという決まりはないので、弊社では特定のソフトをご案内はできない。編集ソフトは、非常に多くの種類があるので、色々試してみよ。
 EPSON SMART PANEL Windows V2.0Jが本件の原因かどうかについては分からない。
 それで本機を制御できる機能があるのであれば、それを使用して取り込みをしてみることも方法の一つかと存じます。
 なお、解決法については、それが不可能ということであれば、お客様自身にて、他に使用できるものをお探しいただくほかございません。

 以上が今日までのメールやりとりである。
 解決方法が全然分からないから聞いているのに、解決方法を提示しているといいながら、実は自分で解決方法を探せというばかり。
 商売敵のエプソンの製品についてなんか知らないよって感じで、いやどうも、まことにつれないのである。
 困ったなあ。

2009/11/23

204【東京駅復原反対】浦島伝説テーマパーク三菱1号館美術館の誕生

 東京駅の前、丸の内に丸ノ内パークビルディングができた。
 赤っぽい超高層ビルの足元に、赤レンガで3階建てスレート屋根、どことなく古そうな格好だがぴっかぴかの新しい西洋長屋である。
 
1894年に三菱1号館として建てられていたのを、1968年に取り壊したのだが、それを40年ぶりに美術館としてコピー再現したのである。
戦後ある時期まではこの辺りにはこのような赤煉瓦建物が軒を連ねていたが、順次取り壊されて高層ビルになり、それがまたしだいに取り壊されて超高層ビルになりつつある中で、ここに超高層ビルと超低層ビルの組み合わせで、こんなものができたのである。

 いったん壊したものをどうしてまたわざわざコピーして再現するのか。
 低層建築は地価の高い丸の内では損するだろうに、と言うご心配はご無用、超高層ビルと超低層ビルを組みあわせてつくれば、超低層ビルに乗せなかった上のほうの階を、超高僧ビルに乗せればよいのである。結果は同じである。

 その上、なんとなく歴史的な風体をしている美術館は都市に文化をもたらすとて、都市計画行政当局からからは建物の容積ボーナスももらえるから、開発事業者にはメリットがあるのだ。その上に更に、東京駅から飛んできた容積率の床を上乗せしている。
  三菱一号館在りし日のように周りがみんな3~5階建てビルではなくて、今様超高層ビル群の中に昔風超低層ビルが迷い込んだ風景である。

 そんなわけで浦島太郎ビルとかタイプスリップ建築とか言われている(2009.11.23朝日新聞朝刊文化欄)。
 その風景が時間をかけて徐々にできあがって来たのならともかく、ある日突然に出現の状況だから、浦島太郎といわれるのも無理はない。浦島太郎は周りとは全く違う風体をしているからこそ浦島なのである。
 もう2年もしたら、東京駅が今の2階建ての上に、昔あった3階のコピーを継ぎ足して乗っけるそうだから、これも半分浦島である。
 今や丸の内のここらへんは、浦島伝説テーマパークもどきになりつつあるのだ。

 40年余不在だった三菱浦島と60年余不在の東京駅浦島が持ち帰る竜宮城乙姫の土産の玉手箱は、周りに立つ容積移転超高層ビル群である。
 そのうちにこれら玉手箱群から煙を発して、浦島太郎はたちまち白髪のよれよれオジイサンビルになるのだろうか、来るべきる関東大震災で、、。
 そういえば、ニューヨークWTCビルは、誰かが持ち込んだ玉手箱であったらしく、2001年9月11日に蓋をあけてでてきた大白煙は、アメリカをたちまち白髪のガンコオジイサンにしてしまった。

2009/11/22

203【世相戯評】臭いの暴力その3・香り風景百選

 香り風景百選というのがある。日本中で香りがある街を100箇所選んでいる。環境省大気環境局が肝いりというところが、意図を考えさせられる。http://www.env.go.jp/air/kaori/index.htm
 大部分が花のような自然植物が香るのだが、中にはせんべいを焼くときの醤油とか塗りものの漆、醸造する過程の酢や醤油などもある。

 これらは香りだから、嗅いで気持ちがいいところであって、だから臭い百選ではないのだろう。
 田畑では時期におうじて、肥料、焚き火などの臭いやら香りが漂うのだが、これは当たり前すぎるのか百選にはない。
 市場の漬物や揚げ物のにおいとか、路地裏の夕餉の香りも、もちろん選ばれていないのも、当たり前すぎるからだろう。

