父の遺品の中にあった、1931年から45年までの兵役時代の手記や記録類を解読して、「父の十五年戦争」としてまとめる作業をしている。
そのために5月ごろから、満州事変から日中戦争のいろいろな戦史・戦記を読んでいる。
関連して母方の叔父が戦死したと聞いていたので、その娘の従姉妹にどこで、いつなのかと聞いたところ、1945年フィリピンのマニラ近郊であった。
なんとその戦場がわかったのは戦後も40年経ってから、部隊長だった人からの手紙であったそうだ。遺族としては、どう受け取ったのだろうか。
この叔父は1944年7月、わたしの父は1943年12月、共に戦局のきわまりつつある時に充員召集され、叔父は南方戦線に送られ、父は輸送船が無くて内国勤務と、運命を分けている。
わたしが棚田の米作りに行っている中越の山村の法末に、90歳の元気な長老がいる。
この人も戦争体験者だとて、先日の夕方、ひとり暮らしの自宅に夕飯持参で訪ねて、話を聞いた。こちらは中国の宜昌作戦と、ビルマのインパール作戦に参加したのであった。
叔父のマニラの戦いと、法末長老のインパールの戦いは、ともにアジア太平洋戦争のなかでも特別に悪名高い負け戦であった。それらの関連資料など読むと、あまりにも悲惨きわまる非人間的な戦場であり、それらが元はといえば作戦計画のずさんさからきているのが、まったくやりきれない。
これまで興味が無かったが、こうして初めて戦記や戦史あるいは戦争文学を読んでみて、人間そのものへの不信感と嫌悪感がわきでてくるのをどうしようもない。人間同士で文字通り相食むのだもの、、、。
→131戦争情報を下さい
追記:ここに書いた叔父と長老の二人の戦争に関する記録を、下記に載せた。
・父の十五年戦争(附:田中参三叔父の戦場)
・村の長老・大橋正平さんが語ったビルマの戦場
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