2011/09/29

502名作建築と道路拡幅

 新発田市のまちなかに、カトリック新発田教会という、アントニンレーモンドが設計した、小品の名作建築がある。
 木造のよさをみごとに表現して、和風に陥らずに教会の空間をつくりあげている。
 以前は前面の道が狭くて建築全体像は見えにくかったが、それなりに建築と植栽とがよい雰囲気であった。
 その前面道路が都市計画道路であったので、このたび行ってみたら拡幅されていて、教会建築がよく見えるようになっていた。

 実はまえまえから、その都市計画道路の拡幅が、教会の建物の軒先をかすめるように線引きされていて、そのまま道路ができると教会前の植栽はなくなって、名建築の雰囲気がなくなることを、教会や建築関係者は心配していた。
 それがこのたび行ってみたら、道路は予定どおりに拡幅が完了していたのだが、なんとその歩道の中に教会の植栽空間が保全されていたのである。
 どのような経緯が関係者の中であったのか知らないが、ひとつの解決策である。

 よくあるのは、道路予定地に信仰対象の大木があって、これを道路内に残したり、迂回することだが、民有地の植栽空間を名建築のために保全したのは、これが初めてかもしれない。
 できたら、教会側のペーブメントを歩道上にも展開できたら、もっとよかったとは思うが、それにしてもよくできたものだと、関係者に敬意を表する気持ちになった。
 レーモンドもあの世で喜んでいるかもしれない。

 レーモンドの功のついでに、罪のことをこちらに書いているの、どうぞ。

●関連ページ
◆新発田:同時多発の中心街再生策で5年後が楽しみhttp://homepage2.nifty.com/datey/sibata04.htm   
◆新発田-雪の城下町(2008)

●関連外部サイト(建築としてのカトリック新発田教会)

2011/09/28

501杉本博司演出の三番叟

 神奈川芸術劇場で、杉本博司演出による「三番叟」をみてきた。(2011.9.21)
 この劇場はつい最近オープンしたばかり。県立ホールが音楽系で、こちらは演劇系とするらしく、芸術監督は宮本亜門である。
 建物の建設に当たって発掘調査をしたら、日本の開国期からの外国人居留地の建物基礎、道路、配水管などの遺構が出てきたそうだ。
 古くは古墳時代の遺跡も出てきて、そのころも海ではなくて砂州があって人が住んでいたらしい。

 三番叟は能楽の「翁」の一部である。翁は、シテ方と狂言方が交互に出演するという、珍しい形で古式を伝えており、狂言方が担当するのが三番叟である。
 演じたのは野村万作と萬斎親子である。同時に出るのではなくて、万作が先に三番叟を舞い、後でまた同じ三番叟を萬斎が舞う。

 80歳と55歳の体力の差が歴然と出るのは仕方がないが、残酷なものである。
 前段の揉之段は激しい動きであるし、後段の鈴の段は不自然な姿勢を続けなければならない。
 万作は2階席でも聞こえる大きな息をついでいたが、萬斎にはそれがない。
 10年位前に、観世能楽堂で正月恒例の翁で、萬斎の三番叟を見たことがあるが、汗びっしょりになっていた。
 萬斎のうごきにはキレがあるが、万作には流れがあると見よう。
 万作が枯淡の境の動きであると見るほどの眼力は、わたしにはない。

 杉本演出は、ほぼ三番叟の舞だけに焦点を当てており、能舞台を平土間にすえて、後方からまっすぐに後橋掛かりをつける。
 万作の三番叟は、できるだけ古式に近くする意図らしく、目付け柱と脇柱が半分の高さで立っている。萬斎のときはこれをはずしてしまった。

 面箱の扱いなど幾分かの省略はあるらしいが、基本的には能楽の舞と囃子には新演出はなかったとみてよいだろう。
 新演出は、萬斎の舞台のときに、大地踏みにあわせて稲妻を光らせたことだろう。稲妻効果のためか、舞台は極端に暗い。これをよしとするかどうか、難しい。