 街が臭うといえば、40年以上も前のことだが、大阪のある地区をバスで通ると強烈なにおいがいつもしていたことがある。そのあたり全部がそれはもう吐き気を催すようなすごい臭いである。
 聞けば、動物の皮をなめして靴などの材料にする町工場が沢山ある地区だそうである。ものづくりの過程で発生するのである。

 それがどこであったか思い出せないが、今はどうなっているのだろうか。ほかの都市にもそのような地区があるはずだがどうなのだろうか。技術革新で臭いを消す方法が今は発明されているだろうか。
 化学プラントやゴミ処理場からの悪臭も、なめし皮工場も基本的には産業の発する臭いであるが、大企業ではない零細な町工場群ではどうしているだろうか。
 いっそのこと「臭い風景百選」てのをやってみてはどうか。

●追記(2010.01.07)
 知らなかったけど、やっぱり危惧していることが起っている。
 今日の朝日新聞朝刊に、「人口の香り 街を漂う」との見出しで、アバクロなるアメリカ安売り屋が銀座に店を出していて、その店は全館に人工の臭いを流しているのだそうだ。そしてその臭いをトラックで町中にふりまいて走っているのだそうだ。無差別テロ行為そのものである。 嫌だ嫌だ、公害、香害、臭害である。
 どこやらの肉屋では、すき焼きの人口臭を流しているともある。勘弁してくれ~。


202【世相戯評】臭いの暴力その2・新製品「録臭器」

 昨日の臭いの暴力から思いついたが、録臭器」ってのを作るやつがそのうちに出るだろうか。
 つまり、臭いから香りまで色々な悪臭芳香を、ウォークマンみたいに貯めておくのである。
 
で、歩きながらその中から好きな臭いなり香りなりをかぐのである。好きなカップルは互いにかぎあいながらデートする。
 ジンチョウゲとかバラとか蒲焼きとかカレーとか、田舎の畑とか焚き火とか、まあ、気分に応じて鑑賞?するのである。

 で、嫌なやつが近寄ってきたら、悪臭を放つのである、それもボリュームを最大にして、そう、スカンクである。痴漢除け装置にもなる。
 両耳穴にイアフォン、両鼻穴にノーズフォン、これがおしゃれなスタイルになる。

 どうです、電器屋さん、こんなのを売り出しては、、。不況の折から売れますよ。
 いたずらも増えるだろうなあ、まったく、音害の次は臭害か、香害である。

2009/11/20

201【世相戯評】臭いの暴力その1・バックグラウンドスメル

 バックグラウンドミュージックとか企業ソングとか、音がもう街の中にも店の中にも溢れていて、例えば大型電器小売屋のサクラヤとかヨドバシとかの店は、つくづく嫌になるのである。企業ソングの流れない店を探していくようにしている。
  スーパーマーケットにいくと、ゴリヨーゴリヨーというドラ声がスピーカーから流れているのもやりきれない。市場での生の声なら景気よくていいのだが、録音では同じ調子の繰り返しで、ただやかましい騒音である。

 ところが最近は、バックグラウンドミュージックならぬ、バックグラウンドスメルって言うのかどうかしらないが、臭いというか香りがする店があるらしいのだ。
 いや、食い物屋のにおいじゃないよ、わざわざ何か臭いをサービスのつもりで発生させているらしいのだ。

 臭いと香りはどう違うのか。ウンコの臭いとは言うけど、ウンコの香りとは言わない。嗅ぎたくないのが臭いで、嗅ぎたいのが香りか。
 どこだったか忘れたが、ホテルのエレベーターに乗ると、何かホノカに臭うというか香りがするのであるが、相客はいないから降りた乗客の香水の残り香かと思ったら、また乗ったときに同じなので、これはわざと発している背景臭(とりあえずこう言うことにする)であろう。

 こんなのは困るのである。要らない音楽も困るけど、鼻から入る要らぬ臭いはもっと困る。
 呼吸は止められないのである。そっちは香りでも、こっちには臭いなのだ。
 まことに背景臭は迷惑せんばんである。

