わたしがボケたり死んだりしたら、家族は迷惑なだけである。特別に家族思いでもないが、気にはなる。
インタネットのわたしのサイト「まちもり通信」とブログ「伊達の眼鏡」には、わたしの執筆したページが、もういくつあるか見当がつかないほど、溜まりに溜まっている。
しかし、後に迷惑かけることはないように、公開を前提の内容であるし、物体でもないから、後々に問題はないだろう。
一番の困りものは、本、書籍の類である。ゴミではあるがゴミではなくて、溜まりに溜まっていて、都市系、建築系、歴史系、文学全集などなど、いったい何冊あるのか見当がつかない。
数えるのが面倒なのでやったことはなが、1000冊以上は確かだろう。これでもこれまでの4回の引っ越しで、そのたびに整理したのだが、いつの間にか増えて溜まってくる。
一昨年から、今後は本を一切買わないと固く決心したので、そこからは増えていないはずである。
古本屋に来てもらって処分するしかない。それでも、古本屋も持って行かないものも、たくさんあるような気がする。
うちに一冊も本がなくなったら、せいせいするだろうか、それとも寂しくてたまらないだろうか、どっちだろうか。
若いころは、本を買うのが大好きであり、家の本棚の場所がなくなるのが大悩みだった。
50歳で自分のオフィスを持ったとき、これで本棚の心配なく本を買うことができると、嬉しかったものだ。今の悩みなど想像もできなかった。
先日のこと、face bakaに、知人が探していたある雑誌を、古本屋を見つけて買ったと、喜んでいる記事を載せているのを見た。
その雑誌をわたしは持っているだから、言ってくれれば差し上げたのに、と思ったのだった。
そこで、その知人にわたしの本棚の一部(全体の5分の1くらいか)の写真つきで、この中でご入用の本があれば、喜んで贈呈しますとメールを送った。
迷惑かもしれないと思ったのだが、返事が来て写真の本に印をつけたので、それをほしいと言ってくれたのである。
ありがたやと、さっそく抜き出して送るための箱詰めしたら、3箱にもなったのには驚いた。
だって、抜き出したあとの本棚は、まだまだたくさんの本が詰まっているからだ。
これで200冊もあるのかと数えたら、たったの73冊で、これまた驚いた。
知人に送り付けても、残りの本の方がはるかに多いばかりか、これでも全体の5分の一ほど |
73冊を箱詰めしたら3箱にもなったのに驚いた |
もう一つは、二川幸夫・伊藤ていじによる「日本の民家」(2冊)である。この本のことはここに書いた。
わたしは本を集める趣味はなくて、資料としか考えていないので、現物には愛着はないが、どちらも1960年代の若い貧乏なころに無理して買ったことを、ふと思い出させてくれた。
さて、まだまだ本はあるなあ、どうしようかなあ、また誰かに本棚お見合い写真を送って、無理やりお嫁入りさせるかなあ。
実は、未読本がかなり多いので、それを読んでから処分したいのだが、未読本の読破終了前に、ボケが来るだろうから、もういいのだ。早くなんとかしなくっちゃ。
終活ゴッコは、まだまだ続く。
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