このところ政治の季節で、政治家は「わが党は、、」ってあちこちで言っているようだ。わざわざ「わが党」なんて、こ難しく言わなくてもよさそうなものである。
まあ、他の党とうちの党ではこんなに違うんだよと、政策の差を強調するつもりであろう。でも、なんだか威張っているようで、いやな語感である。
わが国、わが軍、わが党、わが社、わが町、わが家などは、そう言う人が帰属する組織や社会を意味しているようだ。
「我が大君」なる言葉がある(あった)が、これは国家への帰属を明確に言い表していたのだ。
わが意、わが命、わが田、わが妻、わが子、わが輩、わが身、わが物顔、わが世の春などは、言う人の所有観念の表現である。
このうちほとんど死語はわが輩であろうが、そのほかもある特定の慣用句とか格言でしか使われない。
政府文書には「わが国」との言い方がほとんどである。なぜ「日本」と書かないのだろうか。他国へ対置する表現としてならそういう必要もあるだろうが、かならずしも他の国とは違うんだといいたいばかりでもないときも使うから、慣用語になっているのか。
色々な学術的な論文類にも「わが国」は実に多く登場するのは、どうしてなのだろうか。
なんにしても現代の「わが・・」は、帰属意識の強調であると共に、他との区別・差別を強調していて、わたしにはあまり快くは聞こえない言葉である。
昨年に共同執筆して出版した本「はじめて学ぶ都市計画」では、原稿に「わが国」とある表現は、全て「日本」と直したのであった。
ところで英語圏では、my country my party my company my home my town等の日常的な言い方があるのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