 臭いと香りの境目はどこら辺にあるのだろうか。騒音と音楽の境目みたいに、わからないのだ。
 エレベーターの中や電車で、きつい香水の女性と乗り合わせるのはたまらない。最近は外国人女性が多いからなおさらであるが、日本女も真似して多くなっている。

 電車の席で隣に座った音漏れウォークマン男(最近は女も多い)には、音を小さくしてくれとしょっちゅう言うのだが、香水プンプン女にその臭いのレベルを下げてくれといっても、どこにも臭量調節ボタンが無いので、こちらが逃げるしかない。

 今はなくなったようだが、昔、汲み取り便所に置くようにと、花の香のする液体の入った瓶を売っていた。
 あれはジンチョウゲのようであったが、おかげで本物のジンチョウゲを嗅ぐと汲み取り便所を連想するようになってしまった。

 香りとか臭いとか、息をする人間には防ぎようがないものは、できるだけないほうがよろしい。
 食べ物のように、それが必要なときに必要な香りがあればこそ、美味いのだ。食ってもいないのに、しょっちゅうカレーの匂いがそこらじゅうに漂っていては、たまったものではない。
 これを書くと嫌われるがといいつつ書いてしまうが、炊き立てご飯はウンコの臭いがする。もっとも、これを言ったのは深沢七郎であるとか、。

●追記(2010.01.07)
 知らなかったけど、やっぱり危惧していることが起っている。
 今日の朝日新聞朝刊に、「人口の香り 街を漂う」との見出しで、アバクロなるアメリカ安売り屋が銀座に店を出していて、その店は全館に人工の臭いを流しているのだそうだ。そしてその臭いをトラックで町中にふりまいて走っているのだそうだ。無差別テロ行為そのものである。
 嫌だ嫌だ、公害、香害、臭害である。
 どこやらの肉屋では、すき焼きの人口臭を流しているともある。勘弁してくれ~。

2009/11/17

200【ふるさと高梁】ふるさとでシンポジウム

 生まれ故郷の岡山県高梁市で、シンポジウムがあるとのニュースが都市計画学会から来た。ご無沙汰しているので行ってみたいが、もう遠いふるさとになってしまった。
 参照→◆高梁:日本のハイデルベルク 

 案内文中に「備中松山城や吹屋ベンガラ村で知られる岡山県高梁市」と書いてある。そうか、合併して吹屋も高梁市になったのである。吹屋のある成羽町には、安藤忠雄の設計した美術館があり、なかなか優れたコレクションがあった。
 もう10数年前だったか、高校同期会をこの近くでやって、伝統的建造物群保存地区の吹屋の街並みと美術館を訪ねたことがあった。あれも高梁市立美術館になったのだろうか。

====================================
(社)日本都市計画学会メールニュースNo.639 (2009年11月17日)

シンポジウムのご案内
『歴史を活かしたまちづくりシンポジウム
 ―岡山県高梁市の「歴史的風致」を考える―』
備中松山城や吹屋ベンガラ村で知られる岡山県高梁市のこれまでのまちづくりの歩みを振り返り、
これから「歴史的風致」の概念をどのように展開し、活力のある地方都市を育てるかを考える。

日時:2009年12月6日(日)17:00~19:30
会場:高梁市文化交流館 3階中ホール
     (岡山県高梁市原田北町1203-1)
参加費:無料

1.基調講演:「歴史まちづくり法の意味とその生かしかたについて」
         西村幸夫(東京大学大学院教授)
2.経過報告:「高梁のまちづくりの今までの展開について」
         小林正美(明治大学教授)
3.パネルディスカッション
   近藤隆則 高梁市 市長
   西村幸夫 東京大学大学院教授
   土井富弘 「高梁の歴史的風致」を考える会 幹事
   石井雅之 たかはしフィルム・コミッション 会長
   小川 博 吹屋町並保存会 会長
   岡山県文化財関係者
   小林正美 明治大学教授 (コーディネーター)

個人申込:申込不要
団体申込:団体名、人数、代表者氏名・連絡先を明記の上、
     事務局までE-MailもしくはFAXにて申込ください。
問い合わせ:「高梁の歴史的風致」を考える会・事務局 
  E-mail:Takahashi-rekimati@etude.ocn.ne.jp
Tel:090-3179-5649(井上)/Fax:0866-23-0708

