やってきた子供も若い親たちも、高度成長する日本の未来のドリームを夢見て遊んだものだった。 うちの子も行った。
でも、そのドリームはいつまでもは続かない。行き着くべきは老いと病の人生であり、果ては死であるのは仕方ないこと。ドリームランドも20世紀とともに廃園した。
そして今、低度成長期の21世紀初め、ドリームランドが去って行った跡にやってきたのは、薬科大学と墓苑である。
人々の老いと病を癒す薬を研究するところと、その医薬でもストップできずに逝った死者たちが夢見るランドとなったのである。
かんがえてみると、その土地利用の時代を表すことの的確なことに、ちょっと驚くのである。
実は、昔に遊びに行ったその子が今は大人になって、その墓地の一角にわがファミリーの墓をつくった。まあ、近いうちにわたしが入る予定だが、自分のことなのに正確な日程の見当がつかない。
今日の朝日新聞朝刊東京版に、その墓地の記事が出ている。公園墓地として、抹香臭いのを排除することにして、線香や卒塔婆は禁止であるし、墓石デザインも決められている。
線香を焚くのを禁止は宗教儀式の排除でけしからんという声もあるそうだが、わたしはあの臭いはごめんこうむりたい。
わが入る墓の先住人たちは、神社の宮司とその家族だから神道である。線香には関係ないのだ。わたしは無宗教だからなおさらである。
神道では墓に榊を供えるので、近くの花屋で買って200円余、ところが普通の花束だと1000円余である。神道は安くついてよいものだ。もちろん戒名なんてものもない。
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