 いつもの明るい能楽堂では、演者の動きや囃子につれられて、見ているこちらの自由な妄想を楽しむのである。
 それが何もない舞台の能楽の面白さである。
 ところが、こんな暗い舞台で稲妻が走っては、杉本の意図する世界にはいらざるを得ない。それが演出というものだろうが、そのわざとらしさが邪魔でもあった。
 いや、実は、そういう見方を楽しむべきであるのだろう。

2011/09/26

500カリフォルニア歌人

今日の朝日歌壇(朝日新聞朝刊2011年9月26日)に掲載の歌のひとつ。

仰ぎ見る万国旗は皆同サイズアメリカアフガン並びてはためく
(アメリカ)大竹幾久子

ことしの1月のこと、やはりこの人の歌が朝日歌壇に載ったことがある。

香港とスロバキヤから来し嫁と厨に立ちて雑煮を作る
(アメリカ)大竹幾久子

この歌人にわたしは面識がない。
だが実は、この人の夫と兄とわたしは大学寮の同期生であった。
のちに夫となる男とは、山岳部仲間として夏の日も雪の日も一緒に山の中のテントで暮らし、岩壁では一本のザイルにつながって身を託しあった。
兄なる男とは、つい先日も新潟で稲刈りなどして一緒に遊んでいる間柄である。http://datey.blogspot.com/2011/09/498.html
この二人が義兄弟になり、妹夫婦はカリフォルニアに住み着いたと、兄から聞いていた。この正月の歌を新聞で読んで、はて、もしかしたらと、その兄に尋ねて分かったのであった。

今日の朝日歌壇には外国からのもうひとつの歌が載っている。

原発にさよならをしたこの秋のドイツの空の風みどり色
(ドイツ 西田リーバウ望東子)

これらの歌には、期せずしてだろうが、地球をひとまわりする想い、あるいは人間の未来に対する思いがこめられている。
ほかの入選歌には、そのようなことを歌うものはひとつもない。
故国の地を離れて歌うときは、人はグローバルに思いをはせるものだろうか。
と思ったが、いつもそうではないだろうから、これは選者の採りあげるときの視点であろう。

さて、来月末には歌人が夫とともに故国にやってくると、その兄が教えてくれたのは、一昨日のことであった。楽しみなことである。
これはその挨拶ブログである。

●参照⇒648日本人は5度も大被曝しても原発を動かす

2011/09/23

499天国へのエレベーター

 横浜駅前にある百貨店に、こんな表示のエレベーターがあります。
 このまま乗っていると、屋上を通過して天国に連れて行ってくれます。

2011/09/22

498中越震災7年目の山古志と法末

 久しぶりに山古志を訪ねた。この前は中越震災から4年目の2007年の秋であった。ようやく一般人も山古志に入ることが許された年であった。
 そのときは2日間にわたって10数kmを歩いて、被災と復興の様子をながめたのであった。そのことは参照→http://homepage2.nifty.com/datey/yamakosi.htm

 同じところを4年ぶりに歩いて、その後の様子をみる予定であったが、9月なかばというのに猛烈な暑さで、熱中症寸前になって予定の半分も歩けなかった。
 詳しいことは、まちもり瓢論に書くことにするが、少ないながら生活の場が戻っていることがうれしく、そして山古志闘牛が復活していたのがおどろきであった。

 歩いているときに、偶然にも今日は闘牛が開催と聞いて、次にまた来ることはなさそうだと考えて2000円を支払って見物。
 1000人は入りそうな野外のアリーナである。うちはなしコンクリート表現で、なんだかモダンなデザインである。
 お昼過ぎからの開演で、16組の闘牛である。2頭の牛が頭と頭、顔と顔、角と角を合わせて、ぐいぐいと押し合う。牛が巨大なので迫力がある。
闘牛の動画http://www.youtube.com/watch?v=pb19ndTlThk

 勝負に賭けるのかと思ったら、それは一切なしで、原則として引き分けにする。それでも見れば勝ち負けの分かる場合もある。

 どうもこの闘牛は、元は牛飼いの遊びが、今は金持ちの道楽になっているらしいようだ。山古志の集落で育てているオーナーもいるが、東京とか新発田とか岩手だとかにいるオーナーの牛も出てくる。肉牛とあわせて闘牛も育てているらしい。
 だから観光の呼び物ではあるが、元来は地元の人々や牛の飼い主が楽しんでいるらしい。ヤマコシハルウララなんて名の牛もいれば、大勝力なんてのもいる。
 何番か見て途中で会場を出て、バスで小千谷にくだり、法末からの迎え車にのった。