主催:「高梁の歴史的風致」を考える会  
共催:高梁市、高梁市教育委員会
協賛:(社)岡山県建築士会高梁支部
後援:高梁商工会議所、高梁青年経済協議会、(社)高梁青年会議所
    たかはしフィルム・コミッション
※本シンポジウムは「住まい・まちづくり担い手支援事業」の支援を受けて開催します。

2009/11/15

199【世相戯評】饂飩と蕎麦

 自動車のタイヤ屋のミシュランが、日本の料理屋のランク付けをしたガイド本を発行したとかで、そんな店に縁の無いコチトラはどうでもいいけど、文化論としては面白い話になるようだ。
 京都での店のランキングづけ作業では、取材お断りの店がずいぶん多かったそうだ。
 毛唐はんに京の味はお口にいあいまへんやろ、一見さんはおことわりどすえ、ヘン、イチゲンでわるかったねえ、なんて喧嘩になったかならなかったか。
 でもまあ、あれは観光客むけ、つまり一見さん用のガイドブックだから、それはそれで観光産業で食っている京都人が目くじら立てるものではあるまい。

 食い物の味は、地域文化のそのものである。
 わたしは西の饂飩文化圏育ちだから、関東に移り住んでから饂飩を食って驚いた。真っ黒の塩辛い汁にグジャグジャの緬が入っていて、あまりの不味さにこれって饂飩という食い物かいって言ったものだ。
 その後、半世紀ほどの月日がたって、今の関東では讃岐饂飩がはばを利かせているのは、さすがに関東人もあの真っ黒グチャグチャ関東饂飩は不味いと気がついたのだろう。

 蕎麦も、関東に来てはじめて食ったわけではないが、美味いとは思ったことがなかった。
 あるとき信州の大学生になった同郷の同期生を訪ねて遊びに行った。信州は蕎麦どころと聞いていたから、ここの蕎麦は美味いのだろうと思って、上田駅前の店に入ってくったものだ。
 これがまあ、真っ黒で、ボキボキ折れるやつで、口に入れてもぼそぼそして、ちっとも美味くない。
 こんな不味いものを喜んで食うやつの気が知れないと思ったものだ。

 わたしの人生ではいまだに蕎麦は不味いものである。
 気に入らないのは、うまい蕎麦だといわれる店のそれは、どういうわけか蒸籠の上に半禿げ男の頭みたいに薄くまばらに並ぶ蕎麦を出してきて、その一枚を千円以上も取ることである。それがうまいかといえば、わたしには全然美味くないのである。
 蕎麦好きは周りに結構いて、蕎麦屋に誘われることも多いのだが、行かないとは言わないが、蕎麦でない品物があればそれを頼み、蕎麦しかないと蕎麦掻きを食うのだ。この蕎麦掻きは好きなのである。

 そうやって抵抗してきたが、あるとき畏友が家で蕎麦をうつから食べにおいでと招いてくれた。蕎麦打ちが趣味だそうである。
 蕎麦は嫌いだから行かないというわけにおかず、これには困ったのだが、実はこのとき初めて蕎麦を美味いと発見したのであった。
 それはその年にできた蕎麦の新しい粉で、目の前で打ち、切り、茹でてくれたのである。
 蕎麦ってものは味よりも香りと喉越し感覚であることを、このときはじめて知った。これは大人の味である。60歳越えて始めて知ったのだ。
 ではその後は蕎麦食いになったかといえば、ならないのである。蕎麦はその畏友に手になるものに限る。
 相変わらず、蕎麦食いにたいして悪口を言う、蕎麦なんてそれしかできない荒地のビンボウ草だろ、ありゃビンボウ人の食いもんだよ、なんて。

2009/11/10

198【横浜都計審】事前に議題の現地を見て当日は画像を映写して意見を述べる愚直な委員なのに、

 昨日は朝から横浜市の都市計画審議会だった。
 一昨日は鎌倉で世界遺産登録促進の市民ワークショップがあり、コメンテーターとして参加していて、終わってから仲間と愉快に飲んだ。
 明日は都計審だから早く帰ろうと決めていたのに、飲み始めると忘れて遅くまで飲み過ぎて、昨日はちょっと二日酔い気味だった。
 でも審議会ではちゃんと意見は言えた(と、思う)。

