甲州では韮崎で、桃畑に菜の花の取り合わせが、まさに桃源郷であった。
ちょうど雨が降っていたのだったが、しかしそれはそれで、原色の桃色が雨にかすんで、黄と桃のおぼろなたゆたう風景もまたよかったのであった。
実はここは生産の世界である。台地上の桃畑では、花摘みの最中だから、花見をする身には惜しいような、でも花摘みするから美味い桃が食べられる、まあ仕方ない。
でも、桃畑のまわりに菜の花を植えて、畑を飾っているのが嬉しい。
雨の花見もよろしい。
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信州では高遠の桜である。高遠城跡公園の小彼岸桜は昨日の雨で半分散っていたが、それでも花見観光客は大変なものである。
まさにお花見産業が成立しているのだが、今年は花の季節が短くて、ちょっと不景気だろう。
今年はそこからちょっと離れたところにあるしだれ桜を観にいった。これまた有名らしく、団体バスがどどっとやってきては、さっと帰る人の波が押し寄せているのだった。
そのしだれ桜はちょうど満開である。数本があまり近づかない位置で咲いているのがよろしい。
墓場で咲く桜がなんと言ってもいちばんよろしい。花の下には死体が埋まっているといったのは、坂口安吾だったか、そんなことを思いながら、石塔群の中をうろうろするのであった。
なかに一本、このあたりの親分格の巨大しだれ桜が、花の入道雲を大きく広げている。う~む、どうもその姿は、ピンクの縫いぐるみのモンスターに見えるのであった。
やはり日本の桜花は、散りゆくものの儚さを予期させる、どこか楚々とした姿のほうがよろしい。過ぎたるは及ばざるが如し。
小彼岸桜がめったやたらの方向に枝を出し花をつけるのに比べて、しだれ桜は重力方向に垂れ下がる秩序観があるので、花の下の狂気が薄れてちょっとだけ安心させられるのだった。
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中越では、いつも行く法末集落である。今は山菜の盛りであるが、今年は雪が少なくてすぐ解けたために、山菜の時期がピンポイントになってしまったそうだ。
拠点とする家の庭に生えてきたウドを今年もいただいた。もうすぐタケノコである。
同じく庭のユキワリソウの花は終わっていたが、ミズバショウが盛りだった。
ブナの木の若葉が萌黄色の炎となって空を覆い、それはそれは美しい。
尾根筋のブナの森の中でじっとしていると、山はなかなかに喧騒である。風のそよぎに、幾種類もの鳥が次から次へとやってきて、まるで会話をしているように鳴きつづける。
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