 次の日は一転して寒いような雨となった。朝から雨中で稲刈り、ハサかけの労働。暑いよりは助かるので、けっこう能率が上がった。
 今年は、小正月に来て賽の神の行事、5月に来て田植え、今回の稲刈りで3回目である。
 2005年から震災復興の手伝いでやってきだしたが、いちじは月に2回もきていたものだたが、もう疲れてきた。
 稲刈りも体力がついていかなくなったらしい。休み休みに怠けてやっても、腰が痛い、足が痛い。
 震災から7年、集落の人たちも老いたし、わたしも老いてきた。人口は減少しても増えることはない。

 さて、7年先の三陸は?、フクシマは?

2011/09/15

497なんと1億立方メートル

 2011年9月15日の朝日新聞朝刊に、つぎのような記事がある。
「東京電力福島第一原発事故に伴い、放射性物質の除染対象になる可能性のある地域は、最大で福島県全体の7分の1に当たる約2千平方キロに及ぶことが専門家の試算で分かった。除染土壌の体積は東京ドーム80杯分に相当する1億立方メートルに上る計算だ」

 毎時1マイクロシーベルト以上の分布域が約2千平方キロ、この範囲の地表を深さ約5センチまではぎ取ると、体積は約1億立方メートルになる、という計算である。

 全域をはぎとるってことはできないだろうから、山の方はやめとくことになるかもしれない、とも書いてある。
 でも、山ははぎとらなくても、よいのだろうか。山から農地へ町へと水はながれくるが、それはセシウムを含まないのか。
 はぎとったらはぎとったで、保水力がなくなるから洪水になりやすいだろう。
 どこからどこまで除染したか、地上に線を描くのかしら。立ち入り禁止区域だらけの地域で暮らすなんて、う~む。

 1億立方メートルって,どれほどの大きさなんだろうか。
 10メートルの高さにつむとして、広さ1000ヘクタール、3.3キロメートル角の土地の広さになるが、余裕も入れると4キロメートル角ぐらいになるんだろう。

 これだけの核毒を含んだ土などを、トラックで福島第1原発の敷地に運搬てのも、えらい大変だなあ。沿道の人たちは、たまらんだろうなあ。
 福島第1原発の敷地が足りないのなら、その周辺の土地を東電が買い足して、核毒の丘を造るのであろう。そのうちに木が生えて核毒の森となる。
 だが、そこから流れ出る水に含まれるセシウムなる核毒は、太平洋に直接注ぎこむのだよなあ。

 考えるだけで頭が痛くなるのは、わたしがドシロウトだからかしら。
 だれか、そんなバカなこといってと、哂って教えてください。

(追記110915夕方)
 朝日新聞の夕刊に、こうでている。
「東京電力福島第一原発事故による放射能汚染が新たな環境問題として浮上している。冒頭のスピーチで細野豪志原発相兼環境相は、被災地の除染について「政府として不退転の決意で臨む。経済性を度外視してでも取り組む」などと述べ、環境回復への決意を表明した」

 大臣の個人的決意はともかくとして、「経済性を度外視してでも」って、どういうことなんだろうか。
 そもそも核毒の除染に、経済性なんて視点があるのか? 
 そんなもん赤字にきまってるだろう、もちろんその赤字は東電が背負うべきものだよね。
 たとえば集めた核毒から、再利用エネルギーを取り出す方法が、あるんだろうか?
 