 このところ数回の審議会のいくつかの議事で、わたしがかなり問題指摘の意見をのべても、現地を見ていない委員にはよく理解ができないらしいのであった。
 前々回の審議会で、廃棄物処理施設の立地と住宅立地が競合するおそれがあることに現地を見て気がついて、審議会でそれへの対処方策の提案を詳しく述べたのだが、分かってもらえなかった。
 そこで、今回は現地に行って写した写真等を使って意見を言うことにした。

 議題となっている生産緑地の各地区について、それらの現地で撮ってきた写真、市の都市計画サイトにあるその場所の都市計画図画像、そしてグーグルアースのその場所の航空写真、これらをひとつにまとめて各地区の映像としてhtmファイルに編集したものを映写しつつ意見を言った。
 それなりに議論になったのは、現地を見ていない委員もこれでよく分かったからだろう。

 この映像を使うことで、審議会の 3日前にちょっとしたことがあった。
 審議会当日にいきなりでは事務局が戸惑うといけないから、事前にメールして
「9日の都市計画審議会で、わたしの意見を映像を使って発表しますので、PC,プロジェクターをつかわせてください。映像データはhtmファイルにして、USBメモリーで持ってゆきます。よろしくお願い申上げます」(原文のまま)
と、いちおう仁義を切った のであった。

 ところがそれに対する市の都市計画審議会担当からの返事が、こうである。(公用の通信文だから公開してもいいだろう)
「ご依頼の件ですが、今回の都市計画審議会は案件数が多く、内容も多岐にわたるため、伊達委員の御意見の発表については、審議会の進行状況と会長の判断になると思います。審議会委員として、案件の審議を優先させていただきますようよろしくお願い申し上げます」(原文のまま、挨拶文は省略)

 えッ、委員の発表を制限しようというのか、“委員として案件審議を優先せよ”とのお説教は何を意味するのか。未だ言ってもいないのに何を根拠にわたしの意見は案件審議ではないというのか。映像を使って説明するほうがはるかに時間の節約になるはずを、何を考えているか。事務局は映像で説明するのに、委員には制限するのはどういうわけだ。
 猛烈に腹が立ったので怒りの反論メールを出しておき、当日強行するしかないと腹をくくって行ったのだが、会場ではもめなかった。

 どうもわたしはいつも意見を言い過ぎると、警戒されているらしい。
 でも自信を持って言うが、現地を見れば子どもでも分かるようなつまらない質問だけしかしない、なんてことは断じてしていない。
 それは、横浜市の都市計画審議会サイトに公開されている昨年11月以来の議事録を読めば分かるはずだ。
参照→横浜市都市計画審議会

  そりゃまあ、つまらぬ質問だけで、しゃんしゃんと終わるほうが、委員も役人も、そして私も楽だろうけどね。
 ちかごろは、「愚直」を座右の銘にしようと心がけているのだ。都計審委員も、毎回毎回きわめて愚直に勤めることにしたのである。
 任期の終わりまであと3回あるだろうが、愚かなほど真っ直ぐに気を抜かないでやるぞ~、カクゴせ~いッ、と、自分に言い聞かせているのだ。
 参照→都計審は何を審議するのか   173横浜都計審一人相撲

197【横浜ご近所探検】ミニ開発地を行く

 
 この1週間ほど、横浜市の郊外住宅地をまわって、街の中にある農地を住宅地に替えたところばかり、いくつかのミニ開発をみてきた。
ミニ開発とは、農地を小さく分割した建売住宅のことである。50坪程度に分割するのだが、そのまま小さく分割しては細くなってつかいにくかったり、道路に面しない裏宅地もできるの。そこで色々と工夫をしているのであった。

 農地だったところに行き止まりのみぢかい道路を突っ込んで、これに沢山の敷地をぶら下がらせる。この道路が路地のようになって、それなりに面白い空間となっている。
 あるいは裏宅地となる敷地から、細い棒のような敷地を表の道路までつけているものもある。これを通称で旗棹宅地といっているのは、まるで敷地が旗と旗棹のような形だからだ。

