建築家は、自分のことをもちろん建築家というし、設計するものはもちろん建築と言うが、同時に「作品」とも言う。
つまり、画家とか作家とかに肩を並べて「家」をつけたがるし、設計したものは絵画や小説と同じに芸術品でありたいらしい。
ところが世間ではそうは言っていないのである。「建物」をつくる「設計士」である。街の不動産屋さんは「物件」という。どちらも「物」である。設計士と言うと、弁護士と肩を並べているようだが、どうも庭師とか指物師のような職人に聞こえる。
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ヨーロッパに初めて行ったのは、もう40年も前だった。都市の観光コースには必ず地元のガイドが乗ってきて、ひととおりの説明をする。
こちらは建築史の出だから、都市によっては世界的に有名な建築があって、写真で知っている現物に出会って驚き、喜ぶこともしばしばある。
そのような建物の説明は現地ガイドはその設計者も入れて説明する。こちらは知っているから、ああ、あの建築家の名前を言っていると、外国語でもある程度は分かる。
ところが、これを日本人通訳が翻訳すると、必ずといってよいほど建築家の名前を言わないのである。それは多分、怠慢ではなくて、建物ごとになんで設計した人の名を言うのか、そのこと自体が理解できていないからであろうと思った。それが悪いといっているのではない。日本はそういう文化なのだ。
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日本の観光名所に行って美しい建築があると、パンフレットなどに説明書きがある。そこには必ずといって良いほど設計者の名前があることはない。広さが広いとか、こんなに昔に建ったとか、柱が太いとか、欄間が精巧であるとか。だれそれという有名人が住んでいたとか、ようするに不動産の物件説明よりましな程度の見世物としての説明である。
東京駅を今、昔の姿に戻す工事をしている。1945年に戦災で焼けた3階から上を復原するのだという。わたしに言わせると、戦災から復興したときから今までの姿こそが、戦争とその復興を記念する姿だから、昔の姿に戻すべきでないと思うのだ。
ところが世間では、JR東日本はすごい、500億円もかけて、昔の姿に戻すとはえらい、コピーであろうとレプリカであろうと早く明治(実は大正だが)の栄光の姿を見てみたいものだ、なんて、もてはやすばかりである。
単なる見世物として期待をするのである。ディズニーランドと同じである。
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さて、建築見世物論を十分に堪能させる建物が建ちつつある。東京は浅草の観音様の雷門、その道の向かいに建築中の「浅草観光センター」である。
なんでも去年、台東区主催で建築デザインコンペをして、一等賞は隈研吾さんだったとかで、さて地元説明会も終えて着工したろころで、地元からクレームがついた。
それが浅草寺と地元商店街からだそうだ。審査員には地元商業界代表もいたし、もう決まって半年以上たつのに、どうしたことか。
WEBサイトを探すと、それらしい区議会への陳情書があり、「雷門を起点とする浅草寺境内の宗教的聖域性に調和しない同センターの高さなどの空間的実感について、地域住民および関係者の要望を反映して現行案を縮小するように変更していただきたく存じます」と再考を求めている。
マスメディアの報道なども読むと、どうもデザインがどうとかではなくて、雷門が日陰になるのが嫌だという浅草寺の強硬なる意向に、観音様で食わせてもらっている商店街が同調したようである。
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さて、そのコンペ当選案を台東区のサイトで見たら、なんともはや、これこそ神社仏閣の祭りのときににわかに登場して祭が終わると消えさる、あの懐かしい見世物の掛け小屋のデザインである。筵の掛け小屋が立体的に積みあがっているのだ。
そのザンシンさに噴き出してしまった。さすがにあのバブル時代に名を成した隈さんである。これは21世紀の浅草凌雲閣である。あの関東大震災でもろくも折れた浅草十二階がこんな形で戻ってきたのだ。
浅草寺のクレームは、高さだけに対するもので、デザインにではないらしい。その見世物小屋デザインは「宗教的聖域性」にはマッチしていると思っておいでなのであろう。そこのところが、まことに興味深い。
コンペでは2等賞は乾久美子さんだったが、この案もなかなかに門前町らしい賑わいに富んだ見世物デザインである。わたしとしては隈案よりもこちらのほうが好きである。
いずれも、なんでもありの日本の門前町の景観を、建築という見世物にして見せてくれている。
いずれも、なんでもありの日本の門前町の景観を、建築という見世物にして見せてくれている。
といことで、こんなのが家の近くに建ったら、とてもじゃないがたまらないけど、浅草には見世物小屋がよく似合う。あ、そうそう、川向こうにある空飛ぶ黄金色のウンコも浅草によく似合う。
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