それもなんと、雪崩や岩崩れではなくて、寒さによる凍死だそうである。
お気の毒とは思うが、そのひとびとの歳が歳だから、大学山岳部OBとしては、この山行きはどこかおかしい。
ガイドに率いられて10数人が出発し、男女年寄りが風雨のなかで疲れた人の度合いによって、ばらばらになって離れて歩いていったというのは、常識はずれの言語道断である。まずガイドの資質を疑う。
◆◆
思い出せば半世紀も前のこと、大学山岳部では若かったから、結構無茶もしたような。
夏の剣岳合宿でのこと、仲間と2人でその日の行動に出たところ、わたしはうっかり雪の急斜面を滑落したのだ。
すぐにピッケルを刺してとめようとしたところ、雪面が切れて急な岩壁になってしまった。
岩壁ではごつごつした岩に跳ね飛ばされるからもう駄目だと観念して、ひょいと下を見たら小さな岩棚がある。
うまい具合にその棚めがけて飛び降りて、ようやく滑落は停まった。下は絶壁である。
死ぬ直前だったから、しばらくはショックで息が切れて、座り込んでいた。
どれくらいそこにいたろうか、上にいる仲間の声にわれにかえって、のそのそと落ちたところを登って仲間の隣に戻った。
わが身を見れば、擦り傷はあちこち、すねに打ち身、ズボンはビリビリになっていた。岩場のせいである。
その日の予定行動は取りやめてキャンプ地に戻った。
それでも歩けるから、すねの打ち身を揉みながら合宿は続け、岩登りもしたし穂高までの縦走もした。
そのときは合宿が終わってから横尾に残り、屏風岩の第2ルンゼを登ったのが、わが岩登りの最大ルートであった。つまり全く反省しないのであった。
◆◆
この滑落は、わが人生の最大ショック事件で、それから半世紀後の去年、山岳部同期生のあつまりで、そのときに一緒だった相棒にこの事件を話して、ショックだったよな~って言うと、そんなことあったっけ覚えていないよ、と言う。これまたショックであった。
不思議でさえあったが、人の生とは人それぞれにそういうものなのである、、自分でも言ってることがなんだか分からないが、、、。
合宿テントの中で俺があいつに化学を教えてやったからなんだよって、受賞当時にヨタ話をしたものであった。
なにで受賞したか当人から話を聞いたが、何のことだかさっぱり分からなかった。
ときどき中高年の山登りに誘われるが、行かないのである。昔の山と今の山とは、風景も人もおおいに違うだろうから、それを見たくない。が、本音は、もしもバテたら昔山岳部として恥だからである。
大学山岳部時代には夢のまた夢だったヨーロッパアルプスの山登り(正確には山降りだが)に、2006年に行ったからそれで満足である。
参照◆昔山岳部その2
参照◆ヨーロッパアルプスは棚田だった(2006)
参照◆アイガー北壁
参照◆昔山岳部その2
参照◆ヨーロッパアルプスは棚田だった(2006)
参照◆アイガー北壁
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