2015/03/16

1068【終活ごっこ】たくさんの蔵書の一部を知人に貰っていただいたがまだ残りの方が多くて悩みは尽きない

 人間を永くやっていると、いろいろものがたまる。わたしには宝物や資料でも、他人にはゴミであるものばかり、今ではそれらをどうやって捨てるか、悩んでいる。
 わたしがボケたり死んだりしたら、家族は迷惑なだけである。特別に家族思いでもないが、気にはなる。

 インタネットのわたしのサイト「まちもり通信とブログ「伊達の眼鏡」には、わたしの執筆したページが、もういくつあるか見当がつかないほど、溜まりに溜まっている。
 しかし、後に迷惑かけることはないように、公開を前提の内容であるし、物体でもないから、後々に問題はないだろう。

 一番の困りものは、本、書籍の類である。ゴミではあるがゴミではなくて、溜まりに溜まっていて、都市系、建築系、歴史系、文学全集などなど、いったい何冊あるのか見当がつかない。
 数えるのが面倒なのでやったことはなが、1000冊以上は確かだろう。これでもこれまでの4回の引っ越しで、そのたびに整理したのだが、いつの間にか増えて溜まってくる。
 一昨年から、今後は本を一切買わないと固く決心したので、そこからは増えていないはずである。

 古本屋に来てもらって処分するしかない。それでも、古本屋も持って行かないものも、たくさんあるような気がする。
 うちに一冊も本がなくなったら、せいせいするだろうか、それとも寂しくてたまらないだろうか、どっちだろうか。
 若いころは、本を買うのが大好きであり、家の本棚の場所がなくなるのが大悩みだった。
 50歳で自分のオフィスを持ったとき、これで本棚の心配なく本を買うことができると、嬉しかったものだ。今の悩みなど想像もできなかった。

 先日のこと、face bakaに、知人が探していたある雑誌を、古本屋を見つけて買ったと、喜んでいる記事を載せているのを見た。
 その雑誌をわたしは持っているだから、言ってくれれば差し上げたのに、と思ったのだった。

 そこで、その知人にわたしの本棚の一部(全体の5分の1くらいか)の写真つきで、この中でご入用の本があれば、喜んで贈呈しますとメールを送った。
 迷惑かもしれないと思ったのだが、返事が来て写真の本に印をつけたので、それをほしいと言ってくれたのである。

 ありがたやと、さっそく抜き出して送るための箱詰めしたら、3箱にもなったのには驚いた。
 だって、抜き出したあとの本棚は、まだまだたくさんの本が詰まっているからだ。
 これで200冊もあるのかと数えたら、たったの73冊で、これまた驚いた。
知人に送り付けても、残りの本の方がはるかに多いばかりか、これでも全体の5分の一ほど
73冊を箱詰めしたら3箱にもなったのに驚いた
 
箱詰めしていて、こんなボロ本を送りつけていいのかなあと、思うものもあった。ひとつは「共同研究 転向」(思想の科学研究会)(3冊)である。すっかり紙が茶色になっている。
 もう一つは、二川幸夫・伊藤ていじによる「日本の民家」(2冊)である。この本のことはここに書いた
 わたしは本を集める趣味はなくて、資料としか考えていないので、現物には愛着はないが、どちらも1960年代の若い貧乏なころに無理して買ったことを、ふと思い出させてくれた。

 さて、まだまだ本はあるなあ、どうしようかなあ、また誰かに本棚お見合い写真を送って、無理やりお嫁入りさせるかなあ。
 実は、未読本がかなり多いので、それを読んでから処分したいのだが、未読本の読破終了前に、ボケが来るだろうから、もういいのだ。早くなんとかしなくっちゃ。
 終活ゴッコは、まだまだ続く。



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