 除染に経済性なんてものが、あってたまるかってんだ。
 これって、原発が経済的だといってるのと同根の思想だよ。
 つまり核エネルギーをコントロールすると誤解していたことが分かったのに、まだ核毒をなくす技術があるんだというのである。
 ほんとうだろうか。

2011/09/14

496核毒汚染地域になぜ戻るのか

 どうにも、わからないことがある。
 福島第1原発から発射した核毒は、田畑に山林に学校に住宅にと、ふりそそいでいるのだが、これを除染(これは除洗かしら)といって汚染した毒を除くのだそうである。
 除染が必要なことはわかる。そこからさきがわからない。だって、その場所で除いた核毒は、いったいどこに行くのだろう。

 たとえば水で洗うとして、その水の流れた先に毒が移転するだけだろう。その移転先をまた除染して、そこから移転先をまた…、ようするにイタチゴッコである。
 川から太平洋へ行くのかしら。川の汚染、海の汚染が大変なことになる。海の除染なんでできるのかいら。
 
 今朝の朝日新聞に、こうある。
「福島第一原発から半径20~30キロ圏の「緊急時避難準備区域」を抱える福島県の5市町村が、区域の解除に向けた復旧計画をおおむね完成させ、近く国に提出する。各市町村は住民が帰還を完了する時期について、来年3月末を軸に調整している。とはいえ住民が戻るには放射性物質の除染が不可欠。自治体側は「すぐには見通しがたたない」と不安も抱えている」

 おなじく、こういう記事もある。
「筑波大の恩田裕一教授や気象研究所などのチームは6~8月、計画的避難区域に指定されている川俣町山木屋地区の3地点の森林で土壌の汚染度や大気中の放射線量を調べた。
 この結果、土壌のセシウム134と137の汚染度の合計は、広葉樹林が1平方メートルあたり71万ベクレル、杉の若齢林が47万ベクレル、壮齢林は91万ベクレルと、チェルノブイリ原発事故での「強制移住」レベル(55万5千ベクレル)の汚染だった」

 このような濃度の核毒が森林にあるなら、もちろん田畑にも、住宅地にもある。
 チェルノブイリでは強制移住したレベルの地域を、フクシマでは除染して復旧するのだろうか。
 もうちょっレベルが低い(らしい)「緊急時避難準備区域」では、除染して復旧するらしいが、これって本気だろうか。

 まず第1の問題は、どうやってその広大な地域をくまなく、除染作業を行うことができるのか。森林は丸坊主となると水害が起きるだろうし、田畑は表土が命なのに洗ったり他に持っていってしまったら作物ができなくなるし、住宅地や市街地は私有地にどうやって対応するのか。

 第2は、そうやってとりのぞいて溜まった膨大な量の核毒の蓄積するものを、どこにもっていくのか。そんなものを持っていけるところは、いまのところたった一箇所、福島第1原発敷地のみである。そんなにひろいのかしら。

 第3に、そんな大量の猛毒ばかりの中で、だれが除染作業に働くのだろうか。それをやるべき人は、発毒責任のある東電の社員たち(株主たちも)だろう。

 第4に、その期間である。そんな広大な地域をすべて洗うとかチリなど取り除くとか、いったい何年かかるのだろうか。その間に避難している人たちは、もうひとつの生活を築くしかないから、除染後にもどる人がどれくらいいるだろうか。

 第5に、その膨大な費用である。これは当然のことながら、東電と株主とですべて負担するべきである。

 どうもわからない。
 しろうとかんがえでは、現実にはとてもできることではないような気がする。
 故郷を捨てがたい人々によりそうべき政治や行政の立場からは、除染して復旧するといわなければならないことは、よくわかかる。
 しかし、それは、問題を先のばしにするだけであると、わたしは思う。
 どこかで除染をあきらめて完全撤退、どこかは除染するが再居住も撤退もあるという、線引きをせざるをえないだろう。

 そして積極的撤退の政策を手あつくすすめるべきであると、わたしはおもう。
 それは人口減少時代の日本の居住政策のありかたと、共通の大問題の課題である。

2011/09/13

495福島第1原発は再稼動するらしい

 今朝に朝日新聞に、福島原発の事故現場で働く人たちのことで、労働災害にガンも加えるようにするという記事があり、そこに原発の「復旧作業員」なる言葉があり、オヤッと思った。
 福島第1原発では「復旧」作業をしているのかい?、えっ、まさかそんなことあるまい。

