バックグラウンドミュージックとか企業ソングとか、音がもう街の中にも店の中にも溢れていて、例えば大型電器小売屋のサクラヤとかヨドバシとかの店は、つくづく嫌になるのである。企業ソングの流れない店を探していくようにしている。
スーパーマーケットにいくと、ゴリヨーゴリヨーというドラ声がスピーカーから流れているのもやりきれない。市場での生の声なら景気よくていいのだが、録音では同じ調子の繰り返しで、ただやかましい騒音である。
ところが最近は、バックグラウンドミュージックならぬ、バックグラウンドスメルって言うのかどうかしらないが、臭いというか香りがする店があるらしいのだ。
いや、食い物屋のにおいじゃないよ、わざわざ何か臭いをサービスのつもりで発生させているらしいのだ。
臭いと香りはどう違うのか。ウンコの臭いとは言うけど、ウンコの香りとは言わない。嗅ぎたくないのが臭いで、嗅ぎたいのが香りか。
どこだったか忘れたが、ホテルのエレベーターに乗ると、何かホノカに臭うというか香りがするのであるが、相客はいないから降りた乗客の香水の残り香かと思ったら、また乗ったときに同じなので、これはわざと発している背景臭(とりあえずこう言うことにする)であろう。
こんなのは困るのである。要らない音楽も困るけど、鼻から入る要らぬ臭いはもっと困る。
呼吸は止められないのである。そっちは香りでも、こっちには臭いなのだ。
まことに背景臭は迷惑せんばんである。
臭いと香りの境目はどこら辺にあるのだろうか。騒音と音楽の境目みたいに、わからないのだ。
エレベーターの中や電車で、きつい香水の女性と乗り合わせるのはたまらない。最近は外国人女性が多いからなおさらであるが、日本女も真似して多くなっている。
電車の席で隣に座った音漏れウォークマン男(最近は女も多い)には、音を小さくしてくれとしょっちゅう言うのだが、香水プンプン女にその臭いのレベルを下げてくれといっても、どこにも臭量調節ボタンが無いので、こちらが逃げるしかない。
今はなくなったようだが、昔、汲み取り便所に置くようにと、花の香のする液体の入った瓶を売っていた。
あれはジンチョウゲのようであったが、おかげで本物のジンチョウゲを嗅ぐと汲み取り便所を連想するようになってしまった。
香りとか臭いとか、息をする人間には防ぎようがないものは、できるだけないほうがよろしい。
食べ物のように、それが必要なときに必要な香りがあればこそ、美味いのだ。食ってもいないのに、しょっちゅうカレーの匂いがそこらじゅうに漂っていては、たまったものではない。
これを書くと嫌われるがといいつつ書いてしまうが、炊き立てご飯はウンコの臭いがする。もっとも、これを言ったのは深沢七郎であるとか、。
●追記(2010.01.07)
知らなかったけど、やっぱり危惧していることが起っている。
今日の朝日新聞朝刊に、「人口の香り 街を漂う」との見出しで、アバクロなるアメリカ安売り屋が銀座に店を出していて、その店は全館に人工の臭いを流しているのだそうだ。そしてその臭いをトラックで町中にふりまいて走っているのだそうだ。無差別テロ行為そのものである。
嫌だ嫌だ、公害、香害、臭害である。
どこやらの肉屋では、すき焼きの人口臭を流しているともある。勘弁してくれ~。
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