【未来が明るかった頃(3)】からつづく
このブログにいま連載しているのは、大都市郊外に戦後新開発の住宅地が明るい未来を夢みていた、ということだが、今朝の新聞(2015年3月30日朝日新聞東京版)にその未来の今の話が出ている。
鉄道沿線開発地にやってきた未来の今の現実は、「支えます 人生の終着駅」「私鉄各社、葬祭業ヘ進出」「沿線開発の宅地 高齢化進む」の見出しが物語っている。
鉄道屋が葬祭業を始めたというのだ。
鉄道業者は、戦後復興期から高度成長の人口増加時代に、若い世帯の住宅需要に対応して、沿線新開発住宅地を供給していった。
そして今、人口減少と高齢化時代となり、鉄道事業者は高齢化したその住民たちのあの世行き儀式需要の増加に対応して、葬祭業を始めているのだそうだ。
沿線開発の先駆者である阪急が、さすがに葬祭業進出が一番早くて1997年のこと、そのあと京急、東武、南海、京王が続いているとあり、このブログで今話題にしている近鉄はまだらしい。ただし、この新聞記事の正確度は分からない、なにしろすぐ謝る朝日新聞だからね。
なんにしても、そういう「明るかった未来」が、このような形で来てしまった。
この新聞記事に社会学者の原武史さんのコメントが載っていて、「今後は霊園開発にも手を広げなければならなくなるだろう」とある。これが、これからの先の明るい?未来であることが、なんだか悲しいような、当たり前でもあるような。
駅前葬祭場が当たり前になる時代になって、この次は駅前火葬場ができて、駅前墓地ができるという、当たり前の未来を描くことができる。
だが、更に人口減少が進むと、もう鉄道沿線には、人間(死んだ人間も含む)の住む場所はいらなくなるだろう。
となると、そのうちに、いらなくなった駅前住宅地や墓地を、駅前山林や駅前田畑に「再開発」する時代が来るのだろう。材木や野菜を鉄道で出荷するのに便利である。
そうだ、昔は砂利とか肥料(人糞)を運ぶ鉄道があったよなあ、そうか、未来は過去につながるんだなあ。
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