 で、新聞の「復旧作業」をネット検索してみたら、あるある、ずっと使ってるんだ。
 たとえば、「福島第1原発の復旧作業に当たった40代の男性作業員」(日経8月30日)、「お盆期間中も福島第一原発での復旧作業は続いており」(朝日08月11日)。
 初め頃はどうだったろうかと見たら、「中断していた電源復旧作業を再開した」(朝日3月24日)とあって、これなら電源だからあたりまえに分かる。
 それが今は「福島第1原発の復旧作業」であるから、これはもう原発を震災前のして再稼動するための作業しているのである。

 そうだったのかあ、しらなかったなあ、わたしはてっきりもう福島第1原発の復旧は、ありえないことと思っていたんだよなあ、わたしはナンとおバカなんだろう。
 こうはっきりと、再稼動に向けて作業していると、たびたび報道されているのに、ちっとも気がつかなかったよ~。
 こわ~い。
 まさか、新聞屋が復旧って日本語の意味を知らないってことは、あるまいなあ。

2011/09/12

494死の町への地図

 怖い地図である。こんなにも核毒が降り積もっているのだ。
 チェルノブイリの前例を思えば、この赤と薄赤の範囲は、死の町になるのだろうなあ。
 当然、そこの関係権利者たちには、東電が十分な補償金を支払い、移転代替地も確保して、手厚く対応するにちがいない。当たり前でしょ。

 この地図は、9月11日時点の福島原発から出た核毒の分布状況であり、群馬大学の早川由紀夫さんのブログに載っている。
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-418.html
http://gunma.zamurai.jp/pub/2011/0911gmap06.jpg
 こう注意書きがある。
「転載のルール:新聞とテレビへの転載は固くお断りします。これは9月10日鉢呂大臣を辞任に追い込んだ不当な報道に対する抗議です。非商用目的には自由にご利用ください。無料です」

●参照→核毒の森と海
http://sites.google.com/site/dandysworldg/kakudoku-woods

2011/09/10

493国際大相撲

 今朝の新聞に大相撲番付なるものがあり、相撲取りの一覧表がある。
 みれば、上位の横綱と大関はモンゴル人2人、エストニア人とブルアリア人が各1人である。

 で、下の方を見ると、グルジア人3人、モンゴル人6人、それにブラジル人、チェコ人、ロシア人が各ひとりである。
 おお、なんとまあ、国際的であるなあ。
 それにしてもモンゴル軍の席捲ぶりはすごいものがある。

 1274年と1281年にモンゴル・高麗連合軍が日本に攻めてきて、2回とも日本軍に負けて逃げていった。
 あれからモンゴルは雌伏720余年、21世紀となってついに日本軍に勝って見事に復讐を遂げたのである(らしい)。
 今度は高麗ではなくて、モンゴル・東欧諸国連合軍である(らしい)。
参照→http://datey.blogspot.com/2008/11/blog-post_28.html

2011/09/09

492福島原発周辺は死のまち

「鉢呂経済産業相は9日の閣議後の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の周辺自治体を野田首相らと8日視察した感想を述べ、「残念ながら周辺町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死のまちという形だった」と発言した。
 経産相は「福島の再生なくして、日本の再生はない」とも述べたが、原発事故やその後の対応で政府の責任が問われる中、担当閣僚自身が周辺地域を「死のまち」と表現したことは波紋を呼びそうだ」(YOMIURI ON LINE 2011.9.9)
 asahi.comもこう結ぶ
「原発事故の被災地を「死のまち」と表現したことは今後問題になる可能性がある」

 こういう記事は、どういう意図で書くのだろうか。
「波紋を呼びそうだ」とは、だれが波紋を投げるのか。
 もうだれかが波紋を起こしたのなら、そう書くべきだろう。まだなら予断記事だ。
 どうも思うに、あの大臣はけしからん、と、新聞記者が世の中を扇動しようとしているとしか読めない。

 福島原発周辺が死のまちなのは、そのとおりであって、そう言われて怒るとしたら東電だろうなあ。
 地元の人が大臣からバカにされたと思うものだろうか? よくぞ言った、そのとおり、それをやった東電けしからん、そう思うような気がする。
 あ、そうか、原発推進派の読売新聞は、東電の悪口になることをいうと怒るんだ、そうにちがいない。
 でも朝日は脱原発派だよなあ、??

