2009/04/02

115【歴史・文化】木喰微笑仏の微笑とは男女交合のことであったか

「微笑(みしょう)とは、仏教用語で男女交合の法悦の極の相を言うこともある」
 そう教えてくれている伊藤勇さんとわたしの目の前には、木喰上人がつくった「微笑仏(みしょうぶつ)」が5体並んでいる。
 ここは山梨県身延町の丸畑(まるばたけ)という山村集落、18世紀末から19世紀初めにかけて全国に行脚し、1000体を超える木彫像を彫った僧・木喰行道(もくじきぎょうどう)の生家である。
 その僧の縁者の末裔である伊藤さんは、押入れの上段を改造した仏壇にならぶ「五智如来」の列像を前に、その木喰行道の生涯、その作品、その仏道についての長年のご研究を語っている。
   ◆
 木喰行道の作る木像を「微笑仏」と名づけて「みしょうぶつ」と呼ばせたのは、木喰行道の発見者である柳宗悦だったのだろう。
 これが今も通称となっているらしく、ものの本はみなそうふりがながついている。濁音が2つのビショウブツよりは語感がよい。
 その多くの像のもつ独特の笑みには、誰もが惹かれることはまちがいない。
 わたしのはじめての木喰仏体験は、長岡市小国町太郎丸にある真福寺で「梨の木観音」だった。小さな祠の奥で、わが手にもつ灯かりに浮かびででたそのお顔の笑みには、こちらが破顔一笑、一目で惹かれたものだ。
 仏教ばかりか宗教全般に全く興味がないのだが、この微笑と書いてミショウと読ませるのは、仏教の経典にある言葉らしいが、それはどのようなことかと少し気になっていた。
 丸畑で伊藤さんに出会って、その意味をたずねての回答が、この冒頭の言である。
 今わが目の前の仏たちの放つ笑みは、きわめて個人的な性の発露でありながらも、実は万人に普遍的な悦びの表現なのか、、。
 わたしは唖然とし、そして笑ってしまった。わが笑いには、意外性への驚きと同時に、性的な隠微さへの哂いもあったことも白状する。
 ちょっと意外な展開にもうすこし突っ込んで聞きたかったが、まわりには今日はじめてあった山の会メンバーの紳士淑女がいらっしゃるので遠慮した。
   ◆
 あちこちWEB検索して仏教用語の微笑を調べてみた。
「大梵天王問仏決疑経(だいぼんてんのうもんぶつけつぎきょう)」に、「拈華微笑(ねんげみしょう)」あるいは破顔微笑とあって、簡単にいえば以心伝心のこととある。性的な意味はないから違うか。
「理趣経」に、「適悅淸淨句是菩薩位(てきえっせいせいくしほさい)とあって、その解説は「男女交合して悦なる快感を味わうことも清浄なる菩薩の境地」とあり、さらに「熙怡微笑(きいみしょう)」という用語もあった。これらしい。
 丸畑集落は、自治体の地域おこし事業らしく、「木喰の里」と名づけて、「微笑館」という木喰資料館を建てている。これをミショウカンと読むのかと思ったら、案内看板にBISYOKANと書いているのだった。
 さては、あのミショウが公共施設名ではマズイなあ、と気をまわした人がいたのか。

●参照→木喰の風景  →016-3つの展覧会
●リンク:身延町地域資料「身延に遺る作品■永寿庵・五智如来像
●リンク:、「8世紀の人もうけの原点、北海道から鹿児島まで40年間にわたって旅と造仏を続けた木喰上人―山梨県下部の丸畑の生家をたずねる」(糸乗 貞喜)

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