 土地だけでなく必ずといっても良いほどに、そこには建物も建てて売っているのは、そうするほうが開発事業者の利益が見込めるからだろう。
 その建物は敷地の真ん中に配置されていて、庭らしいところが少ないのが特徴的である。どうも買うほうは建物ばかりを見て買うらしい。
 狭い敷地だが、それでもここに分譲共同住宅(いわゆるマンション)が建って、もっと敷地分割をするよりもいいだろうとも思う。もしも災害で倒れても、敷地は独立して一応あるから、権利者が多くて敷地が共有の分譲マンションよりは復旧はしやすい。

 農地の跡に2階建て賃貸共同住宅(いわゆるアパート)も結構あちこちに建っているのを見た。
 賃貸住宅経営を請け負う事業者がいるらしく、なんだかいずれも派手なコケティッシュなデザインの建物である。
アパートといえば、裏宅地にあって木造モルタル塗りで錆びた鉄骨外階段がついているという貧困イメージがあるが、今やなんとなくオシャレ気取りであるようだ。
 参照→都計審は何を審議するのか
 

2009/11/04

196【老い行く私】昔々山岳部員だった頃(その2)

 ちかごろは各種同期会が多いのは、お迎えが近いからであるに違いない。
 大学時代の山岳部の同期生8人が集まった。そのなかのひとりが、半世紀前の大学時代、雪の北アルプス剱岳での1か月近い合宿時の仲間の写真200枚を、デジタルデータ化してスライドショーで見せてくれた。みんな、半世紀たってはじめてみる自分たちの姿である。
 あの当時、同学年の山岳部員は12人、学生時代に遭難と数年前にガンの2人が他界した。

 1960年3月雪の剱岳で、そのころ流行のポーラーシステムなる登山方法で、総勢20名近い山岳部が、出発から1か月近くかかって剱岳頂上にアタック隊を送り込んだのであった。当時の山岳部憧れのヒマラヤ高峰を、そのうちに極めたいという国内での実験的登山方法である。
 プロジェクターから映写幕に映し出されるその懐かしくも遠い白銀の山岳風景、そしてその中の自分の半世紀前の姿を見て、おお、若~いよなあ、、、。
 あの画面の中の若くて貧しかった時代の自分と、こうやって都内の料理店の一室で但馬牛のすき焼きで一杯やりながら見ている今の自分をひき比べて、なんとも戸惑いを隠しきれず照れくさくなって、おお汚いカッコウだねえ、なんて仲間の姿をけなしあってしまう。

 今の登山の装備と比べると雲泥の差がある。着ているものもテントなども、なにしろU.S.armyの放出品だったのだから、どれもカーキ色である。
 あのころのU.S.armyは、朝鮮へベトナムへとアジアで戦い、不要になった大量の物資を市場に放出していた。寝袋は、これに戦死者を入れて日本に送ったときのものだと言われていたが、本当かどうか知らない。戦場と山岳とは、環境も装備も似ているのだろう。
 今はarmy姿は、ファッショナブルなオシャレになってしまって、実はわたしも3年前にヨーロッパアルプスツアーのときは、unicroで買った迷彩模様のズボンをはいていったものだ。

 それにしても、仲間が画像を見ながら、あれは何峰これは何尾根と言うのだが、よく覚えているものだと思う。
 当時の自分を思い出しても、そんなことを知っていたかどうかさえ思い出せないばかりか、自分の映っている画面を見ても、あれ、オレはあんなところに行ったっけ、なんて思うのだった。
 今思うに、かなりいい加減な気持ちで参加していたのだろう、反省。

 

山行きは大好きで、3年生だった1年間の記録を勘定してみたら、100日近く山に行っていたという昔の記憶がある。
 特に岩登りは好きだったので、高所恐怖症は全然ない。なにしろ大学本館の高い塔の上のパラペットをぐるりと歩いた経験がある。
 それなのに昨年のこと、越後の山村で茅葺屋根に登ったら足がすくんだのであった。高さに恐怖は無いのだが、ふらついたときにとっさの動作ができなくなっていることに気がついて退散、、、無念。

 それにしてもと又思うのだが、「これ誰?」「お前だよ」「え?」なんていってしまったがこの写真、え、あのころの自分はこんなに格好よかったのか??知らなかったなあウッヒッヒ!!、今頃になって出会ってびっくり、とてもとても我が姿に思えないので、ここに公開してしまうぞ。
それにひきかえ今のオレは、、なんて思わないように努力するしかないのである。
 参照→156昔山岳部