(追記 110910)
「鉢呂吉雄経済産業相は9日夕の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村について「死のまち」と表現した自らの発言を撤回し、陳謝した。この発言をめぐり、野田佳彦首相は同日、「不穏当な発言」として謝罪と訂正を指示。原発事故の被災地も反発している」(2011年9月10日朝日新聞)

「9日午前の記者会見で、福島第一原発周辺について、「人っ子一人いない。まさに死のまち」と表現したことについて、同日午後の記者会見で「被災地の皆さんに誤解を与える表現だったと真摯(しんし)に反省し、表現を撤回し、深く陳謝申し上げる」と謝罪、発言を撤回した」(2011年9月10日03時03分 読売新聞)

 ふ~ん、謝っちまったんだ。メディ屋にいじめられたらしい。新大臣はあら捜しされるのは仕方ないのか、ここで突っぱねるとごたごたと政局にかかわるから、本音じゃなくても謝らざるを得ないだろうなあ、気の毒に。

 ところが謝らない人がいる。
 武田邦彦・中部大学教授が、読売テレビ(大阪市)の番組に出演して、こんなことがあったそうだ。
「4日午後に放送された「たかじんのそこまで言って委員会」で、「東北の野菜とか牛肉を食べたらどうなるの」という小学生の質問に、「青酸カリがまかれた」「青酸カリをのけてから植えてくれ」「東北の野菜を食べたら健康を壊す」などと発言した際に一関市の名を挙げた。ほかの出演者が「発言を取り消すべきだ」と言ったが、「取り消しません」と応じていた」(2011年9月10日朝日新聞)。

 その後一関市長からも抗議があったけど、「分かりやすく言ったまでのこと」と、取り消しや謝ったりはしないとのこと。そりゃそうでしょう。
 ここが政治家と学者の違いであろう。政治家はつらいね。
 それとも鉢呂さんて、もともと変な人で、なにかボロをだすだろうとメディ屋がてぐすねひいて待ってたのに、引っかかったのかもなあ、。

(また追記110910夜)
 あらら、とうとう辞めちまった。鉢呂さんてどんな人か知らないが、民主党は後にもっとよい人材がいるのかしら?
 それにしても、今後は原発事故発言はうっかりとはもちろんだが、思い切ったことも言えないことになったな。原発事故には思い切った政策が必要なのになあ。
  悪いのは東電なんですよ、敵を間違えないように、忘れないようにね。

(またまた追記091112)
 これから鉢呂さんの後任人事に誰をすえるか、野田さんもあたまがいたいことだろう。
 原発もTPPも積極推進する人にせよと、産業界から圧力がかかっているに違いない。
 そして、そういうひとを任命するにちがいないよなあ。

(みたび追記091113) 鉢呂さんの後任は枝野さんにきまった。この人だけはわたしも顔を知っているのは、ふだんみないTVを原発爆発のあたりはのニュースでよくみた政府の報道官?だったな。
 少なくとも原発のことは、いやおうなくよく知った人だろうってことぐらいは、わたしでも分かるが、この人の原発TPP政策への考えはどうなんだろうか?

491シニア・アダルト商品はいかが?

 なんだかあれもこれも食いものが核毒に犯されていく。
 地域的にも品数的にもどこまで広がるのか見当もつかないし、その核毒がなにから来たのかよく分からなかったりするのだから、これはもう風評被害なんてものではなくて、純粋に被害そのものである。

 今朝の朝日新聞に放射線防護学者の安斎育郎さんが語っている。
「71歳のじいさまである安斎育郎が、汚染したものを多少食おうが、20年後にがんになりますといわれても、ほかの原因でたぶん死んじゃっているでしょう」

 そうなのである、前から思っていてこのブログにも書いたが、年よりこそは福島核毒地域に救援ボランティアに行くべきだとね、と。
 そう言いながらわたしはいまだにいってないのだが、。
 そこでどうだろう、70歳以上には、東電から交通費の半額補助をするのである。これなら喜んで行くものが多いだろう。まあ、手足まといも多くなる心配もある。

 そしてまた考えた。
 福島振興のために、核毒汚染食品を年寄りが積極的に買って食うのである。
 これも70歳以上という身分証明書を見せると売ってくれるようにする。70歳未満には売らない。
 これもできれば、同じようなものの市価の半額くらいにしていただけると、わたしはまことにありがたい。もちろん後半分は東電が負担するのだ。
 つまり核毒シニア・アダルト商品である。ほかにもありそうだ。

2011/09/04

490内閣支持率調査って?

 日経67、読売65、産経62、毎日56、朝日53
 なんの数字かといえば、今日の各新聞にある世論調査で、野田内閣を支持すると答えた人のパーセンテージである。同じ日に調査すると、互いに協定しているのだろう。
 多い順に並べてみたが、これって新聞社としての内閣支持度合いと一致しているのだろうか。
 まあ、こんな数字はどうでもよろしい。だって、これまで一度もオレところに調査に来てないんだもん、本当に調査してるんかい、。

489核毒の森と海

 1986年4月26日にウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号炉が爆発して大量の放射線物質つまり核毒をまき散らした。
原発から30km圏や300kmも遠くのホットスポット地域が永久に居住禁止、消えた村や町は500にもおよび、40万人もが故郷を追われたそうだ。
 goole earthでその今の様子を空から見た。プリピャチ市に原発のためのニュータウンがあったのだが、もちろん今はゴーストタウンである。
 住棟の間は森となっている。まさに「核毒の森」である。
 もしもこれが雨量も多い温暖な日本なら、もっと緑の生い茂る深い森になっているはずである。
●参照
・プリピャチ・ゴーストタウン
http://static.panoramio.com/photos/original/42440870.jpg
・チェルノブイリ原発石棺
http://static.panoramio.com/photos/original/41850379.jpg
・プリピャチ・ゴーストタウンとチェルノブイリ原発石棺
http://static.panoramio.com/photos/original/13702819.jpg

 同じように福島第1原発のあたりも空からのぞいてみた。
 福島第1原発事故の今後はどうなるのだろうか。 福島第1原発事故の今後はどうなるのだろうか。
 都市や地域の計画をやっていたわたしには、原発から発した核毒汚染地域の今後である。多分、永久に居住禁止になるだろう。
 この写真の範囲は、多分、ゴーストタウンとなり、20年後は深い森になっているのだろう。


●続きの全文はこちら
http://sites.google.com/site/dandysworldg/kakudoku-woods

2011/09/02

488対日戦勝記念日の新聞広告

 今朝の朝日新聞の全面広告に、当時の極東指令官マッカーサーの姿が載っている。コーンパイプをくわえて、厚木飛行場に着陸した飛行機から降りようとする。
 これは1945年8月30日であった。

 日本では8月15日を終戦記念日というが、太平洋の向こうのUSAではこれに対応する日は9月2日で、対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)というそうだ。
 つまり日本がミズーリ号の甲板で公式に降伏文書に調印した1945年のその日なのだ。
 そう、今日である。対米敗戦記念日である。

 この広告はなにを言おうとしているのか。
「いい国つくろう、何度でも」
 下の端っこに「宝島社」とあり、文字はこれだけである。宝島社とは出版社のことだろう。
 多分、震災復興への期待を込めて、あの悲惨な戦争から復興したのだから、今度もがんばろう、なんて言ってるつもりなんだろう。

 極東軍司令官だったマッカーサーは、1942年3月にフィリピンから日本軍に追われて、「I shall return」と悔しさを込めて言ってオーストラリアに逃げ出した。
 それから3年半の戦いの後、自分を追った敵地日本に勝利軍としてリターンしたときの、得意の姿が今日の広告である。

 この後、すぐに横浜に行き、都心のホテルニューグランドに居を構える。
 極東軍司令官として彼は横浜都心を無差別爆撃により破壊していたが、こんどは連合国軍最高司令官として横浜都心部などを広く接収して、占領軍の基地とした。
 横浜は戦災の上に占領が重なったが、さらに1950年から始まった朝鮮戦争の連合軍基地ともなり、マッカーサーのおかげでその復興は他の戦災都市と比べて著しく遅れざるを得なかったのであった。
 
 あの頃を知る横浜市民にとっては、この写真に復興をかけるのは複雑な思いであろう。同じ思いは沖縄県民もだろうか。